066


 久々の光は目に痛い。何度も瞬きを繰り返して身体を順応させていると、レイヴンさんが今の場所について教えてくれた。

「バルボスがアジトに使ってる街の東の酒場。つまり、おたくらが忍び込もうとしていた場所よ」
「じゃあ、このどこかにバルボスが……?」

 同じように眩しさに目を細めていたカロルくんが呟けばようやく慣れてきた視界の先でレイヴンさんの口元がにぃっと釣り上がる。確かに辺りを見渡してみれば部屋の奥にあるカウンターの棚には何種類もの酒瓶。人が一人もいないのが気になるが、今の状況では有難いことだ。
 服の裾についたほこりを取り払いながら周囲の様子を窺う。外は帝国との戦争の準備で大騒ぎだと言うのに不気味な程の静けさだ。

「上があるみたいだな……上がってみるか」

 迷っている時間はない。もともとここにバルボスがいると踏んで乗り込んだのだ。もし彼がいなかったら――いよいよフレンさんの命が危なくなってしまう。二階を見上げるユーリさんに異議を唱える人は誰もいなかった。
 細く長い階段を一歩一歩着実に登っていく。その度に心臓が締め付けられるような感覚がした。理由は分かっている。緊張しているのだ。水道魔導器(アクエブラスティア)を取り戻すにはバルボスは避けて通れない。けれど、あの体格の大きさや物騒な鍵爪、なにより人を傷つけることを厭わない鋭い眼光。船の上の一戦が脳裏に蘇り身体に冷たいものが走る。あの時のような経験をもう一度しなければならないのだろうか。

「……アズサちゃん」

 人がすれ違うのもやっとな細い階段。後方に位置するわたしの背後に立つ人物は一人しかいない。持ち上げようとしていた足を止め、肩越しに振り返ればレイヴンさんが静かにこちらを見上げていた。特に名前を呼ばれる理由が分からず小首を傾げていると彼は徐に口角を持ち上げる。例えるならいたずらっ子のような、ほんの少しのからかいを含んだような笑み。

「もしかして怖い?」

 もしここでレイヴンさんが真剣な声色で聞いて来ればわたしは大丈夫だと虚勢を張ったことだろう。自分が今の状況で足を引っ張ってしまっていることは分かっていた。確実にバルボスを捕える為に不安要素を取り除きたいのが筋というもの。それでもわたしにだって引くに引けない理由がある。もう少しで自分が旅に出た目標を達成できるかもしれないのに黙って見ている訳にはいかないのだ。
 ――けれど、今のレイヴンさんにそんな雰囲気は感じられない。むしろダングレストの一大事だというのにあまり緊張感を持っている様子もなかった。だから、わたしも自然と唇から素直な言葉が零れていた。もしかしたら顔も多少、強張っていたかもしれない。力のない笑みはレイヴンさんの目にどのように映ったのだろうか。わたしは、知らない。

「…………少しだけ」

***

「悪党が揃って特等席を独占か? いいご身分だな」

 幸か不幸か、ユーリさんの直感は的中した。宿屋の二階には、渦中の人物であるラゴウとバルボス。椅子の背もたれに寄りかかるように座っていたバルボスは眼帯に隠れていない方の瞳をこちらに向ける。傭兵ギルド、紅の絆傭兵団(ブラッドアライアンス)の首領の名は飾りではないということだ。鋭い眼光と一瞬目が合っただけで身体を駆け巡っていく緊張。ひゅっと小さく息を吸い込み、掌を握りしめることでひたすら見えない圧力に耐える。

「その、とっておきの舞台を邪魔するバカはどこのどいつだ? ほう、船で会った小僧どもか」

 結果的に船を一艘沈めてしまったのだから覚えていない方が不思議なくらいだ。やがてエステルちゃんが前に出て行きバルボスたちに問いかける。ドン・ホワイトホース率いるユニオンと帝国率いる騎士団の協定を拗れさせたのはあなたたちかと。バルボスはこれをあっさりと認め、それどころか開き直ってさえいた。これには流石にリタちゃんも呆れかえっている。

「悪人ってのは負けることを考えてねえってことだな」
「なら、ユーリもやっぱり悪人だ」
「おう。極悪人だ」

 わたしたちはバルボスとラゴウを捕まえるつもりでいるが二人とも引く気配は全くない。そうなると自然と行動は限られてくるわけで。バルボスの部下が武器を持ちながらじりじりと迫ってくる。ユーリさんたちも各々の武器を構える中、わたしも邪魔にならないようにほんの少し後ろに下がる。一触即発の空気に息が詰まりそうだ。
 いつ攻防戦が起きてもおかしくなかったその時、建物の外から身体に響き渡るような大きな音。まるで砲弾のような。何事かとわたしたちの視線が外に向く中、あの男だけは違う反応を見せた。

「バカどもめ、動いたか! これで邪魔なドンも騎士団もぼろぼろに成り果てるぞ!」
「まさか、ユニオンを壊して、ドンを消すために……!」
「騎士団がぼろぼろになったら、誰が帝国を護るんです? ラゴウどうして……あっ」
「なるほど、騎士団の弱体化に乗じて、評議会が帝国を支配するってカラクリね」
「で、紅の傭兵団が天を射る矢(アルトスク)を抑えてユニオンに君臨する、と」
「お互いに有益があったから手を組んだってことですね……」
「騎士団とユニオンの共倒れか。フレンの言ってた通りだ」

 私利私欲の為に街一つを巻き込む――そんなことがあっていいはずがない。ましてや無関係の人を巻き込む戦争なんて起こしていいはずがないのだ。
 大砲の音を合図に街の外が一気に騒がしくなる。戦争が始まってしまったのだろうか。ユニオンに捕まったままのフレンさんの安否が気になるが今の状況では窓に駆け寄って外の様子を窺う事も出来ない。もしかして間に合わなかったのだろうか、そんな不安すら胸をよぎる。ただ耳に届くたくさんの人の声がもどかしかった。

「ふっ、今さら知ってどうなる? どうあがいたところで、この戦いは止まらない!」
「それはどうかな」
「そして、お前らの命もここで終わりだ」

 バルボスが顎を少し引けば再び彼の部下が距離を詰めてくる。ユーリさんたちも武器を構え直し体勢を整える。その時、人の声に混じって新たに聞こえてきたのは馬の蹄のような音。それも複数ではなく恐らく一頭のみ。最初はユニオンか騎士団の馬かと思ったが、戦場においてたった一頭だけというのも納得がいかない。それならあの蹄の音は一体なんなのだろう。
 ったく、遅刻だぜ。疑問符を浮かべるわたしの前でそう小さく呟いたユーリさんの声が確かに聞こえた。


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