068


 あれだけ大きな銃なのだろうから衝撃は相当のはず。怪我だけでは済まないかもしれない。若干の「死」すら脳裏を過った。それなのにいつまで経っても痛みはやってこない。いつの間にか瞑っていた瞼をそろそろと持ち上げる。ぼやけた視界から徐々にくっきりと浮かび上がってきたのは驚いたように目を丸くするバルボスだった。ぱちくりと瞬きをする。どうやらわたしはまだ生きているらしい。

「アズサっ!」

 その場に立ち尽くしているといきなり肩を強く掴まれ、名前を呼んだユーリさんと向き合う形になる。整った眉が真ん中にきゅっと寄っていて。彼がこんな表情を見せるのは珍しいと場違いに感じるくらいにはわたし自身も呆然としていた。透き通った瞳の奥に間抜けな自分の顔が映っている。

「無事かっ、怪我は」
「えっと」
「馬鹿な……確かに当たったはずだ! 小娘、一体どんな小細工をした!」

 聞きたいのはこちらの方だ。バルボスと目が合った瞬間、逃げられないと悟った。思考がストップして詠唱を唱えて身を守る余裕もなかったのだから。そうなると誰かが自分のことを庇ってくれたのだろうか。バリアーを張れるのはエステルちゃんだけども。そっと翡翠の瞳に視線を送ったが首を横に振るだけだった。彼女ではないとなると誰がわたしの身を守ってくれたのだろう。ますます分からない。疑問は深まるばかりだ。

「くそっ!」

 憎らしげに舌打ちをしたバルボスは再び銃を構える。弾が充填される音を聞くと再び身体が強張った。二回目はない、とバルボスの鋭い眼光に目を反らせないでいるとその間に見慣れた流れる紫黒の髪。視界いっぱいに広がる大きな背中。

「逃げろ、出口に向かって走れ」
「ユーリさん……!」

 実際に逃げることはできなかった。バルボスの二回目の攻撃が予想以上に早かったのだ。エアルが再充填された銃がわたしたちに向けられる。今度こそ逃げられない。固く目を瞑りそうになる瞬間だった。魔物とは違う、だけど聞き覚えのある鳴き声が聞こえたかと思ったら頭上に大きな影が過る。自然と目線は上に向き――あ、と声が漏れた。

「竜使い……」
「また、出たわね! バカドラ!」
「リタ、間違えるな、敵はあっちだ……!」

 どうやらユーリさん達、特にリタちゃんはあの生き物と何かしらの因縁があるらしい。眦を吊り上げ頭上に向かって吠えるリタちゃん。彼女の標的がバルボスから移りそうになるのをユーリさんが窘める。今、優先するべきなのはこちらに敵意を向けるバルボスだ。あの生き物が攻撃したのが彼である以上、こちらの味方である可能性が高い。本当に味方なのかは分からなかったが。
 ユーリさんの大きな背中からバルボスを覗き込む。すると彼は大きなチェーンソーを取り出したかと思うとそれを片腕で軽々と上に掲げた。耳障りな機械音が鼓膜に響き思わず顔をしかめる。

「ワシの邪魔をしたこと、必ず後悔させてやるからな!」

 つんざくような音に混じるバルボスの声。まるで捨て台詞のような言葉を吐いたかと思えば彼の身体が突然宙に浮いた。うそ、と気づかない内に言葉が漏れていた。大人が何人必要になるか分からないあの巨体を持ち上げる力がチェーンソーに埋め込まれた魔核(コア)にはあるということなのだろう。便利な道具だがそれが真の力を発揮する場所はあの男の元ではなく、下町の水道だ。
 そもそも木を切る為の道具が空を飛ぶ為の武器にはなり得ないとは思うのだが。だけど、目の前に広がっているのはチェーンソーで空を飛ぶ大男だ。

「うそっ! 飛んだ!」
「おーお、大将だけトンズラか」

 だんだんと小さくなっていくバルボスを追いかける術をわたしたちは持っていない。ただ見ていることしかできずに歯痒い思いをしてるとその視界の端で大きな物体が横切る。視線を追いかければ人を乗せたあの生き物がバルボスを追いかけようとしていた。やはり背中に乗った人もバルボスを捕まえようとしているのだろうか。
だが、それを許さない人間が一人。

「あ! まて! バカドラ! あんたは逃がさないんだから!」

 あそこまでリタちゃんが怒っているのだから余程のことがあったのだろう。彼女の標的がバルボスから一気に変わったのだから。レイヴンさんもあんまり状況を分かっていないようで頭に疑問符を浮かべていた。
 バルボスがいなくなったことで手下たちも戦意を失ったらしい。地面に向けられた銃口や剣先にほっと安堵の息を吐いているとアズサ、と不意に名前を呼ばれた。背中を向けたままのユーリさんにはいと応える。

「あいつらのこと頼むな」
「え?」

 彼の言葉の意味を理解するのはそれからすぐ後。バルボスを追いかけようとする生き物に向かって駆け出したユーリさん。いくつか言葉を交わしたかと思ったらユーリさんはくじらの背中に飛び乗った。これには流石に驚いた。一緒に行く! と駆け寄ったエステルちゃんたちに彼は頷かなかった。

「ユーリのバカぁっ!」

 泣きそうなカロルくんの声がオレンジ色に染まるダングレストに響き渡った。


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