071


 あの巨体からは想像もできないような身の軽さでバルボスは攻撃をしかけてきた。自分より何倍もある大剣を軽々と振り回し、わたしたちに襲い掛かってくる。魔導器(ブラスティア)と使わないシンプルな武器だからこそ離れた位置にいるわたしはほとんど狙われることはなかったけれど、近距離で戦うユーリさんたちを避けながらバルボスに魔術を当てるのは至難の業だった。うっかり気を抜けばユーリさんたちに魔術を当ててしまうかもしれない。そう思うと、バルボスの攻撃が当たりそうな瞬間にバリアーを張ってあげるのが精一杯だった。
 ……それでも、わたしにだって相手の注意を逸らすことくらいならできる。

「あどけなき水の戯れ、シャンパーニュ!」

 リタちゃん曰く、他の低級魔術よりも異常な威力を発揮するというわたしの水の魔術。イメージを膨らませて魔術を発動させれば、ちょうどバルボスの足元から勢いよく水柱が吹き上がり彼の動きが一瞬だけ止まる。この魔術にバルボスの体力を削る効果はあまりないと分かっていた。けれど、意識を逸らせれば十分。後はきっとユーリさんが決めてくれる。なんとなく、そんな気がしたのだ。
 ユーリさんの一閃がバルボスに当たる。それがとどめとなった。

「ごはっ!」
「……もう部下もいない。器が知れたな。分をわきまえないバカはあんたってことだ」
「ぐっ……ハハハっ。な、なるほど、どうやらその様だ」

 戦闘が始まった当初はたくさんいたはずのバルボスの手下たちは次々と倒されて一人残らずいなくなってしまった。今、この場に残っているのはバルボスたった一人だけ。
 状況は圧倒的にバルボスが不利なはずだ。それなのに当の本人は不敵な笑みを崩す様子は見られない。何故だろう、こんなに胸がざわつくのは。

「ではおとなしく……」
「こ、これ以上、無様をさらす必要はない。……ユーリ、とか言ったな? おまえは若い頃のドン・ホワイトホースに似ている……そっくりだ」
「オレがあんなじいさんになるってか。ぞっとしない話だな」

 バルボスは切られた脇腹を抑えながらゆっくりと立ち上がるとふらふらとした足取りで後退する。
 その背後に――足場はなかった。

「ああ、貴様はいずれ世界に大きな敵を作る。あのドンのように……そして世界に食い潰される」

 バルボスの意図に気が付いたユーリさんとエステルちゃんが同時に駆け出す。ユーリさんが咄嗟に手を伸ばしたけれど、到底届く距離ではなかった。

「悔やみ、嘆き、絶望した貴様がやってくるのを先に地獄で待つとしよう」

 そしてバスボスは自ら身を投げた。長い月日をかけて作り上げたガスファロストの頂上から。
 わたしはただその場で立ち尽くすことしかできなかった。あまりに突然のことで何も出来なかったと言ったほうが正しかったかもしれない。
 びゅうびゅうと風が吹き抜けるガスファロスト。バスボスがその後どうなったのかは――誰にも分からない。
 
***

「まったく、魔核(コア)が無事でよかったぜ。な、アズサ」
「……え? ええ、そうですね」

 いきなりユーリさんに声を掛けられ、ぼんやりしていたわたしは曖昧に笑う。脳裏にはまだバルボスがガスファロストから落ちていく光景が焼き付いていた。
 ふとユーリさんの視線が動いてそれを追いかけるとわたしの手に辿り着き、わたしは握りしめたものをそっと開く。手のひらには碧く光る魔核があった。ずっと探し求めていた下町の魔核。これを見つける為にわたしはユーリさんについてきた。

「水道魔導器(アクエブラスティア)の魔核ってそんなに小さいものだったんですね」
「さて、魔核も取り戻したことだし、これで一件落着だね」
「でも、バルボスを捕まえることができませんでした……」
「ええ……それだけが悔やまれます」

 地上が見えない程の高さから身を投げたのだ。生き残っている可能性の方が低いだろう。エステルちゃんとフレンさんの顔が曇ったものに変わる。
 特にフレンさんはバルボスの発言が気になっていたようだった。「あの男」とは誰のことだったのだろう。ラゴウ以外にもバルボスと手を組んでいたというのだろうか。声の沈んだ二人になんと声をかけたらいいのか悩んでいると、リタちゃんがふんと鼻を鳴らす。

「何言ってんの、あんな悪人、死んで……ふぎゃ……!」
「それにまだ一件落着にはまだ早いな」
「ああ、こいつがちゃんと動くかどうか確認しないと」

 決してわたしも魔導器に詳しくはないけれど、本来と違う使い方をされてきたものが今までと同じように動くのかという疑問は浮かぶ。「確かにそうですね」とわたしも小さく頷いて手のひらの魔核を見下ろした。

「魔導器(ブラスティア)の魔核はそんなに簡単に壊れないわよ」
「ふ〜ん、そうなんだ。知ってた、レイヴン……?」
「……レイヴンさん?」

 カロルくんの問いかけに返答がないことに気が付いてわたしも辺りをきょろきょろと見渡す。ガスファロストから下りた時は確かにレイヴンさんはいたはずなのに、今はその姿は見当たらない。どこに行ってしまったのだろう。

「また、あのおっさんは……本当に自分勝手ね」
「それをリタが言うんだ?」
「人それぞれでいいんじゃない?」
「ダングレストに帰ったんだろ。会いたきゃ会えるさ」

 もともとレイヴンさんはドンの命令でガスファロストに来てたみたいだから、その報告をしにダングレストに戻ったのだろう。別れ際の挨拶もなくふらりといなくなってしまったのがなんともレイヴンさんらしい。リタちゃんとカロルくんのやりとりに小さく笑みを零しながらわたしは再び手のひらの魔核を見下ろす。
 あとはこの魔核を水道魔導器に戻せば、下町の暮らしが元通りになる。わたしの無実も証明できる。
 やっと――やっと、下町に戻れる。

「――アズサ、なんだか浮かない顔ね」
「え?」
「せっかく魔核を取り戻せたのにあんまり嬉しくなさそう。私の気のせいかしら?」

 そんなことはない。魔核が戻ってきてくれて嬉しい気持ちがあるのは本当だ。
 ……だけど、それは同時にこの旅の終わりを示している。もちろん危険な目にもたくさんあったけれど、それ以上にユーリさんたちとの旅は楽しかった。見知らぬ土地や文化に触れるのはとても刺激的な体験だった。それが終わってしまう事実が少し寂しい――それだけの話だ。下町の穏やかな日々に戻ればきっとそんな気持ちも消えていく。
 わたしはジュディスさんの問いかけに曖昧な笑みで応えた。


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