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 あの巨体からは想像もできないような身の軽さでバルボスは攻撃をしかけてきた。自分より何倍もある大剣を当たり前であるかの如く豪快に振り回す。魔導器を使わないシンプルな武器だからこそ離れた位置にいれば直接的な攻撃は避けることは出来たが、それでも危険が伴うのは確かだった。それにユーリさんたちはいつ攻撃があたってもおかしくない場所で戦っている。いくら自分が安全な位置にいて、防御壁を張っていたとしても気が休まらないのは明らかだった。

「――あどけなき水の戯れ、シャンパーニュ!」

 リタちゃん曰く、他の低級魔術より異常な威力を発揮するらしいわたしの水の魔術。意識をバルボスの足下に集中させて魔術を発動すれば、思った通りに地面から勢いよく水柱が沸き上がる。一瞬でもバルボスの意識をそらせればそれで十分だった。後はユーリさんが決めてくれる。なんとなく、そんな気がしたのだ。

「ごはっ!」
「……もう部下もいない。器が知れたな。分をわきまえないバカはあんたってことだ」
「ぐっ……ハハハっ。な、なるほど、どうやらその様だ」

 最初はあれだけ湧いていたはずの紅の絆傭兵団(ブラッドアライアンス)もユーリさんたちの力に押されて一人残らずいなくなってしまった。今、この場にいるのはバルボスたった一人だ。
 状況は圧倒的に向こうが不利なはずだ。それなのに不敵な笑みを浮かべるバルボス。なぜだろうーー胸がざわついて仕方がない。

「ではおとなしく……」
「こ、これ以上、無様をさらす必要はない」

 バルボスは低い声でそう言うと、突然ユーリさんの名前を呼んだ。そして彼がドンに似ていると言い出した。若い頃のドン・ホワイトホースにそっくりだと。当の本人は驚いた様子もなく、小さく笑った。

「オレがあんなじいさんになるってか。ぞっとしない話だな」

 あの時のバルボスにもう戦う力は残されていなかったのだろう。ふらふらとした足取りでゆっくりと後退する。その背後に、足場はない。

「ああ、貴様はいずれ世界に大きな敵を作る。あのドンのように……そして世界に食い潰される」

 その声色は嫌と言うほどはっきりしていた。そしてバルボスの顔は歪んだ笑みを浮かべていた。
 足場ぎりぎりの所で立ち止まったバルボスは一度だけ大きな息を吐くと、まっすぐにこちらを向いた。いや、現実にはユーリさんを見つめていたのかもしれない。それは本人たちにしか分からないことだった。

「悔やみ、嘆き、絶望した貴様がやってくるのを先に地獄で待つとしよう」

 そしてバルボスは自ら身を投げた。長い月日をかけて建てたガスファロストの頂上から。とっさにユーリさんが駆け寄って手を伸ばしたけれど間に合うことはなかった。同じように駆け寄ったエステルちゃんが力無くその場に座り込む。わたしはその様子を後ろから眺めていることしかできなかった。誰もが言葉を失って立ち尽くしていた。
 自らの命を絶ってでも守りたかったギルドとしてのプライド。今のわたしには到底、理解出来そうにない。

***

 あんなに苦労して登ったガスファロストも下りるのは至って早かった。入り口まで戻ってくるとユーリさんが口を開く。

「まったく、魔核(コア)が無事でよかったぜ。な、アズサ」
「はい、本当に」

 手のひらの中で蒼く光る魔核。これを見つける為にわたしは下町を出た。まさかこんな長旅になるとは思ってもいなかったけれど、それも結果論でしかない。何より下町の魔核を取り戻すことが出来たのだ。これで自分にかけられた疑いを晴らすことが出来る。そう思ったら全身に安心感が広がった。

「さて、魔核も取り戻したことだし、これで一件落着だね」
「でも、バルボスを捕まえることができませんでした……」
「ええ……それだけが悔やまれます」

 あの足も震えるような高さから身を投じたのだ。生き残っている可能性の方が低い。バルボスがいなくなったことで失った情報は多い。例えば、ガスファロストの資金を工面したという"あの男"の存在も分からず仕舞となってしまっている。一瞬、ラゴウではないかとも思ったがそれならいちいち隠す必要もないだろう。あの二人が協定を組んでいたのをわたしたちは知っていたのだから。
 エステルちゃん……特にフレンさんはその影響が大きいはずだ。声の沈む二人になんと声をかけたらいいのか悩んでいると、横からリタちゃんが声を上げる。バルボスは死んで当然の人物だ、と。けれどもその言葉を最後まで言うことはできなかった。ユーリさんが遮ったからだ。

「それにまだ一件落着にはまだ早いな」
「ああ、こいつがちゃんと動くかどうか確認しないと」

 確かに下町の魔核は本来とは違う使い方をされてきた。その光は失われてこそいないけれど、今まで通りに動いてくれるかも分からない。魔核は魔導器(ブラスティア)と一組で扱われることが多いから、片方が壊れてしまえば元も子もない。ふと不安がよぎったが、魔導器に詳しいリタちゃん曰く、そうそう壊れることは無いらしい。ほっと息を吐いた。

「アズサはよっぽど魔核を取り戻したかったのね」

 ふと顔を上げればジュディスさんが微笑みながらわたしを見下ろしていた。彼女が応えるように薄く笑みを浮かべる。

「その為にここにいますから」

 下町の魔核は手の中にある。ダングレストも流石に落ち着きを取り戻したことだろう。ラゴウも騎士団が捕まえてくれたはずだ。何も不安なことはないはずだ。それなのにどこか胸に引っかかりを覚えるのは、おそらくバルボスのことを引きずっているからなのだろう。
 脳裏には最期に見たあの男の勝ち誇ったような笑みがいつまでも張り付いていた。


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