073


 武器屋を出れば外は薄暗く、空には丸い月がぽっかりと浮かんでいた。思っていたよりあそこに長居してしまったようだ。一人で色々と考えたくて出かけると言った直後、ユーリさんと約束していたのを思い出す。あまり遅くならないように、と。

(まだ大丈夫だとは思うけど)

 早く帰るに越したことはないだろう。急いで宿屋に戻らなければと来た道を引き返していると不意に誰かに名前を呼ばれた。顔を上げてきょろきょろと辺りを見渡せば、こっちに向かって走ってくるカロルくんの姿が映る。

「アズサも出かけてたんだね。どこに行ってたの?」
「うん、少しね。街を散歩してたの」

 最初は街の様子を眺めるだけのつもりだったのだ。結果的には武器屋でおじさんの話を聞くだけになってしまったけれど。伝えたことは間違っていない。でも、本当の事を言うのもなんとなく躊躇いがあった。別に悪いことは何もしていないのに。カロルくんは薄い笑みを浮かべるわたしにそれ以上は聞いてこなかった。
 カロルくんは? と反対にわたしが尋ねると彼も街の様子を見に行っていたのだという。ダングレストはカロルくんの出身地。きっと昔からの友達もいるのだろう。街について早々あんなことがあったから会いに行く時間もなかっただろうし。そっか、と応える。こちらも深く聞くつもりもなかった。

「これからアズサはどこか向かう予定だったの?」
「ううん。もう戻るつもりだったよ」
「ボクも! じゃあさ一緒にいこうよ」
「もちろん」

 二人で並んで歩きながら他愛もない会話を始める。そのほとんどは喋るカロルくんに対してわたしが相づちを打つだけだったけれど。それでも一生懸命に身振り手振りで話す彼がなんだか面白くてついつい聞き耳を立ててしまっていた。いつの間にか歩調がゆっくりしたものに変わっていることも気づかずに。

「……あのさ、アズサ」

 そんなカロルくんが急に声を真剣なものに変えたのは宿屋が見えてきてすぐのことだった。急に立ち止まった彼の表情はうつむいていてよく見えない。カロルくん? とそっと顔をのぞき込みながら名前を呼ぶ。ゆっくりと顔を持ち上げた彼は不安げに口を開いた。

「アズサってギルドに興味ない?」
「ギルド……?」

 きょとりと瞳を瞬かせるわたしにカロルくんは静かに頷いた。話を聞けば彼は自分でギルドを作ろうとしているらしい。まずギルドが個人の意志で結成することができることに驚きだった。そして更に驚くことにそのメンバーにユーリさんが入っているらしい。まだ返事はもらえていないらしいが。

「アズサがギルドに入ってくれたらボクすっごく嬉しいな」

 カロルくんには申し訳ないけれど、ギルドに入るつもりは全くなかった。だってわたしには下町でユーリさんの物語の始まりを見守る役目があるのだから。やっと、待ち望んだ展開。みすみすチャンスを逃すわけにはいかない。
 だけど、ユーリさんはどんな返事をするのだろう。それだけが気になった。もし彼がギルドに入ってこれからも旅を続けることになったら、わたしは――。

「おい、あの執政官の判決出たらしいぞ!」

 おおきな声で町中に走ってきた一人の男性。天を射る矢(アルトスク)の人だ、とカロルくんがぽつりとこぼす。執政官、というのはおそらくラゴウのことだろう。わたしもカロルくんも話を中断して彼に意識を向ける。そして聞こえた判決の結果に思わず耳を疑った。

「……嘘でしょ」
「アズサ、急いでユーリに知らせなきゃ!」

***

 ばたばたと慌てて駆け込んだ部屋にはユーリさんが一人でベッドに寝ころんでいた。どうやら眠っていたらしい。まだ眠たげな声を上げていたユーリさんだったけれど、カロルくんとわたしを見て一瞬で表情を変えた。ぼんやりしていた紫黒の瞳が静かに細められる。

「ラゴウが、ラゴウが!」
「ラゴウがどうしたって?」
「評議会の立場を利用して、罪を軽くしたんだって! 少し地位が低くなるだけで済まされるみたい! ひどいことしてたのに!」
「面白くねえ冗談だな」

 小さく呟いたユーリさんは不意に視線をこちらに向けた。真っ直ぐな紫黒の瞳に吸い込まれそうになりながら静かに首を縦に振る。聞き間違いではなかった。あれだけのことをしておいてのラゴウの判決はあまりにも軽すぎた。

「これが今の帝国のルールか。ったく、ホントに面白くねえ」
「どうしよう、ユーリ」
「さて……な」
「ちゃんとした罰も受けないなんて、こんなの絶対おかしいよ。そうだ! エステルに言えばなんとかなるかもしれない」
「おい、あんまお姫様に迷惑かけんじゃねえぞ」

 隣の部屋に駆け込んでいくカロルくんの背中を眺めていると、ぎしりとベッドが音を立てる。目を向ければ剣を持ったユーリさんがわたしの横を通り過ぎようとしていた。最初はカロルくんを追いかけるのかな、と思ったけれど、通り過ぎる瞬間、思わず彼の服の裾を掴んでいた。いきなり引き留められたユーリさんが肩越しに振り返りぱちぱちと瞬きする。

「どこに行くんですか?」
「ちょっとフレンのところに、な」

 そう言って薄く笑うユーリさんの瞳に嘘はなかったと思う。それなのに胸がざわざわとするのは何故なんだろう。彼の横顔が見たこともないくらいに冷たい表情をしていたからだろうか。きゅっと小さく手に力を込める。今、ユーリさんを一人にしてはいけない。そんな気がしたのだ。

「心配すんなってアズサ。すぐ戻ってくるから」

 剣を持っていない方の手がわたしの頭の上に乗る。本当ですか? と尋ねたところで彼はうんとしか言わない。それが真偽に関わらず。本心を言えば、行ってほしくない。だけどユーリさんを止める理由がわたしにはないのだ。なんとなく、そんな気がしただけで。根拠などどこにもない。
 仕方なくそろそろと手を離す。ユーリさんは変わらず笑みを浮かべていた。

「……あんまり遅いとカロルくんたちに怒られちゃいますからね」
「分かってるって」

 それ以上、返す言葉が見つからなかった。


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