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「アズサは下町に帰るんだね?」

 ユーリさんたちの姿が見えなくなったと思えばまるで最終確認とでも言うようにフレンさんは横からわたしの顔を軽く覗き込む。切れ長の蒼い瞳に口角を無理矢理持ち上げながら首を静かに縦に振った。少しでも口を開けば簡単に今の気持ちがこぼれ落ちてしまいそうな気がしたから。フレンさんは分かった、と答えただけでそれ以上は追求してこなかった。
 魔物の強襲により、騎士団は大きな被害を受けてしまった。だから一度、体制を立て直さなければならない。そう言ってフレンさんは途中から合流したソディアさんとウィチルさんと話し合いを始めた。流石に彼の仕事の邪魔をしてはいけない、と一歩下がって様子をぼんやりと眺める。

(なんだったんだろ、あの魔物)

 ダングレストには結界魔導器(シルトブラスティア)あるはず。街に直接攻撃を仕掛けてきたとなれば、魔物はそれを突破してきたということになる。ふ、と頭上を見上げれば夕焼け色の空に透明の膜が間違いなく一緒に映っていた。魔物が魔導器(ブラスティア)の力を上回った、ということだろうか。
 一連の出来事を振り返っていると不意に脳裏に蘇ってくる全てを見透かすかのような真っ赤な瞳。思わずふるりと身体を震わせていると、いきなり何かに背後から腕を引っ張られ後ろに傾く。声を出す余裕もなかった。そのまま両肩に手が回され身体を引き寄せられる。もし、視界の端に見慣れた紫の羽織が映らなければ今すぐ悲鳴を上げていたことだろう。驚きでどきどきとうるさい心臓を抑えながら肩越しにゆっくりと背後を見上げる。にんまりと弧を描く口元はまるで悪戯が成功した子供のようだった。

「レ、レイヴンさん……?」
「帝都に戻るのはいいんだけど実はアズサちゃんと話がしたいって言ってる人がいるのよねー」
「わたしに、ですか?」
「そ。だからちょこーっとおっさんに付き合ってね。んじゃ、よろしく」

 まさに一瞬の出来事だった。レイヴンさんの背後にやってきた大柄な一人の男性。無表情のままこっちへ近づいてきたかと思ったら軽々とわたしを担ぎ上げたのだ。突然の状況に頭がついていかない。落としはしないから大丈夫よ、なんてレイヴンさんがこちらを見上げながら軽い調子で言うけれどそういう問題ではない。自分で歩けますからっ、となけなしの抵抗も無駄でしかなく早々に諦めてしまった。男性はわたしの声に反応することなくどんどん歩みを進める。

「アズサっ!」

 見知らぬ男に担がれたわたしを見て、剣を抜こうとするフレンさん。彼の後を追うようにソディアさんとウィチルさんもこちらを見てはびっくりしたように瞳を丸くしていた。わたしは大丈夫ですからっ、と慌てて声を上げようと口を開きかけた時、彼の前にレイヴンさんが立ちはだかる。普段のレイヴンさんからはあまり想像できない低く淡々とした声。

「彼女は天を射る矢(アルトスク)が引き受ける。邪魔をしないでもらおうか」

 レイヴンさんの所属するギルドの名前を聞いた途端、フレンさんの表情は変わる。そして苦虫を噛み潰したような顔をしながら、抜きかけた剣をゆっくりとしまった。その様子に内心驚いてしまう。
 帝都直属の騎士すら手出しができなくなってしまう程の力が備わっているということなのだろう。ギルドの頂点に立つギルドは。そしてわたしに会いたいと言っている人物は。今までの記憶を辿っても特に接点はなかったはず。レイヴンさんの言う相手のなんとなく察しはついたが、話したいこととはなんなのだろう。ますます疑問は広がるばかりだった。

***

 初めてここに来たときはユーリさんたちと一緒だったからここまで緊張感は持たなかった。思わず笑みがひきつる。
 赤が基調とされたユニオン。目の前の椅子に座っているのはその中心人物であるドン・ホワイトホース。予想は当たっていたものの、ますます疑問は深まるばかり。直接会って話したいこと? 心当たりは全くない。しかも部屋に入ってからというもの、特に会話をするわけでもなくただ上から下までじいっと見られるだけなのだからこちらとしては非常に気まずいのだ。まっすぐに視線を受け止められるはずもなく、曖昧な笑みを浮かべることしかできない。

「ちょっとじいさん、あんたがアズサちゃんと話したいっていうから連れてきたのよ。それなのにただ黙って観察しちゃって……アズサちゃん怖がってるでしょうが」
「あ、いや、レイヴンさん、」
「ギルドの他の連中はどうした?」

 唐突な問いかけにえ? とつい聞き返してしまった。ぱちぱちと瞳を瞬かせながらドンを見返す。レイヴンさんも初耳だったみたいで驚いたようにわたしとドンを見比べている。お二人知り合いなの? なんて軽く首を傾げながら。

「てめぇも会ったことあるぞ。なに言ってんだ」
「え、嘘っ! いつ、どこで?」
「たまに街に来てただろうが。ここにも顔出してただろ、大道芸ギルドの」
「ちょ、ちょっと待って下さいっ」

 このままだと勘違いされたまま話が進んでしまう。慌てて二人の話の輪に割り込んだ。ドンの視線が再びこちらを向く。鋭い眼光がますます細いものに代わり、一瞬身構えたがわたしとしては全く見に覚えのない話なのだ。否定するところは否定しなければならない。小さく息を吸ってからゆっくりと口を開く。

「わたしはあなたと会うのは初めてですし、その、どこかギルドにも所属した覚えはありません。人違い、ではないでしょうか……?」
「てめぇ、名前は?」
「アズサです」
「俺の知ってるそいつもアズサって名前だった。顔もそっくりだったぞ」

 人違い、のはずだ。だってわたしはどこのギルドの所属したことはないし、ドンと会うのも今回が初めて。なによりもわたしはこの世界の人間ではない。絶対に違うと言い切れるはずなのにこの言いようのない胸騒ぎはなんなのだろう。自分と顔も名前もそっくりな人間がいる、そんなことがあるのだろうか。

「――ひとつ聞いてもいいですか? えっと、わたしにそっくりな人が所属していたギルドの名前って覚えていますか?」
「大道芸ギルド、蒼の迷宮(アクアラビリンス)だ。そいつは剣舞が見事でな、もう一回見たいと思ってたんだが」

 残念だな。そう呟いたドンの言葉が何故が胸に刺さっている自分がいた。どうしてそう感じたのかは自分でもさっぱり分からない。頭の中で疑問符を浮かべる。やはり見た目がそっくりだ、と言われたからだろうか。
 もやもやとした気持ちはようやくその人物を思い出したらしいレイヴンさんの大きな声でかき消されてしまったけれど。


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