077


 ドンの話したかったことというのは蒼の迷宮(アクアラビリンス)のアズサさんの剣舞をもう一度見たかったということらしく、わたしに対しての用事ではなかった。それならわたしがここに留まる理由はもうない。フレンさんのところに戻らせてもらおう。そして下町でゲームのストーリーが終焉を迎えるのを待つのだ。きっと物語は順調に進む。なんといってもイレギュラーがようやくいなくなったのだから。
 もうこの二人にも会うことはないだろう。そんなことを考えながら踵を返す。彼らが下町にやってくるのなら話は別だが、少なくともダングレストで会うことは二度とない。真っ赤な絨毯を踏みしめる。

「てめぇはあの小僧についていかなかったのか」

 え? と思わず足を止める。肩越しに振り返って再びドンの姿を捉えた。細められた瞳が黙ってわたしを見下ろしている。

「わたしがいても迷惑になるだけですし……それに、」
「それに?」

 その後の言葉は簡単に口にするのは躊躇われた。それはわたしの核心に迫ることだったから。決して誰にも知られてはいけない自分だけの秘密。視線を下に移し、何度も何度も思案して言葉を紡ぐ。その度に唇が音のない開閉を繰り返した。ようやく言葉が決まったときには随分と時間がたっているように感じた。

「わたしはあの人の傍にいたらいけない、そんな気がするんです。自分がいることでなんだか未来が変わってしまうような……」

 ーーわたしはみなさんの無事を祈っています。
 彼らが旅立つ間際、わたしはユーリさんたちについていくのではなく、下町に戻ることを選んだ。それは彼がもうゲームのストーリーに沿って動いているのだと気づいてしまったから。これ以上一緒にいてはいけない。わたしの答えにユーリさんはそうか、と答えただけだった。エステルちゃんやカロルくんは違う表情を見せていたけれど。
 きっとこれで良かったのだ。『テイルズオブヴェスペリア』という作品がどんな物語を経て完結するのかは分からなかったけれど、少なくとも自分がいなければ本来のストーリーが狂うことはないだろう。

「小娘ひとりが加わったことで変わる未来なんて、そんなの運命でもなんでもないだろ」
「え?」
「それともあれか。てめぇ自身に他人の運命を変えちまう程の力があるってか?」

 そんな大層なものは持ち合わせていない。慌てて首を横に振る。今までの旅でだって自分から進んで行動したことなんて片手で数えられるほど。何の力も持っていないわたしでは彼らについていくことで精一杯だったのだ。

「抗うことすらできねぇから運命っていうんだろ」
「……」

 もしかしたら自分のその数少ない行動が未来を変えてしまったかも、と考える方が本当は難しいのかもしれない。運命というものが簡単に崩れない強固なものであるとするのなら。わたしすら飲み込んでしまう大きな力だというのなら……もう少し素直になっても良いのだろうか。
 にぃっとつり上がるドンの口元。嫌いじゃねえ面構えだ。頬杖を付きながらわたしを見下ろす。

「なら、もう一度考えることだな。自分がどうしたいか」
「ーーわたしは、」

***

「ほい、これはおっさんからの餞別」
「これ……」

 そう言ってレイヴンさんが渡してきたのは昨日、武器屋のおじさんに勧められたそれ。比較的手の小さいわたしでも握りやすく扱いやすいと言っていた。持ち運びにも便利だと自慢していただけあって手に持っても軽く、今も折り畳まれた状態になっている。名前は確か、棍(こん)と言っていただろうか。
 でも、どうしてレイヴンさんが……? 受け取った棍と彼の顔を交互に見つめる。するとレイヴンさんは少し気恥ずかしそうに頬を掻きながら苦い笑みを浮かべた。

「実は偶然アズサちゃんが店主に勧められてたのを見かけたんだよねー。確かにこれならアズサちゃんでも扱いやすいと思うし。いくら魔術が使えるとは言え、丸腰よりはいいでしょ?」

 わたしは、旅を続けたいです。
 寂しかった。旅を続けるというユーリさんたちについていきたかった。けれど、それは許されないのだと思っていた。自分という存在はゲームのストーリー上にはいなくて、一緒にいてはいけないのだと思っていた。でも、もし運命というものがちっぽけな自分なんかでは決して揺るがないというのなら−−見てみたいと思った。彼らがどんな終焉を迎えるのかを。この世界の行く末を。ユーリさんたちと一緒に、できることなら近くで。
 素直にぽろりと零れた言葉。ドンはそれならあいつらを追っかければいい、と背中を強く押してくれた。そして天を射る矢(アルトスク)の仕事でエステルちゃんを見張らなければならないと言うレイヴンさんと一緒にユーリさんたちを追いかけることになったのだ。

「……ありがとうございます、レイヴンさん」

 もらった棍を腰のベルトに差し込む。組み立てれば身長より長いものの、ばらばらにしてしまえばそれほど気になりはしない。歩くにもさほど問題なさそうだ。これを手にする時は自分の身を守るとき。できればあまり使う機会が多くないといいが。
 満足げに頷いたレイヴンさんがうんと背伸びをする。

「んじゃ、さっさと青年たちに追いつきますか」
「ユーリさんたちはどこへ向かったんでしょう?」
「んー多分ヘリオードじゃないかしら? ダングレストから一番近い街だし」

 ヘリオードといえば、ユーリさんたちが騎士団に捕まっていたという街。そういえばあの時もこうして彼らを追いかけていた。そしてユーリさんに尋ねた。わたしは邪魔になっていませんか? と。もう一度、彼に同じ質問をしてもいいだろうか。そしてもし同じ答えが返ってきたら。
 きっと、たぶん、ほんの少しは心から笑えるかもしれない。


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