079


 無事に宿を取り、ご飯を食べ、ようやく落ち着いたのは太陽も完全に沈んだ頃。男性陣が泊まる部屋に集合となり、わたしは空いたベッドに座らせてもらった。設置された証明がほのかな明かりを灯し部屋を照らす。両隣のベッドにはレイヴンさんとリタちゃんが座った。
 最初に説明が始まったのはユーリさんたちだった。凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)というギルドを結成したこと、メンバーにジュディスさんが加わったこと、初めての仕事がエステルちゃんの護衛ということ。そして、エステルちゃんがダングレストで襲ってきた魔物――フェローの行方を追って砂漠に向かおうとしていること。ヘリオードでの騒動の概要も聞いた。たった数日間離れていただけなのに事態がどんどんと進んでいるのは、流石ゲームの主人公たちといったところだろうか。

「まあ、オレたちの話はこんなところだな」
「じゃあ次はレイヴンたちの番だね」
「そうよ、なんでアズサとおっさんが一緒に行動することになったわけ? あんた、あの隣にいた騎士と下町に戻るんじゃなかったの?」

 向かいのベッドに座っていたリタちゃんがずいっと顔を寄せてくる。彼女にとってわたしがレイヴンさんと一緒にいたことが一番気になるらしい。けれどその経緯を説明するにはまず、わたしがドンに呼び出されたことから言わなければならない。そこで新たに知ったことも。

「どうなのよ?」
「え、っと」
「落ち付けってリタ」
「そうそう。まずはおっさんの話から聞いてよー」

 リタちゃんは不服そうだったけれど、一応納得はしてくれたみたいで体勢を元に戻す。正直、彼女が引いてくれたことにはほっとしていた。わたしも自分の中で一度整理がしたかったから。
 レイヴンさんにはレイヴンさんなりの理由がある。ユーリさんと行動する理由が。簡単にいえばエステルちゃんの監視だ。彼女の立場上、仕方ない部分もあるのだろう。当の本人は慣れているのかあまり気にしている様子もなかったが。

「ま、ともかく、追っかけて来たらいきなり厄介ごとに首突っ込んでるし。おっさんもアズサちゃんもついていくの大変だったわよ」
「じゃあ今度こそアズサの番だね」

 カロルくんの言葉でみんなの視線がわたしに集中する。分かっていたけど、やっぱり緊張するものは緊張する。膝に乗せた手のひらをきゅっと握りしめ、軽く視線を落とす。小さく深呼吸をしてゆっくりと口を開いた。

「……本当はフレンさんと下町に戻るつもりでした。けど、その前にドンに呼び出されたんです――」

***

 深く息を吸い込むと潮の香りが鼻を擽った。どの世界にいても自然が与えてくれる力は同じだ。波の音に耳を澄ませるとほんの少し気持ちが和らいだような気がする。思っていた以上に体には緊張が走っていたらしい。
 ふと横に視線を向ければ大きな船が何艘も並んでいる。明日にはこのどれかに乗って新しい土地に向かうのだろう。フェローを追うために。

「ぼーっとして海に落っこちるなよ」

 夜風が髪をさらう。暗闇から聞こえた声にそれほど驚かなかったのはなんとなく来そうな気がしていたから。肩越しにゆっくりと振り返って闇夜に溶けた紫黒を見つける。
 ほら、やっぱり貴方は来てくれた。

「……落ちないですよ」

 冗談だよ。ユーリさんは笑いながらわたしの隣に並んだ。波の音だけが周りに響く。そのまま二人、黙って前を見据えていた。

「宿屋での話、本当なのか?」
「はい、わたしもびっくりしました」

 ドンから初めて聞いたときはわたしも驚いた。自分とそっくりの顔と名前を持つ人がいるなんてそう簡単にあることではない。最初はユーリさんたちについていきたい気持ちが勝っていたけれど、今は少し違う。胸の奥で会ってみたいという気持ちがくすぶっている。それは途方もないことなのかもしれないけれど。
 なあ、とユーリさんが再び口を開く。

「それがお前自身って可能性はないのか?」
「ないですね」

 彼らの中で唯一、ユーリさんだけはわたしが"記憶喪失"なのを知っている。それだって真実ではないけれど。だから、あり得るはずがないのだ。本来わたしはこの世界に生きる人間ではないのだから。
 はっきりとした声色にユーリさんが僅かに反応する。彼の意識がほんの少しこちらに向けられたのが分かった。

「ドン曰く、そのアズサさんは目を見張るほどの剣舞の使い手だったそうです。彼が認めるほどの、ですよ?」

 実際にドンと剣を交えたことのある彼ならその実力は言わずもがな分かっているはずだ。そんな人が見事だったと賞賛する剣の使い手とわたしではどう考えても繋がらないだろう。記憶をなくしてしまっているから、と仮定したとしてもわたしが異世界の住人という時点でその可能性は零と変わらないのだが。

「ま、会ってみれば分かるさ。世界中を旅してるギルドってんならどこかで会うだろ」
「え……?」

 意外な答えにわたしは思わずユーリさんを見上げた。
 早めに戻れよ、風邪引くぞ。まるで父親のようにさらりと言って踵を返すユーリさん。腰まである綺麗な髪を揺らしながら立ち去る背中を見つめる。それって、つまり――。暗闇に溶けようとする彼を慌てて呼び止める。

「あの、ユーリさんっ」

 ――わたしはみなさんの邪魔になっていませんか?
 ついていきたいと、勝手に追ってきたのはわたしだ。そのわがままを許してもらえるかずっと不安だった。ここにいていいのだろうかと。

(いや、違う)

 そう問いかけようとした口を一度閉じる。これからの旅はきっともっと過酷になる。彼らより体力も知識も何もかも劣っている自分が足手まといになるのは明白。だから武器を取ったのではないか。せめて自分の身ぐらいは自分で守れるように。
 目をつむり深く息を吸う。これは誓いだ。旅を始めた頃の無力なわたしと決別するための。

「アズサ?」
「わたし、頑張りますから。みなさんの力になれるように」

 瞼を持ち上げてユーリさんをまっすぐ見つめる。ゆっくり持ち上げた口角は切れ長の彼の瞳にどう映ったのだろうか。少しでも見栄え良く見えていればいい。ぱちくりと瞬きをした後、ユーリさんは目を細めてとても綺麗に微笑んだ。

「――ああ、頼りにしてるぜ」


top