082


 ノードポリカに着いた頃にはぽっかりと月が浮かび上がっていた。この街では闘技場が設けられており、毎日のようにお祭り騒ぎなのだという。例外もなく今夜も盛大に花火が打ち上げられ、夜空を照らしていた。
 カウフマンさんやパティちゃんたちに別れを告げ、まず向かったのが戦士の殿堂(パレストラーレ)の本拠地。レイヴンさんがドンから預かってきた手紙を届けるためだ。

「この先は我が主、ベリウスの私室だ。立ち入りは控えてもらう」
「そのベリウスさんに会いに来たんです」

 闘技場の入り口で待っていたのは巨大な斧を背負った大男。今にも獲物を捕らえてしまいそうな鋭い眼光に思わず身が縮む。こんな強そうな人を従えるベリウスとは一体どれほどの人物なのだろうか。考えてみればそもそも男性なのか女性なのか、そんな些細な情報すら知らないのだ。
 男が纏う空気は重たい。わたしと同じように緊張した面持ちのカロルくんがおずおずと口を開く。

「なんだって? おまえたちは誰だ?」
「ギルド、凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)だよ」

 聞き覚えのないギルド名に疑いの目を向ける男。まだ誕生して間もないから知られていなくても当然と言えば当然だ。
 ベリウスと会う約束がなければ会わないという向こうの主張に互いに顔を見合わせる。初対面の相手にどうやって約束を取り付ければいいのか。その時、レイヴンさんが胸元から一通の手紙を取り出す。あれがドンから渡されたものなのだろう。

「ドン・ホワイトホースの使いの者でも?」
「ドン……こ、これは失礼。我が名はナッツ。の街の統領(ドゥーチェ)代理を務めている。我が主への用向きならば私が承ろう」
「すまないねぇ、一応ベリウスさんに直接、渡せってドンから言われてんだ」
「そうか……しかしながら、ベリウス様は新月の晩にしか人に会われない。できれば、次の新月に来てもらいたいのだが……」

 新月。ナッツさんの言葉に頭上を見上げる。闘技場から見える月は満月に近い形をしていた。今日は出直すしかなさそうだ。

「わざわざ悪かったな。ドンの使いの者が訪れたことは連絡しておこう」

 ドン・ホワイトホースという名前だけで対応がこんなにも変わる。ナッツさんが理解のある人なのも関係するのだろうが、それでもドンの力がいかに大きいかを知らされる。
 次の新月が来るまでベリウスに会うことは出来ない。けれど、宿屋に向かうにはまだ時間が早い。空いた時間をどうするかという話になり、結果的に街で情報収集をすることになった。レイヴンさんはドンに手紙を書きたいと今から宿屋に向かうらしい。

「これだけ、人の集まる場所なら期待できそうですね」

 遠くで花火の音が聞こえる。懐かしい音色に不意に胸の奥がちりっと痛くなった。

***

「すみません、お聞きしたいことがあるんですが」

 ユーリさんたちがフェローやエアルクレーネについて街中で情報収集を行っている中、わたしも個人的に知りたいことを聞き回っていた。ドンから聞いた蒼の迷宮(アクアラビリンス)というギルド。あちこちの街を渡り歩く大道芸ギルドなら各地の大陸を渡り歩いているのではないかと思ったからだ。

「蒼の迷宮というギルドをご存じないですか?」
「蒼の迷宮? いやー、知らないね」

 けれど、なかなか思うように情報は集まらない。ギルドの名前を聞いても首を傾げる人がほとんどで反応はあまり良いものではなかった。もしかして小規模なギルドだったのだろうか。ドンと面識があるならそれなりに大きなギルドなのかと思っていたのだが。わたしの見当違いだったのかもしれない。

(そろそろユーリさんたちのところに戻ろう)

 気がつけば人探しに夢中でかなり街の外れまで来てしまったようだ。ユーリさんたちの姿は見当たらず、人通りもだいぶ少なくなってきている。月も随分と高いところまで上ってしまっていた。小さく息を吐く。
 踵を返して元来た道を戻ろうとした時、急に胸元の魔導器(ブラスティア)が赤く光りだした。ゆっくりと点滅する姿はまるで警告でもするかのようで。進もうとしていた足を止め、胸に手を伸ばす。その時、耳元で声が響く。

 ――避けて。

「え?」

 ふっと視界が暗くなる。次に瞬きをした時にはわたしは棍を構えて立っていた。自分で武器を取り出した記憶はない。でも手に握った棍の感覚は本物。そして、指先から腕にかけて走るびりびりとした感覚も。
 心臓がばくばくと煩い。現状はさっぱり理解できなかったが、ただひとつ理解できるのは少しでも気を抜いてしまえば命に関わるということ。細く長く息を吐いて相手を捉える。少しでも目を反らしてしまえばわたしなんて簡単に殺られてしまう。

(カプワノールでユーリさんを襲った人と同じ格好……)

 顔こそフードで隠されて見えなかったが黒い装束には見覚えがあった。そして自分の意思に関係なく動く身体も経験がある。
 僅かな街灯と月明かりが辺りを照らす。何もかも、あの時と同じだ。ただひとつ違うのは相手が最初からわたしを狙っているということ。地面を蹴ったのはほぼ同時だった。

「っ……!」

 びりっと手のひらが痺れる感覚。棍で相手の攻撃を防いだかと思ったら、唇が勝手に魔術を唱えていた。向こうもまずいと思ったのか咄嗟に距離をとる。その間を割り入るように現れた水柱は人の高さを遥かに超え、街中に知れ渡るほど大きな音を響かせた。確かにリタちゃんも使っている下級魔術はこんな威力を発揮しなかった。
 水しぶきが頬を跳ねる。水柱が消え去り全身ずぶ濡れの姿で現れた黒装束は不利だと思ったのかそのまま姿を暗闇の中に消した。その場に取り残されたのはわたし一人。あの声の主も何処かへ消えてしまった。

「何なのよさっきの馬鹿でかい魔術!」
「確かこっちだよね」

 ばたばたと賑やかな足音と一緒に現れた彼らの姿にどうしようもなくほっとする。けれど、それも一瞬の話。次に思ったのはこの現状をどこまで説明しようしようかということ。全てを話すにはわたしも分からないことが多すぎた。
 やがて辿り着いたユーリさんたちは案の定ぽかんと口を開けてわたしを見つめる。体の半分以上を濡らし、情けなく地面に座り込んでいたわたしは力なく笑うしかなかった。


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