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「……ユーリさん?」

 部屋に残っていたのは自分だけだと思っていたから、ベッドに腰かけたユーリさんを見つけてぱちぱちと瞳を瞬かせた。
 宿屋に着いて早々にわたしはリタちゃんとエステルちゃんによって問答無用でシャワー室に放り投げられた。流石にわたしも濡れたまま行動するのは嫌だったので素直に従うことにした。先にみんなで食堂に行ってますから、とその時エステルちゃんが言っていたのでてっきりユーリさんも一緒なのだと思っていたのだが。

「みなさんと一緒に行かなかったんですか?」

 タオルで髪の毛の水分をふき取りながらユーリさんの隣のベッドに腰かける。ぎしりと小さく鳴るスプリング。ユーリさんは顔だけこちらに向けると口角を持ち上げた。

「そろそろアズサに話してもらおうと思ってな」

 ぴしり、とタオルを持っていた手が固まる。ユーリさんを騙せるとは思っていなかったけど、まさか直接聞いてくるとは予想していなかった。あんまり深追いしてこない人だと思っていたから。何をでしょう? なんて少し笑って応えてみたが、ユーリさんは表情を崩さない。むしろ更に笑みを深めて、今度は身体ごとこちらに向けてくる。顔立ちが整ってるだけに恐怖が倍増しているのは気のせいではない。きっと簡単には逃がしてくれないだろう。内心、冷や汗が止まらない。

「分かってるだろ。エステルやカロルはあれで納得してみたいだけどな」

 通りすがりの酔っぱらいの喧嘩の仲裁の為に魔術を使ったら威力が大きくて自分も水を被ってしまった。
 自分でも苦し紛れの言い訳だったと思う。でも時間が遅いのもあって実際に酔っぱらった人は多かったのだ。アズサもドジだねえ、なんてカロルくんは笑ってくれたが目の前の人は違ったようで。そっと視線を反らす。その行動が彼の言葉を肯定してしまうと分かっていても。

「……」

 暗闇に光る赤い瞳。あれは確かにカプワノールでユーリさんを襲った人たちと同じだった。また、彼を狙いに来たのだろうか。それとも――。
 不意にあの瞬間がよみがえってしまい息をのむ。男と対峙している時は生きた心地がしなかった。刃物がぶつかり合う音や手足に伝わる衝撃、確かに五感では戦いを感じ取っているのに本人が他人事のように捉えているのだからどうしようもない。でも、もし仮にあそこに自分の意志が存在していたのなら、わたしは確実に相手に殺されていただろう。今更になって命のやりとりをしていたという事実にぞっとした。

「アズサ?」
「……ユーリさんは、路地裏でカプワノールで襲ってきた人たち覚えてますか?」
「ああ」

 あの時の出来事を知っているのは当事者であるユーリさんとわたし、フレンさんしか知らない。だから余計にエステルちゃんたちには話し辛かったというのもある。
 ふと自分の武醒魔導器(ボーディブラスティア)を見下ろす。これが赤く光り始めてくれたお陰でわたしは敵の存在に気がつくことができた。今はただのペンダントにしか見えないそれを指でなぞる。

「同じ格好をした人に会いました。多分、まだこの街にいると思います。何が目的なのかは分かりませんけど」

 わたしの雰囲気で大方の状況を把握したのだろう。ユーリさんはそれ以上、深く追及してくることはなかった。完全に乾ききっていない前髪の隙間から静かに覗き込む。眉間に皺を寄せ、瞳を伏せた様子が不意にダングレストで見た姿と重なる。何かを覚悟したような冷たい瞳。
 気が付いたらベッドから身を乗り出して黒い服の裾を引っ張っていた。

「ユーリさん」
「ん?」
「晩ご飯、食べにいきませんか? わたしお腹すいちゃって」

 駄目だ、今のユーリさんに考える時間を与えてはいけない。
 できるだけ明るい声色を意識して口角の両端を持ち上げる。本当はそれほどお腹がすいている訳ではなかったけれど、ユーリさんの思考を止める一番効率の良い方法だと思ったから。案の定、ユーリさんはぱちぱちと紫黒の瞳を瞬かせる。新しい街に来て早々にこんな事態になってしまったから不安にさせてしまっているだろう。簡単に捉えてはいけないことだと頭の中では分かっている。けれど、今は彼を一人にしてはいけない。そんな気がした。急かすようにきゅっと手の力を強めると、ユーリさんは観念したように薄い笑みを浮かべた。

***

 翌日、わたしはエステルちゃんたちと闘技場の客席にいた。ノードポリカの象徴とも言えるこの場所では毎日のように腕利きの戦士たちによる試合が行われているらしく、ひょんなことからユーリさんも出場することになった。身体も華奢で、ましてや女性のように綺麗な顔立ちの男性が次々と屈強な男たちを倒していく様は観客に響くものがあったのだろう。ユーリさんが決勝戦に勝ち上がる頃には周りも最高潮の盛り上がりを見せていた。

「どうしたのアズサ?」
「え?」
「せっかく決勝までいったのにあんまり嬉しくなさそうね」

 ユーリさんが勝ち進んでいくのは純粋に嬉しい。だけど昨日のことがなければもっと素直に喜べただろう。脳裏に蘇る記憶。あの黒装束がユーリさんを狙っていないという保証はどこにもないのだ。当の本人はあんまり気にしていないようだっだが。
 首を傾げるジュディスさんに唇を引き上げて静かに笑う。怪我しないか心配で、と正直な感想を零せば彼女は納得したように頷いて闘技場の真ん中に立つユーリさんを見下ろした。彼なら大丈夫よ、と言葉を告げて。場内のアナウンスはいよいよチャンピオンの登場を告げる。会場の雰囲気が一気に高まったのが分かった。


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