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 何度経験しても慣れない感覚だ。だって、自分の意志に関係なく相手の攻撃を受け止め、まともに扱ったこともない武器を身体の一部であるかのように使いこなしているのだから。わたしはただ目を開いて相手を視界に捉えるだけ。後は身体が勝手に動いてくれる。それだけでも十分に奇妙な状況なのだけれど。
 脇腹めがけて飛んでくる細身の剣を棍で受け止めお返しとばかりに棍を叩き付ける。大きく横に飛んだ黒装束は受け身も取れず、岩壁に身体を打ち付けそのまま動かなくなってしまった。相手に戦意がないと分かると途端に身体は自由の身になる。急に全身の神経が戻ったような感覚に足元がふらつき慌てて棍で支えた。

「すごいよアズサ! いつの間にそんなに戦えるようになったの!?」

 ぼんやりと今しがた自分が倒した(厳密には勝手に身体が動いていただけなのだが)相手を見つめているとカロルくんがぱたぱたと駆け寄ってきた。わたしと棍を交互に見つめては琥珀色の瞳をこれでもかと輝かせる。残念だが彼の質問には答えられそうにない。仮に真実を伝えてもきっと信じてはもらえないだろうから。わたしは力なく笑ってはぐらかす。そう言えば、さっきの状態をユーリさん以外に見せるのは初めてだったかもしれない。

「まるで別人みたいでしたね。私もびっくりしました」
(別人……)

 何気なく呟いたのであろうエステルちゃんの言葉がしっくりと胸に収まる。確かに、戦っているときのわたしは別人なのかもしれない。わたしではない"誰か"が変わりに戦ってくれている。けれど、そこに恐怖や不安は存在しない。むしろ安心感すら感じている。この人なら全身を預けても問題ない、と。相手が誰かも分かっていないのに不思議な話だが。
 周りの反応は様々だった。カロルくんやエステルちゃんみたいに瞳を輝かせる人もいれば、ジュディスさんやレイヴンさんみたいに驚いた表情を見せる人もいる。リタちゃんに至っては難しい顔で睨まれてしまった。怒ってるような雰囲気はなかったけれど。いくつもの視線が居心地悪くて咄嗟に視線を下に落とす。

「そ、それより今はラーギィさんを追いかけましょう。早く箱を取り返さないと」
「それもそうだな」

 ラーギィさんを追いかける途中、偶然にもパティちゃんと再会した。ノードポリカに着いて別れてしまった彼女はこんな危険な場所でお宝探しをしていたらしい。なんでも探している人がいるのだとか。その人のために危険な場所でも赴くというのだからすごい行動力だと思う。

「何なのじゃ、あれは」

そんな彼女が指を指したのはだいぶ奥まで進んだ頃。再びラーギィさんの姿を発見した時だった。いきなり駆けだし たラピードに驚き派手に転倒したラーギィさんとの間に突然現れた光。幾多の赤い小さな光が辺りを包み込み始めたのだ。そして、その光景には見覚えがある。

「エアル……?」
「ケーブ・モックのと同じだわ! ここもエアルクレーネなの?」

 エアル、それはこの世界独特のエネルギーだ。元素のような役割と勝手に捉えてはいるけれど、おそらく正確なものではないのだろう。大量のエアルは人体に有害な影響も与えるという。現状のエアルの量だと触れるだけでも危ないようで身を縮ませる。
 ケーブ・モックで見たエアルクレーネだって本来あるべき姿ではなかった。エアルを過剰に噴出し、今と同じように赤い光を放っていた。だが、ここまで嫌な感じはしなかった。むしろ綺麗とまで思ったくらいで。なんだろう、この背筋が冷たくなるような感覚は。

(気持ち悪い)

 ずっと追いかけてきたラーギィさんがすぐそこにいるのに道はエアルで阻まれている。どうしようもないもどかしさを感じていると、突然地面が小刻みに揺れ始める。同時に頭上を黒い影がおおい、それが地上に降り立つ。今まで何度も魔物と対峙してきたけれど、あまりの規格の大きさに目がくらんだ。

「あれがカロルの言ってた魔物か!?」
「ち、違う……あんな魔物、見たことない……」

 今にも泣き出してしまいそうなカロルくんの声が洞窟に響く。辺りは過剰なエアルで満ち溢れ決して足場が多いとは言えない。ましてや魔物の方は力が増強してしまうのだから圧倒的にこちらが不利な状況に立たされている。あの大きな足がいつ、こちらに襲い掛かってくるか。乾いた唇を引き結ぶ。
 竜の姿をしたようなその魔物は鋭い咆哮を上げたかと思うと、口を大きく開いた。そして辺りに漂うエアルを吸い込み始めた。まるで食べるかのように。あっという間に赤い光は魔物の体内に収まってしまった。

「エアルを食べた……?」

 再び魔物が咆哮を上げる。びりっと身体に電気が走ったような感覚に思わず顔を歪ませる。一瞬、傷でも入ったのかと頬に手を伸ばしたが濡れた感触はない。顔に傷がつくのは避けられたようだった。

「アズサ……おまえ、動けるのか?」

 いきなりの問いかけに首を傾げつつもユーリさんの姿を横目で捉える。紫黒の視線が絡み合って、そこで彼の質問の本当の意味を知った。以前にも同じような状況があったが、その時はエアルが暴発していたからのはずだ。辺り一帯のエアルは目の前の魔物が全部食べてしまったから違うはずなのに。肩越しに振り返って周りを見やる。ユーリさんは勿論、レイヴンさんやジュディスさん、パティちゃんもみんな金縛りのように動けなくなってしまっていた。
 背筋に冷たいものが通る。全身の血が一気に頭のてっぺんから下がっていく。おそるおそる顔を持ち上げると、暗がりの中で魔物と目があったような気がした。ひっ、と思わず引きつった声が漏れる。頭の中が真っ白で何を考えたらいいのか分からない。ただただ茫然と見上げるしかなかった。

「え……」

 絶対に襲い掛かってくるのだろうと思っていた。だが、魔物はしばらくわたしたちを見下ろしていたかと思うと翼を広げどこかに飛び去ってしまった。人間に興味がなかったというのだろうか。それともただエアルを食べに来ただけだったというのだろうか。今まで敵意を剥き出しにした魔物しか対峙してこなかっただけに戸惑ってしまう。

「アズサ!」

 ユーリさんに名前を呼ばれてはっと意識を持ち上げる。地面を蹴る音は反対側にいたラーギィさんのものだろう。姿が見当たらない。
 本来の目的はラーギィさんから奪われた箱を取り返すこと。彼を追いかけるために再び足を動かす。難しい顔をしたリタちゃんが最後までその場に留まっていた。


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