087


 腕に抱えた赤い箱を強く抱きしめる。また奪われたりしないように。
 これの為に危険とも言われていた洞窟を潜り抜けてきた。盗まれたものを取り返したかったから。その目的は達成された。だから、あとはこれを盗んだ張本人――ラーギィさんから話を聞くだけだと思っていた。

「うそっ……!」
「ふん。そういう仕掛けか」

 周りの反応を見る限り、面識がないのはわたしだけのようだった。現状をいまいち理解できないまま静かに前を見据える。今、視線の先に立っている男はスーツを身に纏った一人の男。ずっとラーギィさんだと思って追いかけてきた人物はどうやら違ったようだ。突然、ラーギィさんの体が眩い光に包まれたかと思ったら雰囲気がまるで逆な人物がいた。男は余裕の笑みを浮かべながら肩を竦める。

「おーコワイで〜す。ミーはラゴウみたいになりたくないですヨ」
「ラゴウ……? ラゴウがどうかしたんですか?」
「ちょっとビフォアに、ラゴウの死体がダングレストの川下でファインドされたんですよ。ミーもああはなりたくネー、ってことですヨ」

 何故、今ここでラゴウの話が出てくるのか。相手の意図は読み取れないが、私利私欲のままに己の権力を振りかざしていた男だ。恨みを持った人間はきっと少なくない。ラゴウが死んだ理由を決して男は語らなかったが、おそらく――誰かに殺されたのだろう。口ぶりから察するに。裁判で自分の罪を軽くしたのにも関わらず姿を消していたので違和感はあったが、まさか、死んでいたとは。

「ノードポリカでアズサを襲ったのもおまえの仕業だな」

 道中、ラーギィさんと入れ替わるように現れた黒装束の男たち。彼らを従えているのが目の前の男なのだとしたら、昨日の夜襲ってきたのも同じ人物の仕業となる。相手の返事を黙って待っていると視線がかち合う。ひとつの感情も感じない冷たい瞳。男は黙っていた。それがユーリさんの問いかけの答えだったのだろう。唇がゆっくりと三日月に弧を描き――ぞっと背筋に冷たいものが走る。

「本当はショーとして闘技場の魔物たちとバトルしてもらおうかと思ったんですけどネー。どうやら憶測を誤ったようなので」

 もしあの夜、敵に屈していたとしたらわたしは闘技場の見世物として魔物たちと戦っていたということだろうか。舞台に湧き出た魔物の数は一体や二体ではなかったはずだ。あれとわたしが戦う……? 容易に想像できる未来に身体が震えた。勿論、捕まる前に殺される可能性だってあったと思う。結局、あの場でわたしが生き残る方法は相手を負かすことだけだったのだ。

***

 例によって逃げようとする男(イエガーという名前らしい)を追いかけようとしたが、彼の部下である2人の少女とカロルくんが言っていた魔物に行く手を塞がれてしまい姿を見失ってしまった。更には洞窟も終盤まで差し掛かっていたらしく、山を越えてエステルちゃんが会いたいと言ってたフェローのいる砂漠まで辿り着いてしまった。頬に張り付く生ぬるい空気にきゅっと眉間に皺が寄る。出口から差し込む光に目が眩みそうだ。

「……わたし……やっぱりフェローに会いに行きます」

 帝都のお城に帰るはずだったエステルちゃんが旅を続けている理由がフェローだった。ダングレストで襲ってきた際、彼女を『世界の毒』と呼んだらしい。その意味を求めて旅を続けている、と。
 一人、砂漠へと向かおうとする彼女をカロルくんが慌てて止める。彼女の護衛がカロルくんを首領とするギルド、凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)の初仕事だと聞いている。流石に依頼人だけで危険な土地に向かわせることに抵抗があるのだろう。澄明の刻晶(クリアシエル)も取り戻し、これ以上あの男を追いかける必要もないだろうと彼女についていこうとする。だが、それに待ったをかけたのがリタちゃんだった。

「ちょっと待って、本当に行くつもり? わかってんの? 砂漠よ? 暑いのよ? 死ぬわよ? なめてない?」
「わかってる……つもりです……」

 リタちゃんの主張は最もだ。まだ砂漠の地に降り立っていない今でもじんわりと汗が首筋にまとわりついている。これで洞窟を抜ければますます過酷な現実が待っているのだろう。生半可な気持ちで行っていけないのはエステルちゃんだって分かっている。それだけ危険な土地なのだ。

「……砂漠は三つの地域に分かれてるの」
「は?」

 戸惑う二人を他所にジュディスさんは淡々と話を続ける。西側の山麓部、最も暑さが過酷な中央部、東側に位置する巨山部。山麓部と中央部の中間地点には街もあるらしい。何の話よ? と訝しるリタちゃんに今度はユーリさんが加勢に入る。

「込み入った話はとりあえず、そこでしようってことだよな?」

 途中参加の形になったパティちゃんも砂漠に向かうことに反対する気はないらしい。人がいれば何事も手がかりになる、と主張するパティちゃんにひっそりと感心していた。探しているものこそ彼女とは違うけれど、その考え方はわたしの道しるべになる。砂漠に足を踏み入れるのは正直に言うと不安はあるけれど、目的さえ見つかれば頑張れるような気がした。もしかしたら蒼の迷宮(アクアラビリンス)も砂漠の地へ赴いているかもしれない。

「アズサはどうだ?」
「わたしも、行ってみたいです。探してるギルドを知ってる人がいるかもしれないので」
「アズサ姐も探し物があるのか? うちと一緒じゃのう」
「そうだね。パティちゃんみたいなすごいお宝とかではないんだけど……」

 闘技場を出て以来、ずっとハプニングの連続で身体も休めていないのだ。今からノードポリカに戻るより、オアシスの街に向かった方が効率が良いのだろう。ジュディスさんの話を聞く限り、今いる場所からそれほど離れていないらしい。
 しばらく難しい顔をして黙っていたリタちゃんだったけれど、やがて諦めたように大きく肩を落とした。

「……わかったわよ。とりあえず、そこまで行きましょ」


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