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 じっとりとした熱気が肌に張り付く。灼熱の太陽は容赦なく体力を奪っていく。腰のベルトにぶら下げた水筒もだいぶ軽い。辛うじて道中の水源や道端に咲いた巨大なサボテンから水分を補給することはできているが、それも次に補給できるのはいつになるかも予想ができない。おまけにこんな状況でも魔物は現れ、わたしたちに襲い掛かってくる。決して楽な道ではないとは覚悟していたものの、やはり現状は甘くなかった。

(リタちゃんがマントを貸してくれて助かった)

 布一枚、直接太陽を遮ってくれるだけでも大分違う。マントを手繰り寄せながら小さく息を吐く。それは砂漠に入る直前、リタちゃんがわたしに渡してくれたものだった。きっと、彼女なりに気遣ってくれたのだろう。昨日は……色々と自分らしくないことをしてしまったから。
 そんな中、マンタイクで別れたパティちゃんと再会した。こんな危険な土地でも彼女はアイフリードのお宝を探しているようだ。けれど、彼女の本当の目的はアイフリードの宝を見つけて自分の記憶を取り戻すことらしい。その為に世界中を旅しているのだとか。今まではぼんやりと聞き流していたけれど、もしかしたら蒼の迷宮(アクアラビリンス)について何か知っているかもしれない。今度、機会があったら尋ねてみよう。そう思いながら重たい足取りを進めていると、フードから覗く視界の端に黒い塊が映る。

(なに……?)

 最初は魔物の類かと思って身構えたが、それにしてはぴくりとも動く様子が感じられない。違和感を感じて足を止めるとわたしの後ろを歩いていたカロルくんが気づいて口を開く。

「どうしたのアズサ?」
「うん……ちょっと」

 辺り一面、砂しかない世界だったからこそ余計に目に留まったのかもしれない。ぐっと目に力を込める。そうして自分の瞳に映ったものに一瞬だけ戸惑いが生まれたが、ぐっと唇を引き結んで駆け出す。砂にとられてもつれそうになる足を懸命に動かして黒い影に向かって一心に走る。背後からわたしを呼び止めるカロルくんの声も聞き入れずに。
 だって、わたしの見間違いでなければ、あれは――。

***

「あなたたち、もしかしてアルフとライラの両親かしら?」
「え、ええ、そうです!」
「もしかして、マンタイクであの子たちに……?」

 手渡した水筒を握りしめたまま、夫婦は必死に首を縦に振った。遠目で人が倒れているのは分かったけれど、まさかあの二人の両親だとは思ってもみなかった。内心驚きながら地面に座り込んだままの母親の背中をさする。ついさっきまで砂漠の真ん中で意識を失いかけていたのだ。いきなり身体に負担をかけるのは良くないだろう。
 子供たちが心配して自分たちを探しに行こうとしていたのだと知るや否や即座に家に帰ろうとする二人を留まらせる。今から戻るにしても彼らの状態では無事にマンタイクに辿り着くのも危ういだろう。魔物だっていつ襲ってくるか分からないのだ。

「ちょっと落ち着いて、ね」
「そうなのじゃ、少しこの辺りで横になるのじゃ」
「ちょっとパティ、それは落ち着きすぎ……」

 その時、甲高い鳴き声が上空一帯に響き渡り咄嗟に下を向いていた顔を持ち上げる。勢いが良かったのか被っていたフードがぱさりと背中に落ちる。それはマンタイクの街を出てすぐに聞いたフェローの声ととてもよく似ていた。だが、ぐるりと周囲を見渡してもそれらしき姿は見当たらない。あんな規格外の魔物を見逃すことはないと思うのだが。それでもフェローがすぐ近くにいることに変わりはない。

「ようやくご対面か。干からびるところだったぜ」

 小さく呟いたユーリさんの表情はやはりいつもより余裕がないように見える。魔物が現れれば誰よりも最初に飛び出していく彼の体力の消耗は計り知れない。本当はわたしも戦いに参加して少しでも加勢できれば良かったのだけど、案の定、暑さにやられてしまいついていくことに精一杯の状態。せめて足を引っ張らないように後ろで彼らをサポートをするしかできないのだ。

「アズサ、二人を頼んだ」
「分かりました」

 見下ろされた紫黒の瞳を見つめて頷く。ユーリさんたちが戦いに集中できるように、夫婦の身の安全を確保するのがわたしの仕事だ。母親に添えた手と反対のそれを胸のペンダントに伸ばした。たとえ夢の中の出来事だったとしても自分に自信をつけるおまじない位には役に立ってくれる。

(これがわたしを守ってくれる、大丈夫)

 一度だけ強く握りしめて母親が持っていた水筒を受け取る。中身が軽くなったことには気づかないことにした。またサボテンなりオアシスなり見つけて補給すればいいだけの話だ。腰のベルトに水筒を戻して、不安にさせまいと明るめの声色で母親の顔を覗き込む。

「大丈夫ですか、立てますか?」
「ええ……ありがとう」

***

「なにかおかしい……気をつけて」

 ジュディスさんの一言でその場の空気が緊張の走ったものに変わる。フェローの声を頼りに散々歩いて来たけれどその姿は一向に現れず、流石にユーリさんたちにも疲労の様子が見え始めていた頃のことだった。足取りは自然と止まり周囲に警戒を張り巡らせる。不安で寄り添う夫婦の傍ら、静かに武器を取り出す。その時、再び鳴き声が響いた――砂漠の入り口で聞いたフェローのものとは違う声が。

「あんな魔物……ボク知らない……」

 それは黒く半透明の姿をしていた。空中を漂い、禍々しい瘴気を纏う。明らかにこの世の生き物とは思えないそれにカロルくんが今にも泣きそうな声を上げる。

「魔物じゃないわね、あれは」
「魔物じゃなかったら何よ!?」

 行く手を阻む敵はどんな相手でも立ち向かってきた。しかし、今回ばかりは誰もが武器を交えることに躊躇いを感じていた。人間でも魔物でもない、未知の生き物に危機感を覚えずにはいられなかったのだ。ただ事ではない状況を感じ取っているのか、ラピードもしきりに吠える。やがて魔物がゆっくりと確実にこちらに向かってくる。はっきり言って逃げ場はなかった。ぐっと武器を握る力をこめる。

「アズサ!」
「はい……っ」

 戦いは長く、そして過酷だった。慣れない砂漠の土地で体力が激しい中、必死に応戦するユーリさんたちにたまらずサポートに入ったけれどわたしが手助けできることなんて魔術で防御壁を張ったり相手の気を反らすことぐらいしかできない。敵が放ってきた攻撃が当たらないように夫婦を守りながら。
 最後にジュディスさんの一撃が決まり、相手の姿が消える。そこで気が抜けたのがいけなかったのだろう。全身からドッと疲れが溢れて地面に座り込む。瞼が一気に下がっていった。

(今倒れたら駄目……)

 そう頭の中では分かっているのに身体が言うことが利かない。鉛のように重たくなっていく身体。座っているのも辛くて砂の上に身を投げる。最後の気力で見たのは次々に倒れ込む人影。やはり彼らのぎりぎりの状態で戦っていたのだ。助けなきゃと思って最後の力を振り絞って手を伸ばしてみるも、それは到底届きそうにない。
 そこでわたしの意識は途切れた。


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