094
「ほらほら、早く乗りな。楽しい旅に連れてってあげるんだ。ね?」
耳にまとわりつくねっとりとした嘲笑を含んだ声。遠くからでもよく見える彼の装いはアレンジこそあれど騎士団のそれにとてもよく似ていた。
「キュモールって……?」
「あ、そっか。アズサは知らないんだよね」
不発には終わったもののフェローを探す用事が終わり、次はレイヴンさんの目的であるベリウスに会う為にノードポリカに向かうことになった。道の途中にはリタちゃんが調べたいと言っていたエアルクレーネもある。それにはまず砂漠を超え、マンタイクに戻る必要があった。ヨームゲンの街で十分に準備を整え、体力と戦いながらやっとの思いでマンタイクに辿り着いたのだが――いつの間にか物陰に隠れている。その理由は街の真ん中で存在感を放つ一台の馬車にあった。そして、それを取り囲む騎士団たち。
他の騎士に支持を送る派手な容姿をした男がキュモールというようだ。渋い顔をしたカロルくんから簡単に概要を聞けば、ユーリさんたちも同じような表情をしているのにも納得がいった。ヘリオードで彼らが騒ぎを起こしたのはそれが原因だったのか。
「……そんなことが」
「ほらほら、早く乗りな。楽しい旅に連れてってあげるんだ。ね?」
ヘリオードで権威を振るっていた人間がどうしてこんな僻地にいるのか。きっと何かの理由があるはずだ。息を潜めて周囲に警戒していると、忙しなく駆け回る騎士の隙間からキュモールの足元で必死に頭を下げる男女が見えた。おそらく夫婦なのだろう。何度も何度も二人で額を地面に擦りつけている。その光景は下町にいた頃に何度も見たことがある。
結局、どの土地に行っても位の格差は無くならないのだ。
「私たちがいないと子供たちは……!」
「翼のある巨大な魔物を殺して死骸を持ってくれば、お金はやるよ。そうしたら子どもともども楽な生活が送れるんだよ」
「お許しください!」
「知るか! 乗れって言ってんだろう。下民どもめ! さっさと行っちゃえ!」
キンキンと耳に残る声が街中に響く。夫婦は騎士達に捕えられ馬車に乱暴に放り込まれてしまった。あのまま砂漠に置き去りにされてしまうのだろうか。いたたまれない気持ちになってわたしは静かに視線を落とす。
「翼のある魔物ってフェローのことだよね」
「……おそらくは」
騎士団がフェローを探す理由はさっぱり分からなかったが、このままでは夫婦の命が危ない。エステルちゃんは何とかキュモールを食い止めたい様子だったけれど、ユーリさんも含めて周りが良しとはしなかった。正直、わたしもあそこに飛び込むのは気が進まない。仮に止められたところでその場しのぎにしかならないのは目に見えている。エステルちゃんは悲しげに瞳を伏せた。
「……じゃあ、どうするんです?」
「カロル、耳貸せ」
ユーリさんがカロルくんに耳打ちをするとカロルくんの目が大きく見開かれた。何かを察したジュディスさんがカロルくんに何かを手渡した。身を低くして隠れていたわたしにはそれは見えなかったけれど今の状況を変えるのには都合のよいものらしい。カロルくんはしばらくそれを困ったような目で見つめていた。
「危なかったら……助けてよ?」
黙って頷くユーリさんを見届けて、カロルくんは馬車に向かって駆けていく。もちろん騎士には気づかれないように。あの子はわたしよりずっとしっかりしているから大丈夫。そう頭の中では理解していてもカロルくんが無事に馬車の車輪をこっそり外して戻ってくるまで不安な気持ちがなくなることはなかった。
「これがガキんちょに授けた知恵ってわけね」
「お疲れさん」
「ありがとう、カロルくん」
「ふーっ……ドキドキもんだったよ」
しかし、結局のところ今回の対処はただの時間稼ぎにしかならない。車輪が元通りになればさっきの夫婦は砂漠の真ん中に捨てられてしまう。それでもできる限りのことはしたかったのだ――この場にいる誰もが。そういう性分なのは今までの旅で十分に理解している。
「オレらも、宿屋に隠れに行くか」
***
「あのキュモールっての、ホントにどうしようもないヤツね」
ベッドの上で胡坐をかいたリタちゃんが憎らし気に呟く。余程、あのキュモールという男が嫌いなのだろう。元々の気の強い性格ではあったけど彼女がここまで嫌悪感を露わにするのは珍しい。わたしはヘリオードの出来事を知らないが、あの男があまり人間性の整った人物ではなさそうなのはさっきの様子から感じ取れた。人を人とも思っていないような見下す目はまるでラゴウを見ているようで――好きではない。脳裏にラゴウの屋敷の地下で見たあの卑しい目が嫌でも蘇ってくる。
「どうして、世の中、こんなにどうしようもないヤツが多いのじゃ」
「あれはたぶん病気なのよ」
「それはきっと絶対、バカっていう病気なんじゃな」
「わかってるわね、あんた。きっとそうだわ」
キュモールはフェローを捕まえてどうするつもりなのだろうか。そう簡単に捕まえる相手だとは到底思えないが。しかし、キュモールがマンタイクの大人を使ってフェローを探し続ける以上、もし大人がいなくなれば今度は子どもが標的になる。ジュディスさんの言葉にエステルちゃんが強く反応した。
「そんなの絶対にだめです! わたしが皇族の者として話をしたら……?」
「ヘリオードでのこと、忘れたのかしら?」
「そうだよ。あいつ、お嬢様でもお構いなしだったんだよ」
口を噤むエステルちゃんをわたしは黙って見守っていた。キュモールの行いは決して許されることではないが、それを咎める権利をわたしは持っていない。エステルちゃんがどうにかしたいのは十分に伝わったし、彼女の地位を最大限に使えばどうにかなることなのかもしれないけれど、それは今すぐにできることではないと思うし今やるべきことではないように思う。次の新月は近い。悪戯に時間を無駄にしてベリウスに会えなかったら元も子もないのだ。
「例え捕まっても、釈放されたらまた同じことを繰り返すわね。ああいう人は」
「だろうなぁ。バカは死ななきゃ、治らないって言うしねぇ」
レイヴンさんの呟きに反対側のベッドにいたユーリさんが何かを呟いたような気がしたのだが上手く聞き取れなかった。伏せられた紫黒の双眸が闇夜のように真っ暗に染まっていたのがひどく印象的だったのは覚えている。。
その日の夜、フレンさん達の部隊によりキュモール隊が捕らえられたというのを耳にした。しかし、肝心のキュモールはいつまで経っても捕まったという話を聞かなかった。