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 キュモール隊が捕らえられた。その噂はたちまち街中に広がっていきマンタイクは喜びに湧く。もう騎士たちの視線に怯える必要はなくなったのだ。やがて住民が一人、また一人と広場に集まっていきやがて大きな宴へと変化していく。お酒が配られ、料理が置かれ、音楽が流れ始める。もう夜中だというのにマンタイクの街はお祭りのように活気で溢れかえっていた。

「ふー踊った踊った。ちょっと休憩なのじゃ」
「お疲れ様、パティちゃん」

 長い三つ編みの髪を揺らしながら戻ってきたパティちゃんはベンチに座っていたわたしの隣に座ると渡したジュースを口に持って行った。地面に届いていない足をぷらぷらと揺らすその姿はなんとも微笑ましい。ひっそりと笑みを浮かべながらわたしも飲み屋のお姉さんからもらった彼女と同じジュースを飲んだ。甘酸っぱいベリーの味が口いっぱいに広がる。
 今、広場に残っているのはわたしとパティちゃんしかいない。さっきまではリタちゃんやカロルくんたちも踊りに参加していたが踊り疲れて宿屋に戻っていった。わたしも(踊りがあまり得意ではないのもあって)本当は宿屋に戻りたかったのだけど、踊り足りないというパティちゃんの見張りをリタちゃんに頼まれてしまって広場にほど近いベンチで見守っている。

「キュモールとかいう男が捕まって本当に良かったのじゃ」
「うん、本当に……良かった」

 広場の中心では大きな炎が燃え上がり、それを取り囲むようにして住民たちが楽しそうに踊っている。今の光景があるのはフレンさんがキュモール隊を取り締まってくれたお陰だ。街の状況を知っていただけに騎士の制圧から解放されたのはやはり嬉しい。再びジュースを口につけていると軽やかな音楽が流れる最中に聞き覚えのある声が耳に届いた。

「お姉ちゃん!」

 駆け寄ってきた勢いそのままに一人の少女がわたしの腰に抱きついてきた。零れそうになったジュースを慌ててパティちゃんに手渡してライラちゃんの華奢な肩に手を乗せる。ぱっと顔を上げた彼女は大きく肩で息をしながら両親が戻ってきたことを嬉しそうに話してくれた。彼女の両親とはキュモールのこともあって街に着いて早々に別れてしまったから心配していたのだけど、無事に家に帰ることができたようだ。良かったね、と笑いかけると彼女はは願して首を大きく縦に振った。

「ねえ、お姉ちゃん。やっぱりあの踊りやってくれないの?」

 まるで改めて確認をするような、それでいてほんの微かに期待を含んだ無垢な瞳がこちらを見上げている。ライラちゃんに掴まれた服の裾がきゅっと引っ張られるのを感じた。彼女はまだ信じているのだ、わたしが以前に出会った"大道芸のお姉ちゃん"なのだと。脳裏に蘇る夢の記憶。瑠璃色のマント、胸のペンダント、そして自分と瓜二つの顔。わたしが旅を続ける唯一無二の理由。一瞬だけ唇を引き結び、それから情けなく笑う。

「……ごめんね、ライラちゃん。わたしは」
「うちもアズサ姐が踊るのを見たいのじゃ」

 隣から聞こえた予想外の発言にわたしはぽかんとパティちゃんを見つめる。彼女はどこから持ち出してきたのかおでんを頬張るとにんまりと口元を三日月に描いた。そしていきなりその場に立ち上がってわたしの腕を掴む。その零れそうに大きな目は全く疲労を映していない。なんとなく先の未来が見えてわたしは慌てて口を開いた。

「パ、パティちゃん……っ。最初も言ったと思うけどわたし、踊りはちょっと苦手で」
「問題ないのじゃ。うちも一緒に踊るからの。きっとアズサ姐もすぐに楽しくなるのじゃ」

 きっとパティちゃんは踊れないわたしに気を使ってくれて一緒に踊ろうと言ってくれたのだろうがそうじゃないのだ。ライラちゃんが求めているのは”大道芸のお姉ちゃん”の踊りであって単純にわたしが踊ればいいというものではない。ぐいぐいと腕を引っ張るパティちゃんの真似をして反対側からライラちゃんがわたしの腕を引っ張る。明らかに期待した瞳はきらきらと夜空の光を浴びて輝いていた。相手が相手なだけに強く言い返すこともできない。

「行こう! お姉ちゃん!」
(どうしよう……)

 誰かタイミングよく通りがかったりしてくれないかな。レイヴンさんとかお酒飲んでるの見かけたし、ジュディスさんも街のお兄さんに声をかけられているのを見た。ユーリさんは……そういえば見かけていない。宿屋から出ていないのだろうか。周囲をぐるりと見渡してみたけれどそんな上手に事が進むはずもなく。腕を振りほどくこともできず、かと言って踊りの輪に加わるのも気が引けて途方に暮れていると脳内に凛と響くあの子の声。

 ――大丈夫。

 本当に? と口から零れそうになるのを懸命に堪えた自分を褒めてあげたい。ぐっと唇に力を込めたのが彼女にも分かったのかくすくすと忍び笑いが聞こえた。夢の中のあの子は今にも泣きそうな顔をしていたから笑っているのがちょっと意外で。そしてまた声が響く。

 ――任せて。

 その時、さっきまで流れていた軽快な音楽が闇夜に溶けていく。きっと演奏が一区切りついたのだろう。人々の足も次第に止まりパチンと火の爆ぜる音が辺りに響き渡った。終わってしまったのかの? ずっと腕を引っ張っていたパティちゃんも動きを止める。ライラちゃんの表情も明らかに残念そうに陰った。

「――大丈夫」

 するりと彼女たちの手からすり抜けたそれはベンチに折りたたんで置いておいたマントに伸ばされた。砂漠を乗り越える際にリタちゃんが貸してくれたもの。それを頭からすっぽりと被る。もちろん、一連の行動にわたしの意思は関わっていない。
 広場の中心に進むにつれて人々の視線が自分に集まってくるのが分かった。それでも足は止まることを知らない。いつものわたしなら逃げ出したくなってしまうような状況だったけど、今は大人しく現状を見守る。だって今のわたしはわたしではないのだから。

「……本当は慣れ親しんだものの方がやりやすいんだけど」

 ぽつりと一人でに呟いた彼女はようやく足を止めると深く被ったフードの下から周囲を伺う。誰もが自分たちの前に突然現れたマントを纏う少女に目を向けている。舞台は整ったと言わんばかりに彼女はそっと薄く笑みを浮かべた。そして、ゆっくりと手を前に差し出す。
 ふわっと身体が軽くなったような気がした。指先が、腕が、足がしやなかに柔らかく舞い踊る。しっかりとブーツは地面を踏みしめているのに無駄な音は一切聞こえない。まるで水面を滑っているかのようにわたしの身体は自由自在に舞っていた。やがてどこからか清らかな竪琴の音色が聞こえてくる。さらさらと流れる清流のような心地の良い旋律だった。演奏者が踊り手に合わせたのか、踊り手が演奏者に合わせたのかは正直に言うと分からない。それでも音楽と舞はひとつとなって美しい空間を作り上げた。

「お姉ちゃんやっぱりすごい! すごい!」
「見事だったなあ。あんなの初めて見たよ。どこかの踊り子なのか?」
「誰かに教えてもらったのかい? それとも独学?」

 踊りが終わって自分の身体が戻ってきたのが分かると同時にどっと人が集まってきた。矢継ぎ早に質問をされるが苦笑いで答えることしかできない。なにせ舞を踊るなんて初めてで、しかも本当に踊ったのはわたしではないのだから。だけどそんなことを主張したって到底理解してもらえるはずもないからこうして大人しく口を閉ざす。そして、周りの人たちと同じように興味津々で瞳を輝かせるパティちゃんの手を引いて宿屋へと駆け込むのだった。
 その日はもうあの子の声は聞こえなかった。


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