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 人前で踊りを披露するなんて初めてのことで高揚した気持ちが冷めず心臓がどくどくと煩かった。それでも、昨日の出来事をユーリさんたちには話していない。きっと話がややこしくなってしまうと思ったし自分でも上手に説明できる自信がなかったからだ。だからパティちゃんにも余計な事を言わないように口を酸っぱくして伝えておいた。これは二人だけの秘密だよ、と。

「うちは必死に隠すようなものではないと思うがのう」

 パティちゃんはどこか腑に落ちないような表情をしていたけれど、最終的には黙っていることに賛成してくれたようだった。その日の夜はなかなか寝付けなかった。
 翌朝、集合場所でもある宿屋の前でくわりと大きく欠伸をしたレイヴンさん。夜遅くまで飲んでいたアルコールがまだ抜けていないのだろう。目がとろんとしている。もしかしたら、ただ朝日が眩しいだけなのかもしれないが。レイヴンさんには気づかれないようひっそりと笑みを零す。今朝も砂漠地帯の太陽は容赦なく地面に降り注いでいる。少しでも建物の影や木陰に隠れていないとどんどん体力を削られていくようだ。リタちゃんから借りた身体をすっぽりと覆うマントはまだしばらく手放せそうにない。

「アズサ」

 日差しを遮る為に木陰に隠れるわたしにひとつの影が重なった。俯いていた顔を上げるとユーリさんがそこに立っていた。唇を真一文字に引き結んだユーリさんは小首を傾げるわたしの腰辺りに視線を落とす。長い睫毛に縁どられた瞳がうっすらと陰った。

「腕が痛むのか?」

 最初は何のことを言われているのか分からなくて疑問符を浮かべていたけれど、ユーリさんの視線の先を追いかけてようやく言葉の意味を理解した。自分でも無意識のことで全く気が付いていなかった。ぱっと両腕を後ろに回して慌てて笑みを作る。

「い、いえっ……ちょっと日に焼けちゃったみたいで」

 原因は間違いなく昨日のあれだ。慣れない筋肉を使って腕が微妙に筋肉痛になっていた。朝からなんとなく気にはなっていたもののすぐに治るだろうと特に気にも留めていなかった。まさか知らず知らずのうちに腕を擦っていたとは。それをユーリさんは目敏く気づいたのだろう。だけど、心配してもらうほどのことではないのだ。大丈夫ですよ、と薄く笑って見せるとユーリさんはそうか、と小さく呟いて視線を落とした。そのまま黙り込んでしまう。

(なんだか、元気ない……?)

 普段のユーリさんならもう少し聞き返してきそうなのに。違和感は感じたものの下手に喋って余計なことを口にするわけにもいかない。わたしは静かにマントの裾同士を合わせるように引き寄せた。

***

 マンタイクからノードポリカへ向かうにはいくつかの通り道があるらしい。だが、エアルクレーネを調べたいというリタちゃんの主張もあり来た道と同じカドスの喉笛を通っていくことになった。洞窟なだけあって薄暗くはあるけれど、ほぼ一本道で迷うこともないと思っていたのだが。

「フレン隊です……」

 洞窟の入り口近くの岩陰に隠れたエステルちゃんがぽつりと呟いた。心なしか悲しげな表情を浮かべる彼女を横目にわたしは洞窟奥に目を凝らす。薄暗い視界の中にぼんやりと浮かぶいくつかの人影。騎士の見分けはわたしにはさっぱり分からなかったけど、ずっとお城で暮らしてきた彼女が言うのだから間違いはないのだろう。肝心のフレンさんは見当たらなかったが。代わりと言わんばかりに彼らの傍らには馬にも似た魔物が首輪のようなもので繋がれていた。マンタイクの街ではあんな魔物を連れていた記憶はない。

「封鎖ってのはあれ?」

 マンタイクを出る直前、ユーリさんが言っていた。フレンさんの部隊がノードポリカを封鎖しようとしていると。実際に今朝のマンタイクの街に騎士団の姿は全く見当たらなかった。

「やっぱりフレン隊がやってたんだね……。でも……あの魔物は何?」
「騎士団で飼い慣らしたってとこかね」
「飼い慣らすって、何の為に……?」

 単純に道を封鎖するだけなら騎士団だけで事足りるはず。わざわざ魔物を飼い慣らす必要などないはずだ。首を傾げるわたしやカロルくんたちとは違い、ユーリさんは少なからず状況を理解しているようだった。そういえばユーリさんは昔、帝都の騎士として働いていた時期があると聞いたことがある。そのあたりの事情じも詳しいのかもしれない。騎士たちを見つめる表情が険しいところをみるとおおよそ当たっているのだろう。

「なんか、フレンに似合わねえ部隊になってんな。まったくフレンのやつ、何やってやがんだ……」

 ノードポリカに向かうのは新月の夜にしか会えないべリウスに手紙を届ける為。ここで立ち止まってせっかくの機会を逃してしまうのは時間的にも惜しい。どうにかしてこの検問を突破する方法はないのだろうか。せめて騎士たちの注意を逸らすことができたら少しは身動きの取れない状況を変えられるかもしれないのに。

「マジでか……!? やるやる! で? で?」

 みんなが頭を悩ませている中、背後でひそひそと小声で話し合うパティちゃんとレイヴンさんの姿。エステルちゃんもその様子に気が付いたようで同じように肩越しに振り返って首をかしげる。

「何の話をしているのでしょう?」
「なんだろうね……」
「こういうのはどうよ?」

 静かに、と諭すユーリさんにレイヴンさんはひらりと手のひらを振ると音もなく弓を構えた。まさか騎士に当てるのかと思ってぎょっとしたけれど、レイヴンさんの放った矢は騎士の傍に控えていた魔物に当たった。エアルの力で矢の先が小規模の爆発を起こす。例えるならクラッカーのような破裂音。それでも音の響きやすい洞窟の中では魔物を驚かせるには十分だった。パニック状態になった魔物は縦横無尽に暴れまわる。パティちゃんがレイヴンさんに耳打ちしていたのはこのことだったのだ。

「今よ、行きましょ」

 ジュディスさんの言葉を合図に各々が駆け出す。先頭をきって走り出した彼女を追いかけるようにわたしも騎士の横を通り過ぎる。事態に気が付いた騎士の怒号にも似た声が背後から聞こえたが聞こえないふりをして必死に足を動かした。胸元に揺れる武醒魔動機(ボーディブラスティア)のお陰でユーリさんたちにも極端な遅れはとっていない。

「ユーリ・ローウェル!」
(ソディアさん……?)

 魔物の鳴き声と混乱する騎士団の声に交じって聞こえた鋭い声。彼女もまたフレンさんの部隊の一員だったことを思い出した。個人的にはソディアさんにはお世話になっている部分もあるのだが――今回は見逃してもらおう。顔を隠すようにマントのフードを深く被りなおして地面を蹴った。


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