スタンバイ・シュガー
ぱちぱちと瞬きをしてぐるりと周囲を見渡す。上下左右、どこを見渡しても真っ白な部屋。広さは学校の教室ひとつぶんぐらいだろうか……いや、正直そんなことはどうでも良かった。とにかくまったく見覚えのない空間のど真ん中でわたしは棍を握りしめたまま呆然と立ち尽くしていた。
「ここ、どこ……?」
「アズサっ!」
バタンっ! というけたたましい音と共に呼ばれた自分の名前。びくりと身体を震わせて慌てて後ろを振り返るとユーリさんが大きく肩で呼吸をしながら扉に手をついて立っていた。そこで初めてわたしはこの部屋に扉があったことを知る。何もかも真っ白だったから全然気づかなかった。見知った人間の姿にほっと安堵の息を吐きながらわたしはユーリさんの元に駆け寄る。念のため、自分の武器である棍は握りしめたままで。なぜならユーリさんも左手に剣を携えたままだったからだ。
「怪我はしてなさそうだな」
「それはなんとか。それよりユーリさん、ここどこなんでしょうか? わたしたちさっきまで森の中で魔物と戦ってましたよね……?」
「ああ、だよな」
記憶違いでなければさっきまでわたしたちはみんなで森の中で一休みしていたはず。天気が良いからたまには気分転換で外でご飯を食べようって話になってわざわざお弁当を持って。そしたら突然大きな蝶みたいな魔物が襲い掛かってきたからみんなで追い払おうとして、そしたら魔物が撒いたきらきらした鱗粉のような粉を間違って吸い込んじゃって、それから……それから、ぽっかりと穴が開いたように記憶が抜けている。意識を取り戻した頃にはこの真っ白な部屋にいた。棍を握っているのはその名残だ。
わたしはユーリさんの後ろにある扉の向こうをそっと覗き込む。その先の空間も全て白で覆いつくされていた。今の状況はさっぱり分からないが、なんだか厄介な場所に閉じ込められてしまったようだ。
「みんなばらばらに閉じ込められちゃったんですかね」
「いいや、どうやらここにいるのはオレたちだけみたいだぜ」
「どういうことですか……?」
話を聞くとユーリさんも気が付いたら同じような真っ白な部屋に閉じ込められていたという。ただユーリさんが最初にいた場所はもっと狭かったらしい。とりあえず四方の壁に手を添えて歩いてみたら偶然ドアノブに触れて部屋を抜けることができたのだと。何もかも真っ白で見えづらかったけれど必ず四方のどこか一か所だけ扉があって、それを何回か繰り返していったらわたしのいた部屋に辿り着いたのだとか。
ユーリさんと話していく内に少しずつ冷静さを取り戻していく思考。つまり、この部屋にも扉が隠されている可能性があるということだ。
「じゃあ、この部屋のどこかにも扉があるかもしれないんですね」
「試す価値はあるな。とりあえず探してみるか」
ユーリさんと二手に分かれて見えない扉を探す。ただ、床も壁も絵の具を塗りたくったような白で境目が非常に分かりづらい。壁に手を添えてゆっくりあるいていても何回か壁に頭をぶつけそうになった。反対側の壁に立つユーリさんを見て距離感を計らないと感覚が狂ってしまいそうになる。お互いに部屋を二周したところでわたしたちは再び部屋の真ん中に集まった。
「どうでしたか?」
「駄目だな。見つからない」
「ユーリさんがいた部屋には扉があったんですよね?」
「ああ、手ついて壁歩いてたらどっかには扉があったな」
「じゃあなんでこの部屋だけないんでしょう……」
二人で探せばそれなりに広いこの部屋でもすぐに見つけられると思ったのだが、目的のものはなかなか見つからない。もしかしてこの部屋は行き止まりなんだろうか。実は他の部屋に扉が二つあって、ユーリさんが選んでなかったが外に繋がる扉だったとか。わたしは黙ってユーリさんの様子を伺う。流石のユーリさんも状況が状況なだけにいつもの笑みはない。口元に指を添え俯き加減で考え込んでいる。
(……ユーリさんが試してないわけないか)
きっと彼の事だから扉を見つけてもすぐに進んだりせず、四方を全部確認してから進んできてるはずだ。だからユーリさんもこの部屋で扉が見つからないことを怪しいと思っているのだろう。そうなるとやはりこの部屋のどこかに別の部屋に繋がる扉があるはずなのだ。
もう一周だけ調べてみませんか? と声をかけようとしたその時、ユーリさんの背後にある扉の近くに一枚の紙が落ちているのを見つけた。あんなのさっきまであっただろうか。紙を拾いに向かったわたしを見てユーリさんが不思議そうに名前を呼ぶ。落ちていたのは小さくたたまれた白い紙。つるつるとした材質のそれをゆっくりと広げていく。そこには懐かしさすら感じる文字の羅列が刻まれていた。真っ白な部屋に唯一現れた黒い文字。それはまるで希望の光のようだったが、書かれていた内容にわたしは固まる。
「なにかあったのか?」
「……紙が落ちてたんですけど、」
途中でわたしは口を閉ざす。そこには部屋から脱出するための手段が書き記されていた。理由は分からないがわたしの母国語である――日本語で。つまりユーリさんには紙に書かれた文字が読めない。だけど、内容的にこの部屋から脱出する為にユーリさんの協力は必要不可欠だ。伝えないといけないのは頭では十分理解しているんだけども……。紙を持つ指に無意識に力がこもる。
――とりあえず、ユーリさんに聞いてみよう。もしかしたらわたしには日本語で読めているだけでユーリさんには違う言語で見えている可能性だってあるのだから。淡い期待を抱きながらわたしは紙をユーリさんに開いてみせた。
「ユーリさん、ここに書いてある言葉って読むことできますか?」
勢いよく振り返ったわたしを見てユーリさんは一瞬きょとんとしたけれど、見せられた紙を見て表情を変えじいっと文字を一点に見つめる。目を凝らすように細めた後、やがて静かに首を横に振った。
「……いや、読めねえな。アズサはこれが読めるのか?」
「はい……一応、ですが」
やっぱりそうだよね、読めないよね。
わたしはくるりと紙を自分の方に戻して再び文字の羅列を見つめる。この際、どうして日本語が登場してきたのかは置いておくとして。これに書かれていることが本当ならば、ある条件を満たせばわたしたちは部屋から脱出することができる。問題はその内容だ。わたしは若干の気まずさを抱えながら口を開く。
「……お互いに目を見てある言葉を言うと部屋から出れるみたい、です」
「本当か? なんて言えばいいんだ?」
「えっと、でも、本当かどうか分からないですし、もしかしたら悪戯かも、」
「やってみないと分からないだろ。違ったらまた別の方法を探せばいい」
「それは、そうなんですけど……」
一刻も早くこの訳の分からない空間から脱出したいユーリさんの気持ちはとても良く分かる。わたしだって今すぐにでも抜け出したい。
早く教えろとばかりに力強い視線に耐え切れなくなったわたしは思わず目を逸らした。だって部屋から脱出するための唯一の手段がかなり突拍子のないものだったのだから。しかも、それをユーリさんに伝えなきゃいけないなんてそれこそ罰ゲームみたいなものだ。恥ずかしさから顔にじわりじわりと熱が集まっているのが自分でも分かる。
「――――る、」
「なんだって?」
「あいしてる、って言えばこの部屋から出られるそうです……」