ひととせの蜃気楼
不気味な程に閑散としたヘリオードの街。まばらに見つかる住人も表情は何故だか暗い。その原因は労働キャンプ場にあるのではないかとユーリさんたちは考えたが、そこへ向かうには昇降機を警備しているキュモール隊の騎士をどうにかして動かさなければならなかった。
現在、わたしたちは街の結界魔導器(シルトブラスティア)に身を潜めながら騎士をなんとかするための作戦会議をしていた。
「やはり強行突破が単純で効果が高いと思うけれど」
「それは禁止だよ! とにかく見張りを連れ出せればいいんだよ」
「どうやってです?」
「……色仕掛け、とか?」
(色仕掛け……)
「じゃあ…………アズサで」
「――はい?」
ユーリさんの予想外な指名にわたしは素っ頓狂な声を上げる。色仕掛けで誘導させたいなら間違いなくジュディスさんが適任に決まってるじゃないか。反論するべく咄嗟に見たユーリさんの口元はにんまりと弧を描いている。
(こ、この人、完全に確信犯だ……!)
わたしは顔面蒼白になりながら首を横に振った。
「無理ですっ!」
「うーん、そうかなあ。ボク、アズサなら意外といけるんじゃないかって気がする」
「大丈夫ですアズサ! アズサならきっとあの騎士を誘惑できます!」
「二人とも本気で言ってる?」
カロルくんもエステルちゃんも何を根拠に言っているのだろう。ただただ困惑するしかない。わたしはエステルちゃんみたいに気品があるわけでもないし、ジュディスさんみたいにスタイルに恵まれているわけでもない。本当に平凡な人間なのだ。それなのに男性を誘惑する――? いやいや、無理に決まっているじゃないか。何度も辞退を試みたが聞き入れてもらえる様子は全くなく、顔から血の気がなくなっていくのが自分でも分かった。そんな中でもユーリさんはにやにやとこちらを見て笑っている。あの人、完全に面白がってる……!
絶望するわたしの両肩におもむろに誰かの手がぽんと乗せられる。視界にはユーリさんとエステルちゃんとカロルくんの三人がいるから、必然的に背後に立つ人物は限られてくるわけで。おそるおそる振り返るとそこにはにっこりと微笑みを浮かべるジュディスさんの姿があった。ひくりと頬が引きつる。
「ジュディス、さん……?」
「それじゃあ行きましょ、アズサ」
「ええと、個人的にはあんまり聞きたくないんですけど……どこにですか?」
「もちろん男を誘惑する為の勝負服を探しによ。安心して、アズサにぴったりな服をコーディネートするわ」
「わたしはジュディスさんが誘惑する役をやった方がいいと思うんですけど……」
「残念だけどご指名が入ったのは私じゃなくてアズサだもの」
楽しそうな顔のジュディスさんに急かされるように背中をぽんぽんと押され仕方なく歩き出すわたし。これ以上は何を言っても無駄な気がする。ここではっきり"嫌"と言えない自分の性格を恨むしかない。
……せめて露出の少ない服だとありがたいな。鬱々とした気分でため息を吐いていると不意にジュディスさんの綺麗な顔が耳元に寄せられる。
「自信をもってアズサ。アズサが思っているよりずっと貴女は魅力的よ」
女のわたしでもドキドキしてしまうような妖艶な声。不意打ちの甘い囁きに声を上げず耳元を押さえただけで済ませたわたしは偉いと思う。やっぱりジュディスさんの方が適してると思うんだけどなあ。
ゆるりと微笑むジュディスさんを見ていたらなんだか抵抗するのも疲れてしまってとうとうわたしは降参という意味を込めて肩を竦めた。
「……お手柔らかにお願いします」
「ふふ、任せて」
もう、どうなっても知らないから。
***
普段のジュディスさんの服装から考えるにどんな際どい勝負服を着せられるかと思ったけど、彼女が選んでくれたのは意外にもシンプルな白いワンピースだった。騎士を誘惑できるかはともかくとして、これならギリギリ街中を歩けそうだ。スカート丈が若干短めなのと肩がばっちり露出しているのはこの際目を瞑ろう。いつもは服で隠れている部分がしっかり外気に晒されているとなんだか落ち着かなくて無意識にむき出しの肩を擦った。
再び結界魔導器の後ろに隠れて最後の確認が行われる。カロルくんが言うにはわたしは今いる場所まで騎士を誘導してくれば良いらしい。そうすれば後はユーリさんたちがなんとかしてくれる、と。
「頑張ってくださいね、アズサ! 大丈夫です、すっごく似合ってます!」
「……」
「そんなに緊張しないでアズサ。最悪、気を引いてくれるだけも十分だから」
「う、うん……」
その"気を引く"こと自体がとても難しいのだと声を大にして言いたい。本番が近づくにつれ徐々に重くのしかかってくるプレッシャー。よくよく考えればわたしが騎士を誘導できなければその先の労働キャンプ場には進めない。それどころか相手に怪しまれてしまえば増援を呼ばれ最悪の場合、捕まってしまうかもしれないのだ。考えただけで心臓が痛くなってくる。
少しでも気持ちを落ち着かせようと胸に手を当て大きく深呼吸をした。上手く騎士を誘導できますように。何度か息を吐きだしたところでむき出しの肩に誰かの手が触れた。柔らかく細い女の人の指。
「アズサならきっとできるわ。いってらっしゃい」
「…………はい」
ジュディスさん、今からでも良いから変わってくれないかなあ。
「あ、あの、騎士様っ……少しお時間よろしいでしょうか?」
「はい?」
声が少し上擦ったのは間違いなく緊張から。でも、騎士の意識を向けるにはちょうど良かったみたいだ。
相手の目を見るとますます緊張してしまいそうで意識的に兜の上の部分に視線を合わせる。そうしてジュディスさんたちが勝負服を選んでいる最中に何度も考えた騎士の気を引くための台詞をつらつらと並べた。まずは相手に話を聞いてもらわないと何も始まらない。
「実はわたし、落とし物をしてしまって……。ずっと探してるけど見つからないんです」
要は騎士を警備から外せれば良いのだ。最終的にわたしが思いついたのは相手の同情を引く作戦だった。これなら色仕掛けという高度な演技は求められないはず。
「何を落としたんですか?」
「えっと――ペンダント。ペンダントを落としてしまったんです。とても大事なものなんです」
視線を落としながらわたしは胸元に手を添える。いかにもついさっきまでそこにペンダントをつけていたかのように。ちらりと騎士の様子を伺えば相手は黙ってわたしの話を聞いてくれている。
――ううっ、胸元がスースーして落ち着かないっ。
「亡くなった母から貰った思い出のペンダントなんです。自分の思いつく限りの場所は探したんですけど全然見つからなくて……」
自分のできる限りの弱々しい声を発しながら両手で顔を覆う。演技経験なんて全くなかったけど必死になればわたしでも誰かの気を引くことはできるんだなあ、なんて頭上から降ってくる慌てた騎士の声を聞きながらぼんやりと思った。
すみません、と呟いて目尻を拭う仕草をする。今の騎士の様子からして同情作戦は結構上手く言っているのではないだろうか。あとは、上手くこの場から離れさせることが出来れば良いんだけど。
「あと、可能性があるとしたらこの辺りだけなんです。お願いです騎士様。どうかお手伝いをしていただけませんか?」
「いや、しかし、自分は任務の真っ最中でして……」
「お願いです。少しの時間で構いませんから」
「ですが……」
むしろ一瞬でもこの場から離れてくれるだけで構わないからっ!
なかなか良い返事をくれない騎士にわたしもじわりじわりと焦りが生まれてくる。このまま断られてしまったらどうしたらいいんだろう。流石に涙を流すのは難しい。かと言ってあまりしつこく迫ったら逆に怪しまれてしまう可能性も出てくる。
考え込む時間はなかった。咄嗟にわたしは騎士の手を掴む。冷たい感触のするグローブを両手でそっと包み込みながら上目遣いで軽く首を傾げた。ジュディスさんに教えてもらった異性にお願いごとをするときの最終手段。これでも断られるようなら諦めてユーリさんたちのところに戻ろう。そして必ずジュディスさんと交代してもらうのだ。
「ダメ、ですか……?」
兜に隠れて表情の分からない顔を見つめて数秒。ドキドキしながら返事を待った。
「――分かりました。少しの間だけですよ」
やった……! ありがとう、ジュディスさん!
喜びの声が出そうになるのを必死に堪え騎士に安堵の表情を向ける。後はこの人をユーリさんたちが隠れる結界魔導器の裏まで移動させるだけだ。わたしはパッと手を放す。
「ありがとうございます。では、騎士様はあちらの辺りを……きゃっ!」
慣れないヒールの所為だったのだろう。かくんと足を捻らせたわたしの身体は前方に倒れる。思わず目を瞑って衝撃に耐えたが、いつまで待っても痛みはやってこない。疑問に思いながらそろそろと瞼を開けるとヒールの爪先とお腹に回された騎士の腕が視界に映った。どうやら騎士に助けてもらったらしい。なんとも情けない話だ。
「す、すみません、ありがとうございます」
「……」
「あの、騎士様?」
肩越しに振り返って返事がない騎士を見上げるが相手は黙りこくったままわたしを見下ろすだけ。疑問符を浮かべているとおもむろに手を掴まれくるりと正面を向かされた。お腹に回っていた手は腰に添えられる。まるで社交ダンスでも始めるかのような体勢にますます首を捻るしかない。それでもここで変な行動でもして怪しまれてしまったら全てが水の泡になってしまう。せっかくあと一歩のとこまできたのだ。無言で見下ろしてくる騎士を微笑みながら見上げる。
「助けていただきありがとうございました。もう大丈夫ですので手を放してもらえると……」
「ひとつ、条件を出しても良いですか」
条件? そう言った騎士は急にわたしの腰に添えた手を自分の元に引き寄せた。突然ぐっと縮まった距離に驚いて固まるわたしに騎士は顔を近づけてくる。エステルちゃんが綺麗に整えてくれた前髪にふっと吐息がかかった。
「もし、ペンダントを見つけた際には是非あなたのことを――」
結局、続きの言葉はなんだったのだろう。気にはなったが答えを聞くことは叶わなかった。なぜならユーリさんが背後から忍び寄って騎士を気絶させてしまったからだ。ゴツンと、それはそれはいい音だった。
地面に伸びる騎士を見下ろしながらわたしは思う。やはりこの作戦、自分じゃなくても良かったのではないか。気を逸らすだけでいいならわざわざこんな恥ずかしい恰好もしなくて良かったのではないかと。
「いい仕事っぷりだったぞアズサ。これで下に降りられるな」
そう言って渡してきたのは綺麗に畳まれた状態のわたしの服で。さっさと着替えてこいということらしい。人が大変な思いをしてミッションをこなしてきたというのにこんなにもあっさりとした態度をとられてしまうとなんだか複雑な気分だ。ありがとうございます、と小さく呟いて渋々その服を受け取る。気慣れた生地の感触を確かめるように抱きしめた。
「あの、やっぱりこの作戦わたしじゃなくても良かったと思うんですけど」
「結果的に目標は達成できたんだからいいだろ」
「……それはそうですが」
なんだろう、どこか、腑に落ちない。
最後にユーリさんはお疲れ様と言わんばかりに頭をぽんぽんと撫でられ、もやもやとした気持ちを抱えながらもわたしは着替える為に踵を返した。駆け寄ってきたカロルくんやエステルちゃんにすれ違いざまにお疲れ様、と声をかけられ苦笑していると不意にジュディスさんがわたしを呼び止める。お店に向かっていた足を止め、ジュディスさんのところへ戻ると、口元に手を寄せた彼女の顔が耳元へ近づいた。今度は不意打ちではなかったのでわたしも自然と耳を寄せる。
「アズサが思ってた以上に騎士を誘惑できてたから、彼びっくりしたみたいよ」
「えっ? わたし誘惑できてましたか……?」
「あら、自覚ないの? だから彼すごく、」
「ジュディ」
ピンと張りつめたユーリさんの声。驚いて視線を向けるとユーリさんは少し怒ったような表情でジュディスさんを睨んでいた。いきなりどうしたんだろう。カロルくんやエステルちゃんも状況が分かっていないようできょとんとしている。ユーリさんとジュディスさん、交互に二人の顔を見つめているとやがてジュディスさんがくすりと笑みを深めた。彼女の考えていることはなかなか表情からは読み取りづらい。
「――アズサ」
「は、はい……?」
「また色仕掛け作戦やって頂戴ね?」
二度とやりません!