君が美しく笑ったせいだ


 一年生の春。たまたま出席番号で席が前後だったことから仲良くなったアニスとティア。二年生になった今でもありがたいことにその関係は続いている。
 そして、彼女たちは女子の例に漏れず恋愛話が大好きだった。

「それは絶対に行くべきよ柚希」

 あのおしゃべりなアニスが珍しく黙っていてくれたおかげで今朝の出来事が教室中に広まることはなかったけれど、机を挟んで向かい側に座るティアにはしっかりと伝わっていたようだ。一体、いつの間に話したんだか。眦を持ち上げながら力強い目線で訴えかけてくるティアに対して私は曖昧な笑みを浮かべながらお母さんが作ってくれたお弁当の卵焼きを口に放り込んだ。
 教室の窓辺から暖かな日差しが差し込んでいる。一時的に授業から解放される昼休み。教室ではあちこちにお昼ご飯を食べるグループが出来上がっていた。中には一人で勉強をしたり本を読んだりしている生徒もいたけれど、それは本当にごく少数でほとんどは机をくっつけてお昼ご飯を食べながら談笑に華を咲かせていた。

「逆に柚希はどうして迷っているの? このラブレターは柚希の下駄箱に入ってたんでしょ? ならこれは柚希宛てのラブレターじゃない」
「あのねティア、手紙には屋上階段で待ってるとしか書いてなかったし……そもそも、まだこれがラブレターだと決まったわけじゃ、」
「そうだよ。ティアの言うとおりだよ」

 多分アニスは私が照れくさくて適当にはぐらかしてる、とでも思っているのだろう。購買で買ってきたメロンパンを頬張りながら彼女はにやにやといたずらっ子のように口角を持ち上げていた。
 高校に入ってから浮いた話のなかった私。友達に突然舞い込んだ恋愛絡みの話に興奮しているといったところだろうか。そもそもあれが本当にラブレターなのかも分かっていないというのに。私はきゃあきゃあ盛り上がる二人を静かに眺めながら水筒の蓋をひねる。保冷の為にと入れてきた氷がカランと音を立てた。お茶を飲みながら私はちらりと机の横にかけたかばんを見下ろす。前ポケットには今朝からずっと白い封筒が顔を覗かせている。正直、これのおかげで午前の授業は全然頭に入ってこなかった。

(……アニスとティアには言ってもいいかな)

 私が素直に手紙を喜べない理由を。あの一件は私しか知らないから。ふと視線を下に落とすとお弁当がまだ半分以上残っていることに気が付いた。いつもより進みが遅い。想像以上に今朝の出来事は自分に影響を与えているようだ。
 急に無言になった私を不思議に思ったティアが整った眉を八の字にして私の顔を覗き込む。

「どうかしたの柚希? なんだか難しい顔をしているけれど」
「……実は、二人に言ってないことがあって」
「え、なになに?」

 ひそひそ話をするように耳を寄せてきたアニスと机から身を乗り出してきたティア。あんまり大きな声で話したくない内容だと勘付かれてしまったのだろうか。彼女たちの行動に若干驚きつつも私も小声で話す為に軽く身を乗り出し口元に手を添える。

「一年生の時にも同じようなことがあったんだけど」
「えっ!?」
「でも、それが別の人に宛てたものだったことがあったの」

 あれは去年の秋頃。今日みたいに下駄箱を開けたら一通の手紙が入っていたことがあった。その日はたまたま早起きできたからそのまま早く学校に向かって。人気の少ない玄関で下駄箱を開けてとても驚いた記憶がある。実際に蓋を開けてみれば、それは自分ではなく他人に宛てられたものだった。彼女とはちょうど下駄箱が隣同士だったからおそらく間違えてしまったのだろう。自分が書いた手紙でもないのに手紙を置くときにちょっとドキドキしてしまったのを覚えている。
 今日、私の下駄箱に手紙が入っていたのは疑いようのない事実。でも、差出人も分からなければ受取人も分からない。前科がある以上、素直に喜べないのが現状だった。

「だからまだちょっと信じられなくて……」
「つまり、柚希は今回も誰かの間違いだと思ってるのね?」
「うん……どちらかと言うと」

 本当のことを言えば、今回も前回と同じ人物に宛てたラブレターなんじゃないかと思っている。私は顎に指を添えて考え込むティアを盗み見た。
 ティアは学校では知らない人はいないんじゃないかと思う程に有名人だ。容姿端麗、成績優秀、おまけに生徒会では書記を務めている。噂ではティアのファンクラブもあるなんてアニスから聞いたことがある。実際にラブレターを受け取っているところを何回も見てきた。そんな非の打ちどころがない彼女の下駄箱が隣にあるのだ。自分のところに間違って入り込んでしまったと考える方が普通だろう。悲観的だと言われてしまうかもしれない。でも、そうではないかと錯覚してしまうくらいにティアは私にとって眩しい存在だった。こうして机を囲んでお弁当を食べているのが不思議なくらいに。
 前かがみになっていた姿勢を戻して私はお弁当を食べるのを再開する。残っていた冷凍食品のから揚げを口に放り込んだ。

「はーい。そもそもラブレター渡す相手間違える時点でアニスちゃん的になしでーす」
「あら、誰にだって間違いはあるわよ。だけど間違えて入れたのが柚希だったのは幸運だったんじゃないかしら。柚希は親切に本来の相手に届けたんでしょう?」
「う、うん。やっぱり、本人に届いた方が良いかなと思って」
「ちなみに誰宛だったの? 名前書いてあったから柚希もその人の下駄箱に入れたんでしょ?」
「えっと……」

 本当は言葉を濁さなくてもはっきりと覚えている。封筒には丁寧な文字でティアの名前が刻まれていた。差出人の名前はあんまり覚えてないけれど、彼の想いが実を結んでいるのなら今頃ティアの恋人になっているはず。だけどティアに恋人ができたという話は聞いていない。もう終わった話を掘り起こされるのは当人にとってあまり気分の良い話ではないだろう。仮に今、手紙を書いた張本人がここにいなかったとしても。

「──ごめん、忘れちゃった」

 私は曖昧に笑ってはぐらかす。「えー!」とアニスから抗議の声が上がったけど聞こえなかったふりをしてお弁当を食べ続けた。
 空っぽになったお弁当箱と箸箱をランチマットに包みながらふと目線を外に移す。窓辺を通り抜けて入ってくる日差しはぽかぽかと暖かくなる一方で午後の授業は眠気との戦いになるかもしれないなと空を仰いだ。アニスとティアと他愛もない会話をしていればお昼休みはあっという間に過ぎていった。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、生徒たちがぱらぱらと自分の席に戻り始める。私もお弁当箱をかばんにしまって午後の授業の準備をしているとアニスが不意に私の名前を呼んだ。「どうしたの?」と私は首を傾げる。

「結局、柚希は今日の放課後どうするつもりなの? 屋上階段、行ってあげないの?」

 ぱちぱちと数回、瞳を瞬かせて私は瞳を伏せた。

「……まだちょっと考えてる」

 アニスとティアはあの手紙を私宛のラブレターだと思っているけれど、私はまだ信じ切れていないでいた。前回の経験もある。もし素直に約束の場所に向かって、やっぱりティア宛のラブレターだったらどうする? 相手も、私も、お互いに気まずい思いしかしないのは簡単に想像できた。最悪の事態を回避するためにも慎重に判断しなければならない。
 それに、仮に本当に私宛だったとしても、返事は……。

「アニスあんまりしつこく聞くものじゃないわ。行くも行かないも決めるのは柚希なんだから」
「なにさ、ティアだって行くべきだって最初言ってたじゃん」

 ぷくーっと頬を膨らませ口を尖らせるアニス。ティアが私を庇いだしたのが面白くないんだろう。どうやらアニスは本気であれが私に向けられたものだと思い込んでいるらしい。最終的には「そんなに不安ならあたしも柚希と一緒に行くよ?」なんて言い出したから慌てて止めた。今日の放課後は生徒会のミーティングがあるってティアと話をしたのはついさっきのこと。これは、大事な生徒会を抜け出してまで付き合ってもらうことじゃない。私個人の問題なのだから。流石にミーティングをサボるのはまずいと感じたのか、アニスは渋々諦めてくれた。私は自分の席に戻っていくアニスの背中を見送りほっと安堵の息を零す。
 私はおもむろに教室の時計を見上げた。件の放課後がやってくるまで残り数時間。考える時間は正直あまり残っていない。何かいい方法はないだろうか。こちらから接触することなく相手に間違いではないかと提示する方法は。
 結局、午後の授業も全然頭に入ってこなかったのはいうまでもない。
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