感情エラー、修復不可能


 同じ文化系の部活でも毎日練習する吹奏楽部や校内のネタ収集に余念のない広報部などに比べれば私の所属している写真部は非常に緩い。週に一回、放課後に部室に集まっては顧問の先生からの連絡を伝えたり最近撮った写真を互いに見せ合ったりする。けれど、それも三十分もあれば終わってしまって、後はみんなでおしゃべりをしたり勉強を教えあったりと自由に過ごすことの方がほとんどの写真部の活動。それでも同じ趣味を持った生徒が集まるこの空間が私は好きだった。
 女子六人、男子三人。並べあった長机にぴったりと収まってしまう程の少ない部員を前に部室に向かう途中で顧問の先生から聞いていた話を伝える。週末に予定していた公園での写真撮影会のこと、夏に開催される学生向けのフォトコンテストのこと。そして、生徒会から頼まれている七月に控えた体育祭の撮影スタッフのこと。

「来月の体育祭、撮影側に回るの難しいって人いる? 選手で出場したいとか」

 生徒の可能性を広げる、という意味でイベント行事には部活動がよく関わる。勿論、写真部も例外ではなくスタッフとして生徒会から招集がかかっていた。
 ぐるりと部員の顔を見渡すが誰も手を挙げていない。「みんな当日はスタッフ側でも大丈夫?」と尋ねれば全員が首を縦に振ったのを見て、私は内心ほっとする。正直、今年入ったばかりの一年生たち(部員の半分以上は当てはまる)は選手として参加する生徒もいるのではないかと思っていたからだ。流石に部員の半分以上がいなくなってしまうと声をかけてくれた生徒会に申し訳ない。強制じゃないからやっぱり無理そうだったら言ってね、と最後に付け足して手元のメモに視線を落とした。

「えっと、今回の連絡事項はこれくらいなんだけど……他に何か連絡ある人っているかな。ないなら今日はこれでおしまいです」

 来週の活動日を確認すれば後は各々が好きに過ごす。私も普段だったら残っているところだけど、今日は生徒会の打ち合わせがある日。予定していた時間にはまだ少し早いけれど遅く着くよりは問題ないだろう。足元に置いてあったかばんを持ち身支度を整えていると隣に座っていた部員唯一の同級生がひょっこりと私の顔を覗き込んだ。最近バイト代で買ったというカメラを取り出した辺り今日は残るつもりのようだ。

「今日は生徒会の打ち合わせがあるんだっけ?」
「うん。たぶん、人数の把握とかしたいんじゃないかな」
「生徒会かあ。ちょっと緊張するよね。あそこの人たちってなんか雰囲気違うし。近寄りがたいっていうか」

 否定はしない。彼らの持つ雰囲気は私たちがまとっているそれとは少し違う。例えば容姿だったり喋り方だったり、立ち振る舞いだったり。何かしら特化した人たちが集結したのがこの学校の生徒会に入れる。だからこそ今でも時々思う。もしアニスやティアと仲良くなっていなかったら、私はきっと彼らを遠くから眺める生徒の一人でしかなかった。関わりもほとんど持たない、遠い雲の上の存在。

「案外話してみたら普通だよ」

 苦笑交じりで私はかばんのチャックを閉める。彼女は「本当かなあ」と勘繰るように眉を顰めた。

(でも、知らないままでも良かったな)

 そしたらこの気持ちを自分の胸の中に閉じ込めて風化していくのを待っていられたのに。


***


「おっ、立花。ちょうどいいところに」


 部室を後にし目的の生徒会室に向かう最中、ふと背後から名前を呼ばれて足を止める。振り返るとガイ先生が片手を上げながらこちらに近づいてきていた。荒い呼吸を整えるように肩を上下させている姿を見てなんとなく状況を察する。生徒会の顧問が放課後に校内を走り回っているということは彼がまた行方を眩ませているのだろう。

「ルーク見てないか? あいつ、今日ミーティングあるって言ったのに一向に姿を現してないんだ」

 乱れた髪を掻きあげて「まったく、今日はどこに隠れたんだ」とガイ先生は溜息をついた。放課後にガイ先生がいなくなったファブレくんを探して校内を走り回っているのはちょっとした学校の名物だ。毎回のように隠れ場所を変えるファブレくんもある意味器用な人だと思うが。

「ちょっと……見てないですね」
「そうか。これだけ探しても見つからないからてっきり立花のところに行ってると思ったんだけどな」

 部室を出てからここまでファブレくんの姿を見かけた記憶はない。なんといっても彼は目立つ。孤高のイメージが強い生徒会役員。その中でも唯一、彼は"社交的"という言葉が似合っていた。常に誰かに囲まれて笑っている。そんな印象があった。歩いている最中に人の塊があれば流石の私でも気が付いただろう。
 ガイ先生は静かに眉を潜める。他にファブレくんがいそうな場所を考えているのだろう。

「もう少し探してくる。今日は立花もミーティングに参加するんだったよな? 先に行って待っててくれ」
「分かりました――あ、ガイ先生」
「ん? どうした」
「また先生のお庭にお邪魔させていただいても良いですか?」

 今の時期ならカーネーションや鈴蘭が見頃だろうか。ガイ先生は一瞬だけ不思議そうな表情をしたけれどもすぐに笑顔になって大きく頷いた。「いつでも来い」と言って去っていく背中を見送って私も生徒会室を目指す。
 ……と言っても、ファブレくんが来ない限り、打ち合わせは全く進まないだろうが。


 三階にある生徒会室に向かうには自分の教室の前を通る必要があった。部活動が本格的に始まる時間にもなれば教室に残っている生徒はほとんどいない。人気の少なくなった廊下を歩いていて、自分の教室に差しかかったところで私はふと足を止めた。僅かに開いた教室の扉。その隙間から一人の生徒が見えた。この学校で柔らかな赤い髪色を持つ生徒を私は一人しか知らない。
 からりと扉を開く。そっと教室を覗き込み、窓際にぽつんと立つ彼の名前を呼んだ。

「ファブレくん」

 窓の外に向いていた瞳がゆっくりと私を捉える。薄い唇が何か呟いたような気がした。透き通る翡翠の瞳がぱちぱちと何回か瞬いたかと思ったら、彼はぱあっと表情を明るくさせてこちらに向かって歩いてくる。よく見ると彼の手には一冊の本。端から飛び出した小鳥の付箋を見つけ、それがお昼休みに貸した教科書だと気が付くのにそれほど時間はかからなかった。

「柚希、やっと見つけた。これ、借りてた教科書。返すの遅くなっちまってごめんな」
「ううん、それは大丈夫なんだけど……もしかして、私のこと探してくれてたの?」
「本当はもっと早く返すつもりだったんだけど、休憩時間になかなか立花見つけられなくてさ」

 午後の授業はほとんど移動教室だったからちょうどすれ違いになってしまったのだろう。昼休みの時に返すのはいつでも良いと一緒に伝えておけば良かった。わざわざごめんね、と教科書を受け取りながら謝るとファブレくんは大きく首を横に振る。傾きかけた太陽の光に反射してきらきらと同じ赤でもほんの少し色素の薄い髪の毛が輝いた。

「助かったのはオレの方。お陰でガイに怒られずに済んだし。ありがとな立花!」

 ふわり、と顔を綻ばせるファブレくん。彼の周りには男女関係なく人が集まっているのをよく見かけるけれど、一つの要因としてこの笑みに引き寄せられてしまうところがあるのだろう。本当に偶然、教科書を持っていたから貸しただけなのに。小鳥の付箋が揺れる教科書を抱きしめ、つられるように小さな笑みを浮かべた。

「……どういたしまして」
「やっと見つけた、探したぞルーク!」

 背後からいきなり声が聞こえて思わずびくりと肩を震わせる。ゆっくりと後ろを振り向けば大きく肩で息をしたガイ先生が立っていた。どれだけ校内を走り回ったのだろうか。さっき出会った時よりも更に衣服が乱れている。懸命に呼吸を整えるガイ先生を見つめ、はたりと気が付く。ファブレくんが教科書を返すために私を探していたのだとしたら、彼が生徒会室に現れなかった理由は私にも一因があるのではないかと。
 しかし、当の本人はまったく気にした様子もなく。「見つかっちまったな」とまるで秘密がばれてしまった子供のように、屈託なく笑うのだった。
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