(うーん……)

 ここの学校には自習室というものがある。教室から少し離れたところにあるために多少の不便は感じるが、その分利用者が減ると思えばさほど問題ではない。窓側には一人用に机が区切られたブースがあり、廊下側には四人用の四角いテーブルがある。いつもなら一人席で勉強するのだが、今日は全席埋まってしまっていたので仕方なく四人席に座った。占領しているようで申し訳なかったが私以外にテーブルを使用している人がいなかったから大丈夫だろう。隣の椅子にバッグを置いて教科書を机に広げた。
 違和感を感じ始めたのはそれからすぐの事だった。いつもと変わらない空間。違うのは私が四人席のテーブルで勉強しているという点。シャープペンシルを置いてぼんやりと教科書を意味もなくめくる。

(落ち着かない)
「名前ちゃーん」
「……レイヴン先生?」

 誰一人と会話のない自習室だが私語厳禁と決められている場所ではない。グループワークも出来るようにと四人席も設けられているのだから。ただ、ここに来る人たちの大半が個人で勉強しにくる人が多いと言うだけで。勿論、自習室だからある程度のマナーはあるが。
 入り口のドアに身体を寄せひらりと手を振ったレイヴン先生は白衣を揺らしながら自然な流れで正面の椅子に腰を下ろした。少し気怠そうな瞳が私を捉える。最初はこの人かとも考えたけど、今でも違和感があることを考えるとまた違うところに原因があるらしい。

「どったのぼーっとしちゃって。なんか悩み事?」

 レイヴン先生は担任でもなければ授業を受けている訳ではない。リタとエステルが何かと彼と関わりがあって、そこで初めて接点が出来た。この前のローウェルさんも然り、私は彼女たちから得る繋がりが多いような気がする。逆を言えばそれだけ私の世界は狭いのだ。手のひらに収まってしまいそうなほど小さい。それを不安だと思ったことはないが、改めて実感させられる。
 ぱらぱらとめくっていた教科書に再び目を落とす。悩み事とまではいかないが気になっているのは確かで。たったそれだけの動作で相手に感づかれてしまうものなのだろうか。それともただレイヴン先生が敏いのか。

「……なんか、気になるんですよね」
「なにが気になるの?」

 単純に私の被害妄想なのかもしれない。勘違いかもしれないんですけど、と前置きをしてから周囲に目線を散らす。自習室にいる私たち以外の人は皆、自分の世界に入り込んでいる。だからこそ、この違和感を感じるのはおかしな感覚で。他の人に聞かれるのは忍びなく、勉強に使っていたノートの端にシャープペンシルを走らせる。レイヴン先生に見やすいようにくるりと向きを変え差し出す。

「誰かに見られているような気がするんです」

 見張られているとでも言うのだろうか。檻の中の動物になったような気分なのだ。はっきりとは感じないが否定するには少し微妙なところで。自習室に来て勉強を初めてすぐのことだった。視線の正体がはっきりしない分、集中力がそれてしまいまともに勉強もできないのだ。今日中に終わらせようと思っていた数学の課題は半分も終わっていない。

「気のせいだとは思うんですけど」

 そう言ってノートを自分の元に引き寄せる。自嘲的な笑みを浮かべながら顔を上げる。そんな訳ないって、きっとレイヴン先生も笑ってくれると思っていた。だけど視線の先に映った先生の顔は予想に反してぴしりと時を刻むのを忘れたかのように止まっていた。まさかの反応に私もぱちくりと瞳を瞬かせる。

「先生?」
「……名前ちゃん可愛いもんねー。そりゃあ目もいっちゃうでしょー」
「やっぱり私の勘違いだったようです」

 恥ずかしがらなくていいのよ、とレイヴン先生の笑い声が響く。卑下するつもりはないが、それほど自分の顔が整っていると思ったことは無い。小声とはいえけらけらと笑う声は他の自習していた生徒には気が紛れてしまったようで冷たい視線を感じた。ほとんどが一人で勉強しに来ているから話し声は邪魔になってしまうのだろう。ちらりと周りの様子を伺い小さく息を吐く。

(今日はこれ以上居られないな……)

 早々に席を立ち、机の教科書類を片付け始める。帰っちゃうの? と頬杖をつきながら尋ねてきた先生にひとつ頷いた。自意識過剰と言われてしまえばそれまでだが、今でも違和感は拭いきれないのだ。それに、別に勉強は家に帰ってからでも出来る。無理にここに残る必要も無い。
 物をしまい終えたバックを肩にかけ、椅子に座ったままのレイヴン先生を見下ろす。さっきの固まった表情とは打って変わってへらりといつものそれに戻っている。見間違いではないのだろうが、仮に尋ねたとしてもはぐらかされるのが見えきっていた。この人はなかなか本心を出そうとはしない。それはリタから聞いていた、胡散臭いおっさん(先生に対する態度かどうかは別として)だと。
 追求するのを早々に諦めた私はレイヴン先生に会釈して自習室を出た。

隠すことばかり上手くなる

「名前から何か聞き出せましたか!」

 名前の気配がなくなったのを見計らって自分も自習室を出たレイヴンは今にも噛み付いてきそうな勢いで詰め寄ってきたエステルに思わず目を丸くした。彼が思っている以上に彼女からの頼まれ事は早急だったようだ。ごめんね、聞けなかったわ。片手を白衣のポケットに突っ込みながら後頭部に手を回し謝るレイヴンにエステルは明らかな落胆の表情を見せた。そうですか、と俯いた顔が悲しげな色を見せる。彼女の後ろにはユーリやリタといった見慣れたメンバーが続いた。

「おっさんしっかりしろよな」
「おいおい、仮にも先生におっさんはないでしょー」
「別におっさんでいいじゃない。自分で仮にもって言ってるくらいなんだから」

 呆れ顔のレイヴンにユーリとリタはそれぞれに辛辣な言葉をぶつける。生徒と先生という関係にありながらも彼らのそれには刺があった。それだけ彼に対して信頼を置いているのか、あるいは単純に遠慮がないだけなのか。涙目になりつつあるレイヴンにエステルはさほど気にしない様子で疑問を口にした。

「名前はどうしてあんなに早く帰ってしまったのでしょう……?」
「ああ……名前ちゃん、お嬢ちゃんたちの視線に気づいてたみたいよ。誰かは分かってなかったみたいだけどね」
「マジかよ」

 まるで敵を警戒する猫の様に名前は辺りに警戒心を払っていた。相手が特定出来ない分、少し気味悪がってもいた。自分が彼らの話題の中心にいることに気づいてもいないだろうに。防衛本能が無意識の内に働いているのだろう。レイヴンは一人考えていた。

(それにしても……)

 こういう話題にエステルやリタはともかく、ユーリは関わろうとしないと思っていたがやはり相手が昔馴染みとなると話は違うらしい。エステルたちに隠れてしまっているが、彼も無関心ではないことをレイヴンは見抜いていた。大人っぽく振舞ってはいるものの結局は彼も青春真っ盛り。ましてや自分の身近にいる人物なら尚更気になってしまうのだろう。
 だが実際、レイヴンは名前からエステルに頼まれたことを聞き出そうとは考えていなかった。この手の話は他人がどうこう動かせる問題ではないのだ。最も大切にしなければならないのは当事者たちの気持ちなのだから。下手に手出しをして拗らせて来た例を彼は何度も見てきた。勿論、例外もあったが。

「まあ、あとは君たちで頑張りな。おっさんは影から見守ってますよ」

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