「あっつーい!」
普段の学校でさえ冷房なんてつけてくれないのにましてや長期期間中につくはずもないのは分かっている。けれど、じんわりと肌に張り付くブラウスが鬱陶しくて仕方がない。教室に広がるむわっとした水分を含んだ空気にとうとう耐えきれなくなって持っていたシャープペンシルを机に放り投げた。ころころと教科書やノートの上を転がってゆく。涼を求めて窓側の席に座ったのが間違いの元だった。髪をさらう風が心地よくても、それ以上に日差しが照りつければその意味も半減してしまう。
もうやだ。なにが楽しくてこんな暑い中、課題と向き合わなければいけないのだ。頭にはいるわけがない。完全にふてくされて机に突っ伏すと頭上でくすりと笑われた。顔だけを上げてじとりと相手を睨みつける。
「それ言うの何回目だ?」
前の席から振り向いたユーリはわざとらしく肩を竦めた。家で勉強なんて絶対に出来る気がしなかったから夏休みに学校まで来たが、こんなに暑いとは思ってもいなかったのだ。課題を始めてからというもの、「暑い」としか言ってないのは自分でも分かっている。そして、そのたびに私につきあってくれているユーリが笑っていることも。けれどここまでくると嫌でも言いたくなってしまうのだ。
「……良いでしょ。暑いものを暑いって言ってなにが悪いのさ」
「まあ、問題はないな」
さっさと終わらせようぜ。そう言ってユーリは再び前を向いて課題と向き合い始めた。私も渋々身体を起きあがらせてシャープペンシルを手に取ったが、一度切れてしまった集中力は簡単に戻っては来てくれない。今度は静かにそれを置いてユーリの背中をぼんやりと眺める。こんなに蒸し暑いというのにユーリは普段通りのハーフアップ。ちらりと覗く白い首筋からも苦の様子は伺えず、半分憎らしさも込めて紫黒の髪の毛を一房掴みぐいっと引っ張った。不意打ちだったからか肩ごしに振り返った彼は顔をしかめている。
「ユーリの髪、暑苦しい」
「とばっちりかよ……」
「結べ今すぐに」
「はいはい」
溜め息混じりの返事を返したユーリは髪を解き下ろしていたそれと一緒にひとつに結わえるとすっきりとした首筋が現れた。とばっちりと言われようと関係ない。見ていて暑苦しいのは嫌なのだ。結び終わったユーリは再び肩ごしに振り返る。今度はいつも通りの余裕のある笑みを浮かべていた。
「満足か?」
「うん」
校庭のどこか遠くで蝉の鳴く声とそれに混じった部活動の練習の音。こんな暑い中で運動をするのは大変だろうとぼんやり考えながらノートに視線を落とす。じりじりと焼きつけるような太陽が恨めしい。もう完全に手に持ったシャープペンシルは動きを止めていた。
「……ユーリぃ」
「アイスおごってやるから頑張れ」
ユーリの鬼、と文句を言ってやりたかったが、彼を学校に連れ出したのは紛れもなく私だと思い口を閉ざす。溶けてしまいそうな教室の中で振り向かずに手を動かすユーリはきっと口を尖らせる私に感づいて楽しそうに口角を上げているのだろう。そういうところは人一倍に気付きやすい人間だから。
けれど、この課題を終わらせてからもユーリと一緒にいられるのだと思えば少しはこの暑さにも耐えられるような気がした。
くらり、融解
(融点はとっくの昔に超えている)
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