人の傍らには必ずポケモンがいて、ポケモンの傍らにも必ず人がいる。お互いの足りない部分を補って生きていくと決めたからだ。人では辿りつけないところ、ポケモンでは手が届かないもの。そういうのを助け合って、この世界は生きている。
――私はそう信じたいし、これからもそうありたいと思っている。
時計の針が時を刻むように、朝陽が空の向こうから昇るように、当たり前を何度だって迎えたい。


 
彼の拒絶はもっともで、本来であれば私は甘んじて受けいれなければならないのだろう。それが『ミュウツー』という存在に対する『人間』としての在り方。選ぶべき正解の答え。
しかし、私は選べなかった。傲慢だと言われるだろう。罵られるだろう。嫌われたって構わない。彼が無事でいてくれるのなら、それでいい。
今日の天気は最悪だ。雨こそ降っていないが、空は雲に覆われていて、遠くのほうでは雷も鳴っている。ごろごろと不穏な音が何度も聞こえてきた。

「いやな天気……」
「ああ。まったくだ」
 
私の呟きを隣にいたワタルくんが拾う。
結局、ワタルくんに全てを話した。彼とミュウツーの取引や、私に内緒にされていたことを知っている、と。そして隠していたことを不問にする代わりに、力を貸して欲しいと訴えた。

ワタルくんは珍しくバツの悪そうな表情をしたのち、ミュウツーが言っていた怪しげな奴ら≠ェ気になったようで話を聞きたがった。とはいえ、私にも詳細はわからない。ただミュウツーが心配なのだ。彼が目的だった場合、特に。
 
二人でハナダのどうくつに足を踏み入れる。普段と変わらないように思えるが、ワタルくんはすぐに異変に気づいたらしく、私の手を引いた。急ぐぞ、と言いながら。
慌てて奥へ向かえば、徐々に喧騒が近づいてくる。不安になる度にワタルくんは何度も安心を与えてくれた。
ようやくたどり着いた最奥。岩陰に隠れながら、様子を窺うと二つ分の背中が見える。そこに描かれたR≠フ文字に息をのんだ。横目でワタルくんを確認すれば、案の定瞳孔が細くなって、怒っていることがわかった。

「ははは! いくらミュウツーといえど、手も足も出ないようだな!」
 
甲高い男の声が聞こえてくる。それに同意する女性の声も。
彼女が手にしている銃型機械の光線がミュウツーへ放たれている。網みたいなそれはポケモンの技の一つであるエレキネット≠ノよく似ていた。身体がしびれているのだろう。いつものエスパー技を繰り出せないようだった。片膝をつき、苦々しく彼らを睨み付けているミュウツーが見える。

「あなたを手に入れて、我々ロケット団は再びサカキさまをお迎えするのよ!」
 
ロケット団、という単語を聞いて、改めてワタルくんの怒気が強まった。いや、これは殺気かもしれない。こちらへ向けられているわけではないのに、息が詰まる。身体が萎縮した。

「きみはここにいてくれ」
 
すごく怖い声。いつもなら、頷いていただろう。

「やだ」
 
しかし今日の私は違う。ううん、これからの私もきっと違う。

「わがままを言うな」
 
押さえ込もうとする圧力を感じるが、こちらだって負けられない。

「……私、ミュウツーを助けたいって思ってここにいるの」
 
ワタルくんの顔をこちらに向けさせ、まっすぐに伝える。待っているだけなんていやだ、と。彼がロケット団の注意を引いてくれるなら、私がミュウツーを助けられるかもしれない。しかし彼は「だめだ」の一点張り。きみを危険な目には合わせられない、と首を振る。

「本当はここに連れてくるのも嫌だったんだ」
 
――知っているよ。わかっている。何度もあなたは私を家にいさせようとして、せめてイブキちゃんとフスベの本家で待っているように言い聞かせていた。本当なら、言う通りに待っているべきだろう。ワタルくんなら全部ひとりで片づけて、涼しい顔で終わらせてくれるに違いない。

それでも私は、今、ここにいる。いたいと選んだ。
息を吸って、はいて、また吸う。不思議と緊張も恐怖もない。彼の瞳も、こわくない。

「私、ポケモンのことが好きで、ミュウツーのことが大切なの。ねえ、ワタルくん。私はトレーナーになれないけれど、ポケモンと一緒に生きていくことはできるんだよ」
 
卑怯だっただろうか。契り≠フことを出せば、彼は黙るしかなくなってしまうから。でもこの心にある想いは、感情は、ちゃんと彼に伝えたかった。私はこれからも『ポケモントレーナー』として生きていくことはできないだろう。自分のポケモンを持って、旅をして、バトルをして―というのは難しいに違いない。けれど、一緒に生きていくことはできる。手を取り合わなくても、傍にいなくても、私はポケモンと一緒にこの世界を生きていく。
存外、この世界は単純で、とても優しいのだ。

『トレーナー』を『トレーナー』たらしめる『相棒』を私は見つけることはできないけれど、それでも私はポケモンが好きで、彼らに誠実でありたいと思う。
助け合うことはできないけれど、助けることはできると、信じたい。一方的だとしても、私らしいポケモンとの関係性だと思うから。

「ワタルくんはどう思う? 私にできるって思ってくれるでしょ?」
「……思うよ。当たり前だ」
 
諦めたように眉を下げ、表情を崩す。そして、私を引き寄せ、抱きしめた。ほんのりと感じる彼のぬくもりに包まれながら、その背に手を回す。

「わがまま言ってごめんね」
「そう言うのなら、待っていてくれ」
「あはは、無理です」
「だろうな」
「……手伝ってくれる?」
「もちろん」
 
最後にもう一度、私を強く抱きしめたワタルくんは「おれがロケット団の相手をしている間にきみは回りこんで、ミュウツーの元へ」と作戦を立てる。

「いくぞ」
「うん」
 
ワタルくんは最後に「怪我だけはしないでくれ」と念を押し、ロケット団の元へ向かった。わざと靴音を響かせて近づけば、敵の二人は振り返る。誰かの小さな悲鳴が聞こえた。

「まあ怖いもんね。怒っているワタルくん……」
 
つい同情してしまう。彼の怒気はさらに強まっており、あんなに怒っているワタルくんはなかなかお目にかかれない。

「ずいぶん面白いことをやっているな」
「ひっ、セキエイリーグの四天王だと……!?」
「ばかっ! 確か今はチャンピオンよ!」
「きみたちにまで知っていてもらえるなんて、光栄だな」
 
どうだろう、特別にセキエイチャンピオンの実力味わってみないか? と彼は相棒をボールから喚びだす。カイリューの咆哮が洞窟中に響き渡った。

「く、くそ! ここで退くわけにはいかないんだよっ!」
 
男性がボールからヤミカラスを繰り出す。しかし女性のほうは動こうとしなかった。これでは私がミュウツーを助けられない。彼女が持つ光線銃の先はいまだに彼へ向けられたままだ。そのことに気づいているワタルくんは誘導するようにロケット団へ言葉を投げかける。

「もう一人のお嬢さんは? おれが相手では不満かな?」
 
しかし、彼女はそれを鼻で笑い、あしらった。

「安い挑発には乗らない主義なの。そうね。そいつを負かせたらデートぐらい、してあげてもいいわよ」
「あいにくだが、おれには心に決めた相手がいるんでね。それに関しては、こちらからお断りさせてもらおうか」
 
ぴりりとした緊張感が頬に刺さる。息の吸い込む音さえも聞こえた。

「カイリュー!」
「や、ヤミカラス!」
 
始まったバトルを悠長に眺めているわけにもいかない。ワタルくんが頑張ってくれているのだから、次は私の番。岩陰から岩陰へと身を隠しながら、私はゆっくりとミュウツーに近づく。正直、あのロケット団はワタルくんの敵ではないだろう。本来ならばものの数秒でバトルはおわるはずだ。しかし、わざと時間をかけ、大袈裟に立ち回ってくれている。私が動きやすくなるために。

「ちょっと! ちんたらやっていないでよ!」

仲間に怒鳴り声をあげる彼女の視線がミュウツーから外れた。今しかない。
突き飛ばす勢いで相手へ突進し、手に持つ機械を狙う。彼女とともに二人して地面に転がった。しかし、ふいをついたおかげか、抵抗する前に機械を奪い取ることができたのは僥倖だ。じっくり光線銃を観察して、電源ボタンを探す時間はない。今でも銃口から伸びる光はミュウツーを捕らえている。

「ワタルくん!」
 
名を呼び終わる前に機械を彼へ向けて投げた。その意味をすぐさま読み取ったワタルくんはカイリューに指示を出す。

「はかいこうせん=I」
 
銃とは比にならない熱量が放たれる。鉄の焼ける匂いに顔をしかめるころには、無残な姿になったそれが地面に落ちる前に塵となって消えていく。同様にはかいこうせん≠喰らったのか目を回すヤミカラスも目に入った。

「ひぃっ!」
 
手持ちポケモンが戦闘不能になったことにより、男は右往左往しはじめる。逃げようとするが、ワタルくんのほうが早かった。一瞬にして彼と距離を詰めたかと思うと、重い拳が男のみぞおちに叩き込まれる。鈍い音のあと身体が崩れ落ちた。容赦のない一撃が効いたのだろう。手持ちと同様に目を回し――いや、これはあの人のほうがしんどそうだ。ご愁傷様である。
 
瞬間、二人の行く末を見守っていた私の背に衝撃と痛みが走る。先ほどの彼と同様に、鈍い声が口からもれた。受け身が取れず叩きつけられた身体に、ガツンともう一撃が襲ってくる。うつ伏せになった私へ鋭いヒールが突き刺さった。なんとか顔をそちらに向けると、凄まじい形相で私を見下ろすもう一人のロケット団員の姿がある。

「あんたのせいでっ!」
 
くちびるを歪め、何度も私の背を踏みつける。そのたびに肺から呼吸が逃げていった。私の名を呼び駆け寄ろうとしたワタルくんに「動くな!」と彼女は叫んだ。

「ミュウツーを拘束するモノは一つだけだけど、人の命を奪えるモノは持っているのよ!」
 
それがブラフなのかはわからない。しかし実際、ワタルくんの動きは止まった。カイリューもはかいこうせん≠フ反動が残っているようで動けないでいる。
――そんなに拳を握ったら、血が出ちゃうからほどほどにしたほうがいいのに。あとで彼へ言いきかせておかないと。
手も足も出ない私たちを尻目に、彼女は腰のボールからポケモンを繰り出す。重量感のある巨体に地面が揺れた。

「ニドキング! ミュウツーを捕獲しなさい!」
 
トレーナーの命令にニドキングは応える。ミュウツーはダメージのせいか、まだぴくりともしていない。

「だ、だめ」
「うるさいわね」
「っ、ぐ」
 
再びヒールに体重がかかる。痛みで視界がぶれた。

「だいたい、あんたに何ができるっていうのよ。見たところポケモンも連れていないじゃない。そんなあんたに何かを助けようなんて、無理なのよ!」
 
彼女の意気揚々とした声、爛々と光る瞳。何も知らない無知な私に優しく教えてあげている、と言いたげな表情。世間一般ではきっと彼女の考えが正しいのだろう。

「……そんなことない」
 
でも、やっぱり私にはそう思えない。諦めきれない。
たとえ怯えられても、怖がられても、私はポケモンと一緒にこの世界を生きていきたいのだ。きっと私にだって彼らと生きる方法はいくらでもあって、助ける方法もあるは、ず……そうだ、そうだこの手があった!
私は、私にしかできないやり方で、ミュウツーを助けてみせる。

「ニドキング!」
 
声帯が痛むほどに声を出す。今まさにミュウツーに傷をつけようとしていた彼は地に伏したままの私の声を聞いて、ぴくりと動きを止めた。

「ミュウツーから離れて! 傷つけないで!」

かすれた喉の奥に血の気配を感じるが、構わない。そんな私を見て、ロケット団は馬鹿馬鹿しいと笑った。

「は? トレーナーじゃない、あんたの言うことを聞くと思っているの?」
 
彼女を無視して、叫ぶ。

「私≠ェいるの。ここに。わかる? あなたが傷つけようとしているそのポケモンは私≠フ大切な存在なの」
 
じっとニドキングの瞳を見つめた。向こうもまた、私を見る。一切そらすことを許さないと圧力をかけるつもりで、目を見開く。

「賢いあなたなら、言葉の意味がわかるよね? 彼を傷つけたら、許さない。私≠フ長も許さないって怒る」
 
瞳の奥が熱くて、視界が狭く、暗くなる。でもどこか冷静な何か≠ェ私を通して言葉を発しているようだった。私という存在がその何か≠ノのまれぬように、必死に抗う。何度も同じ言葉を口にしていると、ニドキングがその意味に気づき、たじろぐ。
一歩、ミュウツーから離れた。

「な、何をしているの!? 言うことを聞きなさい!」
 
トレーナーの命令さえも彼には聞こえないようで、一歩、また一歩と後退っていく。

「ニドキング!」
「ニドキング!?」
 
私と彼女の声が重なった。怯えと信頼。トレーナーの期待に応えたいが、敵うはずもない強大なチカラを前にしている事実。見るからに彼の顔色は悪くなっていく。最終的に私への恐怖が勝ったのだろう。幼いニドランのように蹲って震えるようになってしまった。

「ちょ、ちょっとどうしたのよ!」
 
きっと普段は忠実なポケモンなのだろう。そんなニドキングをさすがにおかしいと思ったのか私の上から退いて、身体を丸めたままのパートナーの元へ向かっていく。

それをワタルくんが見逃さないわけがない。マントを翻し、一気に彼女の元へ近づいた。ロケット団員の息をのむ音が聞こえたかと思うと、同僚と同じく容赦なく拳がみぞおちに突き刺さった。ワタルくんは力の抜けたその身体を支え、腰につけられていたボールを抜き取る。ニドキングを戻し、彼女の身体ごと地面へ転がした。

「よ、容赦ないなぁ……」
 
淀みの無い一連の行動を見て思わず呟けば、答えの代わりに怒りの感情が返ってくる。

「きみが傷つけられたんだ。容赦をする必要は無いだろう」
 
それは喜んでいいのやら、なんなのやら。苦笑を浮かべ、返事をごまかした。
ワタルくんの肩を借りながら、ミュウツーの傍へ行く。「ミュウツー」と声をかけると、彼はようやく閉じていた瞼を開けた。顔を伏せまま、こちらを見ずに音を飛ばす。

『来るなと言ったはずだ』
「うん」
『私なら問題無かった』
「そうだね」
『……人間は、よくわからない』
「私もだよ」
 
でもそれは人間だけじゃない。ポケモンもそうなのだと思う。わからないから、わかろうとして、一緒にいたいと選ぶ。そうやってこの世界は生きている。
ボディバッグにいれていたオボンのみを取り出し、ミュウツーに差し出す。それとあのチョコレートも。

「無事でよかった。本当に」
 
返事は無い。わかっていた反応だ。でも、それだけで充分。

「ミュウツー。そのうちここにリーグの人間がやってくる」

ワタルくんが静かに口を開いた。
ロケット団の残党がいた以上、リーグへ連絡をせざるを得なくなる。つまり人がやってくるということ。それも多くの。ミュウツーにとって、芳しくない状況が生まれてしまう。

なんとなく、お別れなのかもしれないと予感がした。首の裏を、瞳の奥を、寂しさがまとわりつく。
ミュウツーはようやく顔をあげた。紫水晶が、私を捉える。綺麗な瞳だ。

『……ありがとう』
 
今まで聞いた中で一番あたたかくて優しい音を残して、彼は消えた。
手の中にあったきのみとチョコレートと共に。


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