身体中にできた内出血の痣がようやく身体から消えるころ、ミュウツーは私の部屋を訪れた。
そろそろ寝ようか、と思っていた矢先、勝手に窓を開けて中へ入ってきたのだ。ふわりと夜風でカーテンが躍る。驚いて言葉を失っている私に彼が手をかざすと、身体が何かに包まれた。まるで、ぬるま湯のようなそれに浸っていると、彼は呆れたように言った。

『危機感が無いな』
「だってミュウツーが相手だもの」
 
本心からの言葉を聞いているにも関わらず、彼は何も言わず窓の外へと出ていく。すると、私の身体も自然とつられるかのように窓の外へと向かっていた。――私、空を飛んでいる! どんどんマンションは小さくなり、星が近くなる。ポケモンの背に乗った時とは異なる風が、頬を撫でた。これもミュウツーのチカラなのだろう。

『どこかへ行くか』
 
浮かぶ心地良さでぼうっとしていた意識が戻った。そんなこと急に言われても困ってしまう。――ふいに大きな月が目に入り、行き先が決まった。

「おつきみやま、行きたいな。月がきれいだから」
『わかった』

ミュウツーの指がくいと動き、身体がひっぱられる。抵抗もなく、そのまま彼にすべてを委ねた。しばらく空中散歩を楽しみ、おつきみやまの頂上へと私たちは降り立つ。しまった、なにか履くもの持ってくればよかった。まるい月の下、ピッピとピクシーたちが躍っている光景はずっと見たかったものだ。あの子たちが私に気づいていないのは、隣にミュウツーがいるからかもしれない。

「もう大丈夫なの?」
 
身体のことを尋ねれば、一言だけ返ってきた。

『問題ない』
「そう。よかった」
 
会話はそこで終わり。ピッピたちの愛らしい鳴き声だけが、静かな夜にこだまする。
ゆったりとした優しい時間を堪能したのち、彼が音を響かせた。

『――しばらくハナダのどうくつには戻らない』
「そう……」
 
だろうな、と思った。自由を求めていきついたはずのあそこは、だいぶ人の気配が強くなってしまっている。そのきっかけは、間違いなく私たちだ。申し訳なさが胸に渦巻く。もう会えなくなる寂しさは抱いてはいけない感情だろう――ん?

「ってあれ? しばらく≠ネの? もう≠カゃなくて?」
 
小さな違和感に気づいた私は期待に満ちた表情をしていたに違いない。

『いつかは戻る予定だ。あそこは都合がいいからな』
「じゃあ、その間はどこへ行くの?」
『決めていない』
 
彼は言う。ただ、さまざまな場所へ行く、と。思うままに、気のままに。

『――少し、人間という存在を知りたいと思った』
 
たった一つの言葉に胸がいっぱいになる。彼の旅は満足のいくものにならないかもしれない。結局人間に失望してしまうかも。けれど、今、ミュウツーの心に芽吹いたものは確かにそこにある。だから私は信じている。その気持ちがきっと大きく育つことを。

『だからその前に、お前のことを解決しにきた』
「私の……? あ、もしかして」
 
過ったのはワタルくんと彼の間で交わされた約束のこと。慌てて首を振って叫んだ。

「解かなくていいの!」
 
私の声はあまりにも大きかったようだ。ピッピたちに気づかれてしまったらしい。ぴたりと動きを止め、一瞬にして散り散りになっていく。申し訳ないことをしてしまった。自分でしたこととはいえ、がっくりと肩が落ちる。

「……あのね、本当にいいの。もう、これは私の一部になってしまったし、そもそもワタルくんが気にしすぎているだけなんだから!」
『しかし、それではお前はずっとポケモンに怯え続けられるままだ』
「そんなことないよ。フスベのポケモンたちは私を怖がらないし、あとは……ミュウツーだってそうでしょう?」
 
にやりと笑うと、彼は何も答えず顔を逸らした。なによりも雄弁な答えをもらって、満足である。

「それにね、好きになれると思うの――ううん、もう好きなんだよ。このことも、他のことも。ぜんぶ。これはちゃんと私から生まれた感情だから、わかるの」
 
あの時、ミュウツーを守れたのはこの体質のおかげだ。笑いあって、手を取り合うことができなくても、私はポケモンと一緒に生きていかれる。それを示す出来事に違いなかった。

「もう、全部好きだよ。大切なの」
 
口にしたらよくわかる。気づかなかったこともたくさんあったけれど、私はもう好きなのだ。伴う甘い感情を噛みしめる。ここまで頑なに私がこの体質を残そうとしている理由がようやくわかった。

――なんだかんだ、忘れられなかったのは私も同じだったのかもしれない。フスベに戻ってきたのも、鍵を渡したのも、ぜんぶ期待していたのだ。そしてこの体質がある限り、私に縛られてくれるかも、という少しほのぐらい独占欲。昔から息づいていた恋に気づかなかったのは、私だけだ。

「私のことは気にせず、ミュウツーはいろんなところを巡ってきて。お土産待っているね!」
『――やはりお前のことは永遠に理解できないかもしれないな』
 
だが、そういうところが好ましい。ほんの少し目元を緩め、ミュウツーは笑う。初めて見る、彼の笑顔だった。



翌朝、ベッドの中で目が覚めた。
どうやって帰ってきたか覚えていない。夜の出来事は全て夢だったのかもしれない、と思いかけ―テーブルの上に置きっぱなしにしてあった、チョコレートたちが消えていることに気づいた。

「いってらっしゃい、ミュウツー」
 
戻ってくるその日まで、たくさんおいしいものを用意しておくね。


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