これは少し未来の話。
具体的にいうと、彼に敗けを認めるよりちょっと前ぐらい。――とはいえ、もうこのころにはとっくに心をあの人に盗まれてしまっているのだけれど。私なりのプライドでまだ決定的な言葉を口にしないでいた。
「ピアスホールを開けたい?」
本日のお茶会のメインディッシュであるシンオウ名産「もりのようかん」を食べる手を止め、イブキちゃんは怪訝な顔をして私の言葉を復唱する。
「うん。かわいいのを見つけてね」
嬉々としてそのピアスを取り出す。小ぶりなイミテーションの石がついたものだ。透き通ってきらきらと輝くそれは、何度見てもかわいい。
「この青いのがね、イブキちゃんの色できれいだなぁって思ったの。そうしたらいつの間にか買っちゃった」
「ふ、ふーん。まあ、悪くないわね」
自分に似ている、というのがお気に召したのか、先程とは打って変わって上機嫌になるイブキちゃんに笑みがもれる。やっぱりイブキちゃんはかわいい。買ってよかったな、と私も嬉しくなった。
「イブキちゃんのそれはイヤリングだよね?」
「ええ。ホールは開いていないわね。というか、専門店へ持ち込めばピアスもイヤリングに変えられるし、あなたも無理に開ける必要はないんじゃない?」
「それも考えたんだけど……」
最初は私もイヤリングへと変えるつもりだった。しかし、いい機会かもしれない、とも思ったのだ。なんとなくピアスという存在への憧れがあったことも、私を後押しする。それにせっかく『ピアス』を買ったのだからそのまま使いたい。ついでに穴を開けてしまおう、とどんどん気持ちは昂っていった。ちょっと怖いけれど、今は好奇心のほうが強い。
「やっぱり初めては病院に行かないといけないかな。自分でやると失敗しそうだし」
「わたしはやらないからね」
「はーい。わかっています。あ、でも、ワタルくんならやってくれるかな」
従兄弟の名前が出た瞬間、イブキちゃんは渋い顔をした。そして絞り出すように「ワタルはやめておきなさい」と言う。
「そうかな。一思いにやってくれそうな気がするけど」
「そもそも説得できると思う? 『ピアスホールなんて……』って説教しはじめるタイプよ」
「ああ……」
その想像は容易い。ならやはり病院へ頼んだほうがいいのかもしれない。早速、病院の予約をしよう。早くこのピアスをつけるのが楽しみだ。偽物とはいえ青い宝石の輝きは大切な友人の凛々しさを表しているようで、とてもお気に入りなのだから。早くそれで自分を彩りたい。
――という話をしたのが先月の話。
あのあとすぐに病院へ行き、ピアスホールを開けてもらった。定着するまで一か月ほどかかるとのことなので、なんとかワタルくんに隠し続けた。(ちょうど彼が忙しくて、なかなか会わなかったのも幸いしたといえる)
困難を乗り越えてようやくファーストピアスを外すことができたものだから、浮かれた私は久しぶりに会えた彼へ青い光が輝く石を自慢することに決めた。いつものように部屋に招いた彼が腰を落ち着けた早々に「見て!」とわざわざアピールしたほどだ。
開けたことはいつかわかることだし、隠すこともない。もうホールは完成したのだからいまさらなんやかんや言われたところで痛くも痒くもないというのもある。ワタルくんは私のピアスを見て「へえ、ピアス開けたのか」と意外と好印象な反応を見せた。
「なんだ、もっと反対されるかと思った」
「きみが開けたいと思ったんだろう? そこでおれが反対する資格はないよ。危ないことならまだしも、ピアスホールだしね」
ただ、と彼は指で私の耳朶に触れる。少しかさついたそれがピアスをいじった。そのくすぐったさに身を捩るが、いつの間にか腰にもう片方の腕が回っていて逃げられなくなっている。
「おれが開けたかったな」
「えぇ? 病院行けっていうタイプでしょ、ワタルくんは」
「まあ普通ならそう言うよ。でもきみの耳だからなぁ。きみの
予定だったのに、残念だ」
いまだに指は離れない。その動きにぞくりと背筋を何かが駆ける。
「ちょ、ちょっと、ワタルくん!」
なんだか嫌な予感がしたので、きつく声をあげれば「はいはい」と残念そうに身を引いた。じとりと睨むが彼には効いていないのか、いつもの余裕に満ちた態度のままだ。
「まあ、ともかくおれはそこまでうるさい男じゃないよ。そもそも、そう思われていたほうが驚きだ。おれは未来の恋人≠ナはあるけれど親ではないのだしね」
「こっ……!」
「事実だろ?」
したり顔の彼へ「ワタルくん、前に増していじわるしてない?」と不満を口にすれば「きみが応えてくれさえすれば、すむ話だ」と反論される。
「いい加減、敗けてくれればいいのに。おれのこと、好きなんだろう?」
否定の言葉も肯定の言葉も返せないので、黙ってそっぽを向くことしかできない。その行動こそが、なにより彼の求めている『答え』だとわかりながら。
❖
「プレゼント」
ワタルくんと出かけた帰り道、彼はふいにラッピングされた包み紙を渡してきた。シンプルなそれは店舗でのラッピングというより、どこか手作り感がある。開けていいか確認をしてから、封のシールをはがす。
中から出てきたのは赤い石がきれいなピアスだった。その美しさに思わず感嘆の声がもれる。澄んでいるのにどこか深みのある色。落ち着いた赤さはワタルくんを連想させた。
「イブキの色だけじゃなくて、おれの色もつけてくれ」
「……もしかして妬いている?」
まさか、と思って尋ねれば「どうかな」と彼は肩を竦めた。
「イブキが君の特別なのはいまさらだから。それに今は誰が特別でも構わない」
現在進行形で私の耳を彩っている青い石をワタルくんは見逃さない。
「いつかきみの特別も大切も、全部おれのものになるって知っているからね。妬く、という感情は起きないさ」
もちろん、おれはとっくにきみのものだよ。
なんとも言えない気持ちがわきあがる。私の全てを彼は求めていて、彼の全てを私に捧げると言っている。スケールがちょっと違う、ような。普通の人と見ている規格が異なるのだろうか。途方も無い未来をワタルくんは見据えている。普通の人にそれを言ったら多分引かれてしまうだろう。――私は大丈夫だけれど。伊達に彼と幼なじみをしていない。
「それに、ほかのピアスもみんな同じ色だからちょうどいいだろ?」
さらりと付け加えられ一言を振り返ると、確かに新しく買い足したピアスも全部寒色系のものばかりだ。ピアスのきっかけがイブキちゃんを思い出させた色だったから、自然とそうなってしまったのかもしれない。
理由はともかく違った色のピアスを贈ってもらえたのは嬉しい。素直に感謝を伝えれば、彼も「どういたしまして」と言う。
「知り合いに一等綺麗な石を選んでもらったんだ。きみに似合うはずだよ」
「えっ、もしかしてこれ本物なの!?」
「もちろん」
てっきりイミテーションだとばかり。急にピアスに重さを感じる。きっとかなり高価なものだろう。簡単にいただけるものでは、ないんじゃ……。
「プレゼントなんだから受け取ってくれ。きみがつけているところを見たいんだ。おれのわがままだよ」
「……わかった。ありがたくいただきます」
折れた私にワタルくんはわかりやすく嬉しそうに笑みを深めて「つけて」と催促をしてくる。素早く荷物を奪って、場を整えてくるのだからずるい。
「外でつけるの、大変なのに」
口では文句を言いつつ、従う私はなんだかんだ彼に甘い。つけていたピアスを落とさないように気をつけながら、赤い石を耳に宿らせる。
「どう?」
「想像通り。すごく似合っている。かわいいよ」
甘い声と瞳を向けられて、心が躍らないわけがない。自分では確認できないけれど、その言葉が全てだ。似合うと思ってほしいのも、かわいいと言ってほしいのも、ワタルくんだけで充分だから。
「おれも開けようかな。お揃いにしたい」
ふと彼が呟いた。自分の耳朶を触り、名案だとばかりに声を弾ませる。ピアスをつけたその姿を想像する。想像して――「私はいやかも」と否定の言葉を告げた。
「どうして? 似合わない?」
「似合うと思うよ」
「なら……」
「理由は言いません! 秘密! とにかくワタルくんは開けなくていいの!」
理由なんて一つに決まっている。ただでさえワタルくんは格好いいのに、ピアスなんてつけたらもっと格好良くなってしまうからだ。そうしたら、いろんな人が放っておかない。素敵な人だってたくさん彼の元へ来てしまう。そんな人たちに囲まれた彼を想像するだけで、胸がもやもやするのだ。私は。ワタルくんは少し考えて、面白そうな声を出す。
「……なんか、おれ好みなことを考えている気がする。教えて」
「絶対やだ!」
顔も知らない想像上の人物に嫉妬したなんて口が裂けても言えない!
照れくさくなったのを誤魔化すように、早足で先へ行く。だから気づかなかった。そんな私の背を見ながら、彼があの竜の瞳を浮かべていたことに。瞳孔が細くなって、鋭い焔が揺れるあの瞳。
「――そろそろ手に入れられそうだ」
なんて呟いていたことも、私は知らない。