伸びた背で眺めるフスベの風景は少し新鮮だった。あの塀の向こうはこうなっていたのか、あそこの奥はこう見えたのか――と新しい発見もあれば、変わらない懐かしさに胸が震える。

思ったよりも私はこの場所を覚えていて、進む歩みは迷うことなくフスベジムへと向かう。予定より少し早いけれど、もしかしたらジムリーダー姿のイブキちゃんを見られるかも、なんて邪な気持ちもあったり。すごくかっこいいに決まっている。

彼女とのやりとりは手紙からメールへ、今はメッセージアプリと姿を変えたが、子供の頃からずっと途切れることはなかった。だから、ジムリーダーになったことも知っている。じつは彼女が載った雑誌は買ってスクラップまでしている。けれどやっぱり直接、見たかったのだ。あの凛々しい彼女が、キングドラと揃いのブルーに身を包んで戦う姿を。
ちょうどタイミングよく挑戦者が来ていたりしないだろうか。そうしたら見学ってさせてもらえるのかな。
 
そんなこと考えていると、フスベジムが見えてきた。自然と早足になって向かうと、入り口の前に誰かがいるのが見える。人数は二人。片方はイブキちゃんだ。その横顔はなんだか芳しくない。それが向けられている相手に目をやって、つい名前が漏れた。

「ワタルくん?」
 
離れているのに二人は私の声を拾ったのか、同時に視線を向けてきた。あの日以来に彼の瞳が私を映す。記憶よりもずっと大人になったワタルくんの口が私の名前の形を作った。低い、どこか甘さを帯びた男の人の声。当たり前のことだというのに驚いてしまって、少し呆けたが「久しぶり」と手を振って近づいた。
状況が飲み込めていないワタルくんを置いて、イブキちゃんは「早いじゃない」と一言。

「お爺さまに挨拶に行ったんでしょ? 久しぶりだというのによく帰してくれたわね」
 
確かにお爺さまの話は昔から長い。でも、このあとにイブキちゃんと会うと伝えたら、想像より早く開放してくれたのだ。

「あなたは一族の血縁じゃないから、わざわざ挨拶へ行く必要はないのに」
「お世話になっていたしね。両親も、私も」
 
そういうところはきっちりしないと、と笑う。

「それにしてもイブキちゃんかっこいい! やっぱりブルーが似合うね。キングドラとお揃いカラーなのも素敵だなぁ」
「ふふ、そうでしょ? やっぱりあなたなら、わかってくれると思っていたわ!」
「うん! 写真よりずっといい! あ、この前のインタビュー読んだんだけど―」
 
こほん、と大きな咳払いが私の言葉を遮った。もちろん、ワタルくんが犯人である。

「……説明してくれ、イブキ。なんでこの子がここにいるんだ?」
「とりあえず今日はわたしと食事に行くからよ」
「うん。コガネの美味しいレストランに行くの」
 
ねーっ! と顔を見合わせる。しかし、ワタルくんは頭を振って「そうじゃない」と否定を口にする。その苦々しい表情を見て、なぜかイブキちゃんは満足げだ。

「とりあえず、わたしは着替えてくるわ。ワタル、さっきの件、確認しておくけど色よい返事はできないと思ってちょうだい」
「あ、ああ。わかった」
「それと、あなたはワタルへ自分のことを説明しておきなさい」
 
いいわね? と念を押される。その勢いにつられて、つい頷いてしまった。正直、イブキちゃんに説明してもらいたかった。先程からワタルくんの視線が、刺さってものすごく痛いのだ。

「……その格好のままでもいいよ?」
「さすがに食事の場にバトルスーツでは行かれないわよ。なにより、わたしに面倒事を押しつけようとしたって、そうはいかないから」
 
私の目論見を見抜いていたイブキちゃんは、それだけ言い残してジムの中へ戻っていった。彼女の姿が消えると、訪れたのは沈黙と私の出方を待つワタルくんのみ。仕方ない。腹を括るしかなさそうだ。

「ええと、久しぶり、ワタルくん」
「ああ、久しぶり」
 
子供の頃はそんなに変わらなかった身長も、こうして大人になれば性差が顕著に現れる。
見上げるぐらいに遠くなった彼の顔は、いまだに険しいままだ。何を言おうかと悩んで、とりあえずずっと伝えたかったことを音にする。

「すぐわかったよ。ワタルくんだって」
「……イブキが隣にいたから?」
「やだなぁ、私、イブキちゃんだけを追いかけてわけじゃないよ」
 
ワタルくん、全然雑誌には出てくれないんだもの。追いかけがいがないよ、とからかった。実際、ワタルくんが載るのは学術誌とかのお堅い専門誌ばかり。バトルトレーナーでない私が買うのにはハードルが高いし、取り扱っている書店も少なかった。それでも購入して読んでいたのは、ひとえに彼のことを追いかけたかったからに他ならない。
そしてこの前の最新号で知った大きな出来事。私はワタルくんを見つめ、言った。

「ワタルくん、チャンピオンおめでとう」
 
その記事を読んだ時「やっぱり」という納得しかなかった。そこに至るまでの彼の努力は、私には想像できない。なにより彼はその努力をひけらかすタイプでもないのを知っている。
だから私はこの結果を当たり前のように受け入れて、祝福の言葉だけを伝えようと決めた。

そして、それを絶対に直接言いたかった。おめでとう、と。しかし、いざ口にするとなかなか恥ずかしい。やっぱり幼い頃のようには接することは難しいみたいだ。なにせ彼は「大人の男性」になっている。誌面で見るよりずっと格好良い。纏う空気も、声も、姿も。悔しいので、そのことには触れないけれど。
ワタルくんは私の言葉を聞いて、ようやく深い溝を作っていた眉根を緩めた。息を吐きだして、身体に入っていた力を抜く。

「どうしてフスベに? ご両親は?」
「両親はカロスだよ。こっちに来たのは私だけ」
「なんでまた?」
「端的に言うと勤めていた会社が潰れそうになったから、逃げてきた」
「……そりゃあまた」
 
楽しい話じゃなくてごめんね、と申し訳なく思いつつ、とりあえず自分の身に起きたことを話し始める。
私はそのままカロスで育ち、就職した。ちょっと黒めの会社(ブラック企業)の気はあったが、すぐさま転職へと奮起するほどでもない。良くも悪くも、なあなあなまま数年ほどそこで働いた。
しかし、次第に業績が傾きつつあるという噂を耳にするようになった。加えてそれが現実味を帯びてきたとあれば話は別。給与が未払いで倒産する前にと逃げ出してきたのだ。がっつり退職金もいただいて。

こうして私は束の間の休息を得た。
大人として、次の就職先を見つけなければという気持ちもあったが、こんなに自由に時間を使えるのは今しか無い。そう考えた私は「イブキちゃんに会いに行こう!」と一念発起し、こうして今日フスベへやってきたというわけである。

「まあ、こっちで仕事見つけられたらいいな、って邪な考えもあるんだけどね」
 
宿はいまのところコガネのビジネスホテル。もしこちらで仕事を見つけられるのなら、
どこか住まいも探す必要がある。一人暮らしもしてみたい。まあ、なんとかなるよ、と誤魔化すように眉を下げると、ワタルくんは難しい顔のままでくちびるを結んだままだ。

「ご、ごめんね。あまり気持ちのいいものではないよね」
「すまない。そういうつもりはなくて――」
 
彼は大きな手で顔を覆いながら、深いため息をこぼす。

「きみが大変なときにおれは何もできなかったな、と」
 
それは仕方のないことだ。だって、私たちは連絡も取り合っていなかったのだから。

「遅くなっても、きみの手紙に返事を出せばよかった」
「……届いていたの?」
 
驚きがそのまま声に乗る。ワタルくんは「ああ」と同意した。

「実家のほうにね。あのあと、おれはすぐに修行へ旅立ってしまったから、帰ってきてから読んだんだ」
 
なるほど。返事が無かったのはそのせいか、と十数年越しに納得する。
引っ越しをしたあと、私はカロスからイブキちゃんとワタルくんにそれぞれ手紙を書いた。しかし、返ってきたのはイブキちゃんからのみ。ワタルくんに筆無精のイメージは無かったから、たまたまかな? とそのあとも何通か彼宛に出したのだが――そもそも読まれていないのなら、返事もできない。

「てっきり、私のこと嫌いになったのかと思った」
「それはない」
 
あまりにもばっさりとした言い切りに「え」と変な声が出る。目を丸くした私へ、彼はもう一度、同じ言葉を告げた。

「それはない。返事も時間が経っていて―きみに『なにをいまさら』と呆れられるのが怖くて返せなかったんだ」
「そ、そっか。確かに時間が空いたなら気まずいもんね」
「きみのことを嫌いになるなんて、ない」
 
まっすぐ向けられる瞳に自身の体温が上昇するのに気づく。大人の男性にこんな風に見つめられることなんて初めてだ。

「……じゃあ、今度はちゃんと連絡先を交換しようよ」
 
どきどきと響く内心を悟られぬよう、私は取り繕いながらバッグから携帯端末を取り出す。画面を立ち上げながら、ワタルくんへも促した。彼の持つ端末と通信をすれば、ものの数秒でお互いの連絡先が交換される。
かがくのちからってすごい。こんな簡単に彼の連絡先が手に入ってしまった。これでは、手紙の返事を待っていたころの小さな私がうらやんでしまうに違いない。

「これで他の地方へ修行に行っても大丈夫だね」
「今、行くとしたら修行じゃなくてリーグの用事で、だな」
「リーグ本部所属は忙しいんだ。おつかれさまです、チャンピオン」
「……からかわないでくれ」
 
わざとチャンピオン≠ニ口にすれば、彼はまた渋い顔をした。その表情がどことなく記憶にある懐かしさと重なるものだから、私の口はゆるゆるとあがっていく。昔の調子が戻ってきたようだ。

「そうだ。りゅうせいのたきへ修行に行ったのなら、もちろんチルットをゲットしたよね? 進化すればチルタリスになるし」
 
ついでに思い出したポケモンことを尋ねると、肯定の返事。チルットの最終進化であるチルタリスはドラゴンタイプのポケモンだから、ワタルくんは絶対に手持ちにしているという確信があったのだ。だからあの日、私にゲットするよう言ったのだろう。
やっぱり! と喜んでいると、ワタルくんは腰のボールを取り出した。そして止める間も無く、チルタリスを喚びだす。
 
目の前には、私とほぼ大きさの変わらないチルタリスが現れた。通常のチルタリスはもう少し小さいはず。それ以上の大きさをもつこの子は、ワタルくんが手ずから育てたポケモンであることが窺えた。ふわふわとした白い羽毛に青い身体。まるで青空そのものを現わすようなチルタリスは、窮屈さをほぐすかのように震える。その姿に「生きているんだ」と実感した。本物を見るのは初めて。愛らしい姿にあっという間に心が奪われる。
夢中になっている私を見て、ワタルくんはごく自然に尋ねた。

「触る?」
「え、えっと……その……」
 
歯切れの悪い私の返事に「別に噛みつきはしないさ」と勘違いした彼は手本を見せるかのように、チルタリスの頭を撫でる。撫でられたことに喜んだチルタリスは歌うような鳴き声を響かせて、嬉しそうに目を細めた。
しかし私は手を伸ばせない。抱えているとある理由・・・・・が邪魔をする。それをこの人に知られるのが怖い。
ポケモンに長け、彼らに愛されたワタルくんへ晒されることに恐怖を感じる。
 
いまだに動かない―正しくは動くことができない私に痺れを切らしたのはチルタリスのほうだった。私に一歩近づき、見定めるかのような視線を投げてくる。
それがどのくらい続いたか、正確な時間はわからない。数秒、数分。決して短くはない時が流れた。そして私はお眼鏡にかなったようで「撫でてもいいぞ」と言わんばかりに、頭をすり寄せてくる。その姿に震えた声が喉から出た。
淡い期待を胸に、ぬくい体温に恐る恐る手を伸ばす。

「もっと強く撫でて大丈夫だ」
「う、うん」
 
言われた通りに力を込めれば、チルタリスは先ほどと同じような鳴き声をあげる。嫌がられてはいないように聞こえるそれに、私はどうしようもなく安堵する。

「かわいい……」
頭だけでは物足りなくなった私は断りを入れて、羽に手を伸ばす。ふわふわとしたそれに手のひらがあっという間に沈んでいく。
すっかりチルタリスの虜になった私の横で、ワタルくんはもう一つのボールを取り出した。
出てきたのはカイリューである。カイリューは私のことがすぐわかったみたいで、腕を広げチルタリスごと抱きついてきた。

「カイリューも久しぶり。覚えていてくれたんだね」
 
子供のころと同じ接し方にほっと息を吐く。当時よりも少しだけ近づいたお互いの距離に気づいたカイリューはまた嬉しそうに声をあげた。私たちのじゃれ合いを眺めていたワタルくんは「妬けるな」と楽しげな声で笑う。

「ワタルくんじゃなくてカイリューに手紙を書けば良かったかな」
 
そんな皮肉を言っても、彼には効いていないらしく肩をすくめるだけ。「きみたちのトレーナーさんはつまらないね」とポケモンたちに同意を求めるが、残念ながら二匹はワタルくんの味方のようだ。

「三対一なんて卑怯だ」
「じゃあきみも味方を増やせばいい」
「…………」
「ポケモンは? あんなに欲しがっていたんだから、一匹ぐらい――」
 
声が途切れる。やはりワタルくんは聡い人だ。私の異変をすぐに察知して言葉を飲み込む。様子のおかしい私たちにカイリューがどうしたのかと首を傾げ、チルタリスが鳴いた。そんな彼らに挟まれ、ポケモンのぬくもりを感じながら静かに言う。

「私ね、手持ちいないの」
 
チルタリスが出てきたときから、こうなることは予想できたはずなのに。回避されたなんて喜んでいたことが、滑稽に思えてくる。
彼に嘘はつけない。つきたくないし、遅かれ早かれバレてしまうだろう。イブキちゃんには隠していないし、彼女から伝えられるぐらいならちゃんと自分の口から言おう。

「なんか、ポケモンに怯えられちゃうんだよね。だからゲットしても、仲良くなれなくて……」
 
自分でボールに入れたポケモンとなら仲良くなれるかも、と考えたこともあった。しかし、それは私を見つめる怯えた瞳で打ち壊されることになる。そんなのを見てしまったら「手持ち」を増やそうだなんて思えない。

「――いつから」
 
ワタルくんの声は、ひどく静かだ。

「カロスに引っ越してすぐ、かな」
 
その答えに彼の瞳が揺れる。慌てて「でも大丈夫! もう慣れたし、こうしてカイリューたちは大丈夫だから、こっちではゲットできるかも!」と言えば、ワタルくんもすぐさまいつも通りの表情に戻った。
ポケモンが中心で回る世界で『ポケモンに怯えられる』なんて言われたら動揺するに決まっているし、気持ちだってよくない。悩んだこともあったけれど、今はもう「そういうものだ」と腹を括って、受け入れている。これも一つの個性といえるだろう。ただ、あまり人には教えられないだけの。

「本当に大丈夫だからね。変な気遣いとか、いらないから」
 
念を押すと、彼は「わかっているよ」と頷いた。

「それにしてもイブキちゃん遅いね。大丈夫かな」
「もしかしたら雑務に捉まっているのかもしれないな。様子を見てくるよ。きみは、カイリューたちと待っていてくれ」
「はーい」
 
断る理由も無い。久しぶりにこうしてポケモンと触れ合えたことは、私にとって何よりも魅力的なことだったから。
だから気づかなかったのだろう。彼の目の奥が一欠片も笑っていないことに。
そして瞳孔が細くなり、鋭い光が宿る。灰の奥に、赤い血が混じった――竜の瞳をしていたことにも。


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