「新しい仲間にかんぱーい!」
カスミさんの高らかな音頭にあわせてグラスが触れ合う音が響く。一応主役の私の元へたくさんのそれが集まってきたので、一つずつ丁寧に返していった。
「ジムにしてもそうだけど、ハナダシティへようこそ! 素敵な街だから、気に入ってくれると嬉しいな」
隣でにこにこと笑うカスミさんは、モクテルの入ったグラスを私に近づける。私も、自分のお酒が入ったグラスを持ち直した。
「はい、ありがとうございます」
触れ合う涼やかな音は、彼女の得意とするみずポケモンの鳴き声のようにも聞こえる。
私は無事にハナダジムのバックオフィスとして採用されることとなった。ワタルくんからの推薦であること、今までの経歴とタイピングテストに問題がなかったこと……なによりもカスミさんが「一人でこっちに来たの? その気合い、素敵じゃない!」と私自身を気に入ってくれたのだ。
懸念事項であった『ポケモンに怯えられる体質』についても「バックオフィスはそんなにバトルに関わらないし、大丈夫でしょう」と、気にされなかったのもありがたい。
かくして、ハナダジムの一員となった私の歓迎会が催されている。ジムのみなさんは優しくて、ありがたいことに私はすぐに打ち解けることができた。
「そういえば、フスベのイブキさんとは知り合いなの?」
カスミさんの問いに肯定する。幼なじみであることも付け加えた。隠すことでは無いし、イブキちゃんのことだから私を心配してハナダジムへ連絡を入れたのだろう。(ちなみに予想は当たっていた)
「イブキさんと幼なじみってことは、ワタルさんも?」
「はい。といっても、イブキちゃんとは違ってあまり連絡を取ってはいませんでしたが」
タイミングが悪くて、と肩を竦めれば、カスミさんのブルーの瞳が輝く。誰に聞かれるわけでもないのに、声を潜めた。
「あのワタルさんの子供の時代ってどんな感じ?」
「どんな感じ、と言われても……」
「だって想像つかないんだもの。ワタルさんにも子供のころがあったのかな、って思っちゃうのも仕方ないじゃない?」
そう言われると何も言えない。確かにワタルくんってちょっと浮世離れしているし。そう思われて仕方ないのかも、なんて。記憶にある幼い姿と今の彼を重ねて――
「あんまり変わっていない、ですね。なんというか、小さい頃から大人びていた人なので」
「ああ、わかるかも。隙とかって見せないよね、ワタルさん」
彼女のグラスに入った氷にヒビの入る音が響く。
「線を引いているというか、ちょっと距離を感じるんだよね。リーグの一員として、同じ先を向いているはずなのに、すごく遠いところをワタルさんだけは見ている気がして」
続く言葉は私にはあまりピンと来なかった。ワタルくんは昔から、何を言っているかよくわからないことがあった。けれど、その言動に距離を感じるとは思ったことはない。
とはいえ私とカスミさんとでは、もう彼女の方がワタルくんと過ごしていた時間は長い。彼は四天王として、リーグの長として、ジムリーダーのカスミさんとは多かれ少なかれ関わりがある。彼女がそう感じるほどの時間が過ぎている。
――そうか、私はカスミさんにも負けるほど、ワタルくんと離れていたのか。なんだかそれが寂しい、なんて。
「えっと、その……」
つい返答に言い淀んでしまうとカスミさんは目を丸くしたのち、楽しそうに口元を緩める。
「そうよねぇ、あなたにとっては幼なじみ≠セもんね」
「……? ええ。まあそうですね?」
首を傾げる私にカスミさんはさらに笑みを深めた。それは今まで見せたものよりずっと年相応なもので、楽しそうに瞳を輝かせている。
「あたし、恋バナ大好きなの! もっと聞かせて!」
「え? こいばな?」
急な話の転換についていけない。恋バナなんて内容を今までしていただろうか? 目を白黒する私の横から、急に声が飛び込んでくる。
「えーっ! ちょっと、なになに!? 恋バナしているんですか!? ワタシたち置いて盛り上がらないでくださいよ!」
「ききたーい!」
恋バナという単語が聞こえたせいか、他の話題で盛り上がっていたジムトレーナーのみなさんが詰め寄ってくる。その圧に後退るが、いつの間にか背後に回っていたカスミさんに退路を塞がれてしまった。最後の手段で遠くにいる男性トレーナーさんたちへ助けを求めるように視線を向けるが苦笑が返され、終わる。
「やだ、グラス空じゃない!」
「おかわり何にする? ここ、マゴのカクテルが美味しいのよ」
「店員さーん! オーダーお願いします!」
おてんば人魚≠ェトップを務めるハナダジム。とても気さくないい人たちばかりだけれど、まだまだ振り回されるような予感しかしない。
ふわふわとした足取りと、たまに揺れる視界。高揚感の後ろに潜むほんの少しの倦怠感。考えなくてもわかる。飲み過ぎてしまった。
「明日休みでよかった……」
あのあと、ワタルくんの話題を逸らすために無駄にお酒を煽ってしまったのだ。雰囲気にのまれたともいう。途中のフレンドリィショップで買った「おいしい水」を飲みながら、自宅へ帰る。夜の匂いを運ぶそよ風が熱を持った身体に気持ちいい。
ハナダジムへの就職が決まったので、正式にこちらで住む場所を探した。見つけたのは中心街から少し離れた場所に建つ、こぢんまりとしたマンションだ。ジムからもちょっと遠いけれど、歩く分には苦にならない性だから大丈夫。ワタルくんは「セキュリティが……」と渋い顔をしていたが治安もいいところだし、私の体質上ゴーストポケモンに悪さされることもないので、それは杞憂というものだ。
ようやく見えてきた自宅にあくびが漏れる。身体はくたくたで、アルコールによる睡魔もやってきた。早くシャワーを浴びて寝よう。
「……誰かいる?」
三階の左角。そこが私の部屋だ。ドアの前、共用である外廊下の明かりに照らされて人影が見える。いくら酔っている頭とはいえ、さすがに警戒するというもの。わざと遠回りをして、アパートに近づいた。足音を潜め、階段を登る。こそりと様子を窺いながら、万が一の場合を考え、端末を起動し――
「ワタルくん?」
先ほどまで話題に上っていたワタルくんが、そこにはいた。慌てて彼に近づけば、声と音に気づいた彼は振り返って私を認識する。
「どうして、ここに?」
「ちょっと渡したいものがあって――酒の匂いがするな」
顔を顰めた彼に、ハナダジムで歓迎会してもらっていた旨を伝えた。すると、一拍置いて小さく呟く。
「きみ、もうそんな歳だっけ」
「私、イブキちゃんと同い年だよ。ワタルくんの中での私を子供時代で止めていないでよ」
「そうだな。認識を改めるよ。ただ、今度は迎えにいくから、おれを呼んでくれ」
個人的にはそんなことで彼を呼び出すのは忍びないので、適当に返事をした。それよりも、彼の声がいつもよりも乾いている。まさか、と背伸びをして頬に触れれば、ひやりと指に冷たさが伝わってきた。目を丸くしたワタルくんが何か言う前に、尋ねる。
「もしかしてずっと待っていた?」
「そこまで時間は経っていないよ」
嘘だ。
ワタルくんはこういう嘘をすぐにつく。相手へ負担を感じさせないために。
私にそういう気遣いはいらないのにな、と拗ねる気持ちを抱きながら「それで、ワタルくんはどうしてウチの前に?」と重ねて訊いた。すると彼は手提げの紙袋をこちらへ差し出す。
「お裾分け」
首を傾げつつも受け取って中を見る。シンプルな箱が数個、中に入っていた。手書きで「オレン」や「モモン」ときのみの名前がいくつか書かれている。
「なあにこれ?」
「デボンコーポレーションの新商品の試作品」
「でぼん……!」
それってホウエンの大企業じゃないか。なぜその試作品がここに?
ワタルくんは私の疑問を見抜いて「ホウエンチャンピオンがね」と先んじて声を出す。そういえば、ホウエンチャンピオンはデボンコーポレーションの御曹司だったような。
そのホウエンチャンピオンから贈られたこのお菓子たちは、ポロックというポケモン向けのお菓子に似せた、人も美味しく食べられるチョコレートとのことだ。ポロック自体、人も食べられるけれど、素材の味が強すぎてそこまで美味しいものではない。しかし、ポケモンと一緒に食べたいというトレーナーは多く――その声に応えたというお菓子がコレらしい。
「今日段ボールで届いて、いろいろと配ったんだが……」
「捌ききれなかったんだね……」
遠い目をするワタルくんにつられ苦笑する。どうやら本当にすごい量が届いたようだ。ここまで彼を困らせるホウエンチャンピオンへ尊敬の念を覚えてしまうほどに。
「だから貰ってくれるだろ? おれを助けると思って」
「……仕方ないなぁ、もらってあげましょう」
そう言いつつも私は実のところ嬉しかった。デボンのお菓子は美味しくて好き。そうだ、せっかくだから一緒にお茶でもどうだろうか。ワタルくんの身体も冷えてしまっているし、コーヒーぐらいなら出せるから――
「どうかしたか?」
「ううん、なんでもない。ありがとう、おいしくいただきます」
さすがにこの時間に彼を引き留めるのはだめだろう。さきほど、自分から『大人になった』と言ったばかりなのに。
「じゃあ、おれは行くから」
それでもどこか、心の奥では名残惜しかったのかもしれない。ボールからカイリューを出そうとして翻るマントを思わず掴む。衝動的にしたそれに驚いたのは、自分だけではない。ワタルくんもだ。私の名前を呼ぶ声がわずかに揺れている。
皺になる前に慌てて手を放して「ちょ、ちょっと待っていて!」と引き留めた。バッグから目当てのものを取り出し、タッツーのキーホルダーを外す。裸になった銀色の鍵を彼の手へ握らせた。
「これ、持っていて」
「……まさか、きみの部屋の鍵か?」
「そう。あっ、大丈夫。もう一本、部屋の中にあるから」
鍵を持っていてくれるなら、今日のように待ちぼうけになることはない。部屋にいれば、こうやって身体を冷やすこともなかっただろう。あとは、こうして引き留めてしまったことのごまかしもあるのだけれど。
「もともとイブキちゃんに渡しておこうと思っていたの。なにかあったときのために」
考えたくはないけれど、万が一、部屋の中で倒れたなんてことがあったら困る。両親はカロスだし、近場にいて頼れるのはイブキちゃんとワタルくんしかいない。
「なるほど、おれはイブキの代わりってことか」
「ワタルくんのことも頼っている証です」
「ふぅん。そういうことにしておくよ」
ワタルくんは鍵を見つめ、そっとポケットへしまった。
「返さないからな」
「言わないよ。え、それとも悪いことに使おうとしてる?」
「おっと、バレたか」
「ちょ、ちょっと!」
冗談だとはわかっていても、彼らしくないことを言われて狼狽える。そんな私を見て、ワタルくんは喉の奥で笑った。からかわれていることに気づき、じとりとした視線を向ける。
「ところで、おれがこれを今もらったら、きみはどうやってそのドアを開けるつもりなんだ?」
「…………」
「合鍵は部屋の中だっけ?」
「……いったん返して」
「返さない、とも言ったけど? きみも了承した気がする」
「……ワタルくんの意地悪」
「きみ限定だよ」
愉しげに表情を緩めるワタルくん。一方、私には悔しい気持ちが背筋を駆ける。
そんな限定、嬉しくないんですけど!