V
『ポケモンを連れていて怖くないの?』と尋ねられていたことは、お世辞にも少ないとは言えない。そのたびに私はなんて返事をしたらいいかわからなくて、曖昧に濁していた。手持ちのミミロップは怖くない。でも野生のポケモンは少し怖いから。
私には彼らの言葉がわからない。でも彼らは私の――人間の言葉を理解しているように思える。その一方通行な交流をなんとなく不安に思うのだ。ミミロップとは長い時間を通して、心が通い合っていると感じる。けれど野生のポケモンは何を考えているか、わからない。目が合えば、すぐに彼らは私を『敵』として見做す。
だから初めてギンガ団のモンスターボールを見て、驚いた。ぼんぐりで作る、似たような道具はヒワダにもあったがギンガ団のモンスターボールはそれよりもっと高性能。これなら誰でも扱えるし、作れる。コンゴウ団やシンジュ団は「ポケモンを捕まえるなんて」と眉を顰めるが、私は一度、対話の時間が与えられるのはいいことだと思う。対話できるということは、それだけでぐっと距離を近づけられるから。『わからない』が減るだけで、私たちはずっと仲良くなれると思う。
そう。つまるところ、お互いに理解をするために歩みよるのが大事――なのだけれど。
「グライガー、私は大丈夫だから。そんな顔をしないで」
地面へへたり込んでいるグライガーは私の声が聞こえていないようで。ぐすぐすと涙を流している。どうしたものか、と傷む足から目を逸らし、天を仰ぐ。
ひょんなことから手持ちになったグライガーはまだ子供だったらしい。生まれ育ったジョウトではなく気づいたら急にヒスイへ来てしまったこの子は、とにもかくにも周りのことが気になった。興味の赴くまま、飛んでいってしまう。あまり遠くへ行かれても困るけれど、早めにヒスイの地に慣れて欲しい(ついでに高所の採集も手伝って欲しい)ので、なるべく外に出していた。正直、私が甘く見積もっていたのが悪い。ちょっと目を離した隙にグライガーは他の野生ポケモンにちょっかいを出して怒りを買ったらしく、私はグライガー共々ポケモンに襲われてしまった。
気づけば私は崖の下まで転がり落ちており、右足首をひどく捻っていた。唯一の幸運といえば野生ポケモンが、ここまで追いかけてこなかったところだろう。
応急処置は終えたけれど、しばらくは動けない。あいにくクスリソウも切らしている。雲の流れから雨にはならなさそうだけれど、夜になる前にはどうにかしないと。懐から取り出したボールからミミロップを喚ぶ。ミミロップは私たちの様子を見てすぐに状況を察したのだろう。グライガーに向かって鋭く鳴いて睨みつけると、背を向けて駆けていった。誰か近くにいてくれればいいのだけれど。イチョウ商会の誰か、なんて贅沢は言わない。ギンガ団でも誰でもいい。夜になる前に人里に行きたい。
ミミロップに叱られ、さらにたくさんの涙をグライガーは流す。その瞳に指を近づけ、雫を拭った。
「……ごめんね。目を離した私がいけなかったのに」
グライガーの気持ちはよくわかる。私だって初めてヒスイ地方に来たときは、いろいろなものが新鮮で、ずっときょろきょろしていたのだから。知らない場所というのはそれだけで胸躍るもの。幼いグライガーならなおさら。
「ちゃんと話さないとだね。私たち」
振り返ればグライガーとこうしてきちんと話をしていなかった。なし崩しで手持ちになったから、というのはただの言い訳。ミミロップはミミロルの頃から聡い子だったから、あの子に基準を合わせていたのもいけなかった。私たち人間に個性があるように、ポケモンだってそれぞれに得意不得意がある。
「お互いに歩み寄って、理解することが大事ってわかっていたのに」
だからいま、ちゃんと話そう。あなたの言葉はわからないけれど、私の言葉は届くから。またグライガーに甘える形になってしまうけれど、何もしないよりはきっといい。
私の気持ちが届いたのか、グライガーはしょぼくれていた顔をあげ、こちらへ近づいてくる。笑顔で迎え入れ「じゃあ、改めて自己紹介からね」なんて前置きを置いて、名前を名乗る。
「私はセトカ。あなたと同じ、ジョウトから来たの」
ミミロップのこと。イチョウ商会のこと。美味しいきのみのこと。好きな時間、場所。ヒスイの土地のこと。一方的に私が話す言葉に、グライガーはじっと耳を傾ける。思いつくことを、浮かぶ限り、ひたすらに。
口の中が乾き始めたころ、ようやく私は息をついた。すでに泣き止んだグライガーへ続けて言う。
「私はあなたの言葉がわからないけれど、あなたのことも教えて欲しい。ゆっくりでいいからさ。あなたと私と、それからミミロップも含めて、みんなでこれから頑張っていきたいの」
グライガーはじっと私を見つめ、小さく鳴いた。それが肯定を意味していることは、言葉がわからなくとも理解できる。――うん、私たちはきっと仲良くなれる。同じことをグライガーも思ってくれたのだろう。ようやく笑みを浮かべてくれた。
そのときだった。ガサリ、と草むらから音が響いたのは。
途端に私たちの間に緊張が走る。野生のポケモン、しかも好戦的な種だったらどうしよう。私の足はまだ逃げられるほど回復していない。練度の高いミミロップはまだ戻ってきていないし、グライガーが戦うには荷が重すぎる。
「グライガー、ボールへ戻って。この中なら安全だから」
しかしグライガーは首を振って、拒否をした。そのまま私を庇うように前へ出る。
「危ないよ。戻っておいで」
野生のポケモンはボールまで襲ってこない。あくまで人間や自身に反抗するポケモンだけが攻撃対象なのだ。まだ幼いこの子を守るにはボールの中が一番。それはグライガーもわかっている。わかっていて、戻らない。――私を守ることを選んでくれている。
「……わかった。いざと言うときはお願いね」
音の鳴る方を睨みつけ、すぐにグライガーへ指示が出せるように身構える。物音は次第に近くなり、ついに草むらが揺れた。心臓が強く鳴っている。私、ちゃんと戦えるだろうか。
「おや、本当だ。セトカさんがいますねぇ!」
「ウォロくん!?」
ひょこりと見慣れた顔がそこから現れて、思わず変な声が出る。ウォロくんは臨戦態勢を取っているグライガーに気づき「わ、攻撃しないでくださいよ? 危ないですから!」と慌てふためいた。びっくりしているのは私だけじゃない。いったいなぜ、彼がここに!?
「近くを回っていたら、アナタのミミロップがただならぬ様子で駆けてきまして。いやぁ、何事かと思いましたよ」
その証拠に隠れていて気づかなかったが、確かにミミロップもいた。ウォロくんの背中を押して、急かしている様子から、あの子自身が傷ついている様子もなさそうだ。一匹で向かわせてしまったことに少なからず不安もあった私は、ほっと胸を撫で下ろす。よかった。なんともなくて。
ふと困り顔のグライガーが目に入る。てっきり敵だと身構えていた相手が私と会話をしている――どうしたらいいのか混乱してしまったようだ。グライガーはウォロくんのことを知らないから余計にわからなくなってしまったのかもしれない。
グライガーを安心させるように意識して微笑む。優しい声で「大丈夫」と伝えると、私とウォロくんを交互に見て、逆立てていた尾を引いた。
「私の――ううん、私たちの仲間だよ。ちょっと胡散臭く見えるかもだけど」
「胡散臭いなんて失礼な! ひどく傷つきましたよ、ジブン」
ウォロくんはわざとらしく大袈裟に泣く真似をしながら、私の傍らにしゃがみこむ。応急処置がされている足首に素早く気づいて「捻っただけですか?」と尋ねてきた。その表情は先程と違ってとても真剣なものだ。
「うん、そう。折れてはないと思う」
「歩くのは……まだ無理そうですね。しかし困りました。クスリソウ、先ほど全部売ってしまって」
そう言ってさり気なく患部を押すものだから、可愛くない悲鳴があがる。もちろん、私の口から。
「痛いって!」
「わかっていますよ。どの程度のものか確認しておきたかったもので、つい」
「つい!?」
冗談にしては質が悪すぎる!
ウォロくんは私が向ける非難の眼差しを躱しつつ「荷物は?」と尋ねてきた。
「まだ採取してなかったから、ほとんど空だよ」
「ならミミロップが持てますね」
任せろ、と言わんばかりにミミロップは大きく頷く。その証拠に私のそばに置いてあった荷物を持ち上げた。
一方、ウォロくんは背負っていた荷物を身体の前へ抱え直す。何をしているのだろう、と悩んだのはほんの少しだけで、すぐにその行動の意味がわかった。
「待って、肩を貸してくれるだけでいいの!」
確かに私は歩けない。だからウォロくんの助けは絶対に必要。それはわかっている。だから肩を貸してくれれば、それだけでいいのに!
「だめです」
ぴしゃりと告げられた一言は鋭く、こちらの反論を封じてきた。ウォロくんは背を向け、私を背負う体勢を整える。
「アナタのペースで歩いていたら日が暮れてしまう。それが避けたいものであることはセトカさんも重々承知かと」
「そ、うだけど……」
「なら方法は一つしかない」
淡々と彼は言った。それらのすべては正論で、私に反論の余地はない。駄々をこねている場合ではないことも、重々承知。彼よりずっと年下……そう、ギンガ団にいるショウちゃんみたいな年頃だったら、素直に行動へ移していただろう。けれど私は成人女性。躊躇う理由もわかってほしい。
「……重いからね、私」
「そりゃあ、大人を背負うんです。重くないわけがないでしょう」
「そうじゃなくてさあ!」
いや、ウォロくんは素直に分析して、言っているだけだ。彼に非はない。
覚悟を決めた私は「よろしくお願いします」と詫びを入れ、彼の背に乗った。なるべく重さをかけないよう心がけるが、果たしてどうなっていることやら。
「立ち上がりますよ」
「う、うん」
ぐあん、と視界が高くなる。普段よりも開けて見える風景に、ドキリと心臓が鳴った。彼の背がかなり高いとはわかっていたけれど、こんなにとは。ウォロくんはこの景色をいつも見ているんだ。ヒスイの大地、その果てまで見渡せるような気さえしてくる。
感慨にふけっていた私をそのままに、ウォロくんはすぐに歩き始めた。その後ろをミミロップたちがついてくる。
「ああ、そうだグライガー。アナタは先行してくれませんか? この状態で野生のポケモン――特にオヤブンに出会うのは避けたいので。多少遠回りしても安全な道を行きたいんです。さすがにセトカさんを背負ったまま走るのは、ジブンでも無理ですから」
すかさず私からもお願いすると、グライガーは頷いて、前方を飛び始める。音も立てずなめらかに飛ぶ姿は、まさに偵察役にぴったりだ。私はそんなこと知らなかったけれど、ウォロくんは知っていたのかもしれない。いくら空が飛べるとしても、羽音が大きかったら意味が無い。けれど迷うことなくグライガーへお願いしたところを考えると、ウォロくんはちゃんとそこまで折り込み済みだったのだろう。
「……ウォロくんはポケモンに詳しいんだね」
「おっと。なにか言いましたか?」
なんでもない、と首を振る。
「戻ったらちゃんとお礼するね。本当にごめんなさい」
「いえいえ。困ったときはお互い様です。ああ、でも――」
ウォロくんはにこりといつもの笑みを浮かべ言った。
「お礼を、とのことでしたら、セトカさんの故郷のことを教えてもらえますか?」
「え?」
「ヒワダのこと。まだ聞いていなかったな、と」
ああ、なるほど。つまり、今回のお礼にセレビィの話を聞きたいということか。私は命の助けてもらったといっても過言じゃない。そのお礼としては釣り合わない気がする。だって、そんな程度のこと、いくらでも話すから。
「うーん、セレビィのお祭りの事は知っているかな?」
「初耳です! 何をするんですか?」
「こっちのキングやクイーンへの奉納とあまり変わらないよ。きのみとか果物とかを祠の前に置いて、神楽を舞うの」
「セトカさんも神楽を?」
「まさか! 試しにやってみたけれど、一番下手で呆れられちゃった。でもね、草を編むのはすごく上手だったんだよね。大人よりも上手くできている、って、褒められたぐらい」
「その編んだ草を何に使うのですか?」
「編んだ草で大きなわっか≠作って祠の前に置くの。それでお祭りの最後、みんなで順番にくぐってお参りするんだ」
ヒワダをあげてのお祭りだから子供のころは準備をするのが楽しかったっけ。そんなことを思い出しつつ、ぽつぽつと話していく。時折、彼の質問を答える。なんだかんだ、私はしゃべり通しだった。
「ではセトカさんとしては、コンゴウ団が崇めるシンオウさまが正しいと?」
けれど、ふいに落とされた問いに言葉が止まる。ヒスイ地方における、異なりながらも同一の名を持つ神様。そしてそれぞれを信仰する人たち。二つの団の関係性は、以前に比べれば比較的穏やかになったと聞いているけれど、まだまだ溝は深く感じる。少なくとも、私は。
「正しい、とは違うけれど、多少の親近感はわくかな……?」
第一、セレビィは神様ともまた違う存在だ。祠を用意してはいるけれど、あれはセレビィの誰にも邪魔されず身体を休める場所の意味合いのほうが強い。お祭りも、舞う神楽も、楽しいことが好きなセレビィに楽しんでもらうための。
「だからコンゴウ団やシンジュ団のみなさんと、私は違う。セレビィは、年に一回会える友人みたいな気持ちのほうが強いかも。ヒワダに住む人たちは、そう思っている人が多いんじゃないかな。これからはどうなるかわからないけれど」
お祭りはもっと賑やかになるかもしれないし、簡略化されるかもしれない。もしかしたら、そもそもやらなくなるかも。それによってセレビィがヒワダに来てくれなくなることだってありえる。いつだってそういう風習は移ろいやすいものだから。
「年に一回会える友人ですか。面白い表現です」
「うまく言葉にできなくてごめん」
「そんなこと。セトカさんらしい、言葉だと思います。――ええ、とても優しい言葉ですとも」
揺らしますね、とウォロくんは言って、私を背負い直す。結局、彼は一度も私を降ろすことなく、いくらこちらが休憩を促したとしても聞き入れず、そのままずっとイチョウ商会の集落まで歩き続けた。
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