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きゅう、と鳴くミミロップの頭を撫でる。不安そうに私を見上げるグライガーに「大丈夫だよ」と微笑みを返した。本当に大丈夫≠ゥなんてわからないけれど、こういう時は強がらないとダメなこともよく知っている。
数日前、突然、空の色が変わった。美しかったヒスイの空には、いまや不気味な色となってしまっている。この異変に、みんなが動揺し、ポケモンたちも怯えてしまっていた。いったい、なにが起きてしまったのだろう。しかもテルくんが関わっている――なんて噂も聞いた。そのせいでギンガ団を追われ、コトブキムラに戻れないとも。そんなこと信じられない。人とポケモンのために頑張っていてくれた彼の姿を、私は嘘とは思えなかった。
詳しい事情を聞こうともギンナンさんは口を噤んでいるし、こんなときに限ってウォロくんの姿は見えない。外へ出るのも最低限の人数に絞られてしまったから、探しにいくこともできなかった。不安は募る一方だ。どうしたらいいんだろう、私。なにができるんだろう。
――よし、直談判しよう。ギンナンさんともう一度話をして、コトブキムラに行かせてもらおう。危険が伴うかもしれないけれど、やっぱりテルくんが心配だ。それに私にはポケモンたちがいる。きっと大丈夫。
二匹に向き合い、どうしてもこの状況の詳細を知りたいと訴えた。テルくんを探しにいきたい。なにもできないかもしれないけれど、わずかでも力になれるなら、待っていられない。だって、一人ぼっちは心細いもの。
私の想いが伝わったのか、二匹は「仕方ないなぁ」と言わんばかりに頷いた。浮かべる表情に先ほどまでの不安そうな色はない。むしろこうなることを察していたかのようだった。
なんだか無性に泣きたくなった。今までの日々の積み重ねがちゃんと私たちには息づいていて、絆が生まれていたことに。こうして人とポケモンは手を取り合っていくのかもしれない。難しいことがいっぱいあって、でも確かに楽しいこともいっぱいあって。簡単じゃない時間と場所を経て、心が結ばれていく。ポケモンたちから寄せられる信頼を、私は裏切ることはしたくない。
「よしっ! 善は急げ! ギンナンさんのところに行こう!」
おーっ! と拳を全員で突きあげて、気合を入れる。今日はギンナンさんも外に出ていないはずだし、今なら本部か個人の天幕にいるはず。早速向かうべく、靴を履きかけたその時だった。
「セトカさん。いらっしゃいますか?」
その声は確かにウォロくんで。驚いたのは束の間、一瞬で頭が切り替わる。テルくんのこと、ウォロくんなら知っているかもしれない! 勢いよく開いた扉にウォロくんは少し驚いたようで、目を丸くてしている。そんな彼を放って「テルくんのこと!?」と私は声をあげた。
「え、ええ、そうです。ただ今ここで彼の名前を出すのは少し憚られまして。中へ入っても?」
「もちろん!」
招き入れたウォロくんは荷物どころか腰も下ろさずに話を続ける。テルくんがギンガ団を追放され、コトブキムラにいられなくなったのは真実だったらしい。今は安全な場所へ身を寄せていると言われても、ちっとも安心できない。喉の奥が狭まって、息ができなくなるようだった。
「セトカさんは以前、テルさんを助けになりたいとおっしゃっていましたね」
「うん」
「その気持ちは今でも――」
「変わらないよ」
食い気味に答えると、ウォロくんはふっと目元を緩め、言った。
「支度を。連れていきたい場所があります」
「……! うん、すぐ用意する!」
どこへ? なんて訊かなくてもわかる。ミミロップたちをボールへ戻し、隅に置いていた荷物にオレンのみときらきらミツを放り込む。いつもよりずっと軽くて重いそれを背負い、ウォロくんへ向き直った。
「ギンナンさんには伝えていかなくていいの?」
「ええ。イチョウ商会としてもギンガ団と関係にヒビを入れるわけにはいかないでしょうし」
その通りだ。あくまでこれは私たちの独断行動にするべきで、イチョウ商会を関わらせてはいけない。同時にテルくんの置かれている状況が危ういことを物語っていた。頭を振って、暗くなる気持ちを追い出す。
「……やめておきますか?」
でもそんな様子をウォロくんはばっちり見ていたらしい。潜めた声が降ってくる。
「ううん、行く。いまのは気合をいれたやつだから!」
元より自分の心配はしていない。ただギンナンさんに迷惑がかかる可能性には心が揺れるが――そこは強引にでも「めでたしめでたし」で締めるよう、努力すればいいだけの話。私は登場人物にはなれないだろうけれど、舞台の袖から彼らを支えることはできるはず。手を延ばすことだけはやめたくない。
ウォロくんに案内され、辿り着いたのは人もポケモンも寄り付かない、ひっそりとした空気が流れる場所だった。そこにぽつんとある天幕。おしゃれなテーブルに椅子。クラフト台もあることから、ここに人が住んでいることが伺えた。
ここにテルくんがいるの? と確認しようした矢先、天幕から一人の女性が出てきた。黒のドレスを身に纏う長身なその人はどことなくウォロくんと似ている。視線をウォロくん、そして私へ向け彼女は口を開いた。
「なんじゃ。また人を増やすのか」
女性、もといコギトさんは挨拶もそこそこにテルくんの置かれている状況を話してくれた。湖に住むポケモンたち、心を繋ぐあかいくさり=\―なんだか途方もなくて、理解が追いつかない。救いといえば、テルくんが一人でそれを探しに行っているのではなく、セキさんと一緒なところだろうか。セキさんなら頼りになるから、きっと大丈夫。
「ジブンも湖に向かわなくてはなりませんが、その前にセトカさんを巻き込んでおきたくて」
「言い方」
「おっと、失礼。訂正します。協力を仰ぎたくて」
湖の調査に行くウォロくんたちはどうしてもギンガ団の動向に疎くなってしまう。そこで、ギンガ団やムラの様子を探って、教えてほしいという。シンジュ団の長であるカイさんも同じように動いているらしいがシンジュ団の長≠艪ヲに警戒され、怪しまれる可能性も否めない。
そこで私というわけである。商会の人間なら中立であり、世間話から情報を得やすい。なによりコトブキムラの出入りを頻繁にしていてもおかしくはない。
「それにセトカさんは真面目ですから。早々に疑われはしないでしょう」
肩を竦めるウォロくんに苦笑で返す。自分の不真面目さに自覚あったんだ、ウォロくん。
「基本的にはここで情報交換しましょう。商会では誰が聞いているかわかりませんので」
「やれやれ。家主の許可もなしに話を進めおって」
「す、すみません! 勝手に……」
慌てて頭を下げればコギトさんは「よいよい」と諦めたように首を振り、ウォロ君を一瞥する。
「勝手に話を進めるこやつが悪い」
そう言って、つむじ風と共に彼女はどこかへ出かけてしまった。ポケモンも連れずに。思わず「本当に大丈夫なの?」とウォロくんへ尋ねるが、彼から帰ってきたのは「問題ないですよ」の一言だけ。
「なんだかんだ、彼女は世話好きですからね。そんなことより、改めて作戦会議といきましょう!」
すっかり頭を切り替えたウォロくんは彼らしいと言えば彼らしい。でもやっぱり気になるもので。
もう姿は見えなくなったコギトさんが消えたほうへ頭を下げ、私はウォロくんの元に駆け寄った。
*
幸運なことに私はギンガ団からもコトブキムラの住人からも、まったく疑われることがなく情報を集めることができた。カイさんと協力できたのも大きかった。彼女は立場上、どうしても大っぴらに動くことができず、もどかしい思いをしていたらしい。でも逆にその立場を利用する場面もあったから、お互いに分担し、ギンガ団の動向を探ることができた。
そして、その日は突然訪れた。
なんだか朝からコトブキムラは忙しい空気で満ちていて、嫌な予感が背筋を駆けていく。カイさんの姿を探したが、今日はまだ来ていないようだ。なら、先に私が情報を集めておかないと。
普段通りを装って、ナバナさんに声をかける。入用の物はあるか。今日は肥料になりそうなきのみがある、なんて話を展開しながら、本題を切り出す。
「今日はなにかあるんですか? みなさん、どこか忙しそうですが」
「ああ。実はデンボク団長がテンガン山へ向かう指令を出したんだ。その準備に追われているんだよ」
「……え?」
聞き間違いであると信じたかった。しかしそれは叶わない。ナバナさんは困り顔で「そんなんで、朝から警備隊はバタバタしっぱなしだよ」とぼやく。力なく「大変ですね。なにかあればイチョウ商会へどうぞ」なんて適当に会話を終わらせて、震える足を必死に動かした。
いまから隠れ里へ向かう? 定期連絡では間に合わない。ウォロくんがいなくてもコギトさんに伝言を頼めば――でも、伝わるのが遅かったら? 今日はどの湖に行っているのかも、私は知らない。せっかくあかいくさり≠準備しているのに無駄になったら。いや、もっとひどいことが起きる可能性だってある。そうなったらこのヒスイ地方はどうなってしまうのだろうか。
――暗い気持ちばかりが走ってしまってはだめだ。まだそう≠ネっていない、そう≠ネらないように、テルくんは頑張ってくれているというのに。私が負けていてはいけない。こういうことをすぐに伝えられるように、私はここにいるのだから。
「セトカさん!」
「カイさん……」
「話、聞いた!?」
すぐさま頷く。私の反応を見たカイさんは焦りを滲ませた表情で、くちびるを噛みしめる。
「準備が整い次第、すぐに出発するみたいだ。もう少し待ってみても、と訴えてみたけれど聞き入れてもらえなくて」
早ければ今日中、遅くとも明日の朝には向かってしまうという。しかし、この様子だとおそらく今日には出発してしまうに違いない。せめて今が夕方だったらいいのに。そうしたら出発は確実に明日の朝まで延びていた。まだら空の先、東の方角に浮かんでいるであろう太陽を恨めしく思う。
「……わたし、デンボクさんを止める」
「でも聞き入れてもらえなかったって」
「うん。出発するのは避けられないと思うんだ。だから、その先。テンガン山で少しでも時間を稼いでみせる」
テルさんのこと信じているから。
小さな声で確かにカイさんはそう言った。青い瞳はもう不安には染まっていない。揺らぎなく、私を見つめてくる。その決意に満ちた色を見て、私の心も落ち着いていくようだった。なんとかなる。不思議とそんな気持ちになってきた。
「わかりました。私はなんとしてでもこのことをみんなに伝えます」
「うん、お願い! わたしたちでテルさんを迎える場を整えよう!」
先回りをするカイさんはコトブキムラを飛び出していった。残された私は彼女と交わした約束を果たさなければならない。何かいい方法はないのだろうか。
ふと放牧場にいるポケモンが目に入る。あれは……フワライドだっけ。いいなぁ。私も空を飛ぶことができればいいのに。そうしたら探すことができるのに。
「……空を、飛ぶ」
ぱちん、と弾けた音が耳の奥から聞こえた。懐に入れているボールを取り出し、ポケモンを喚びだす。出てきたグライガーはぱちくりと瞳を瞬かせていた。
「グライガー、あなた、どのくらい飛べる?」
聞いたことがある。グライガーは風に乗ることができれば、どこまで飛んでいくことができると。実際、遠いところから静かに飛んで近付いてくるグライガーを目にしたことがある。この子だって、私の頭上を旋回して待っていることが多い。羽ばたくことはできないけれど、風さえ捕まえればなんとか。
荷物から紙と筆記具を取り出し、震える手で手紙を書く。内容は簡潔に。それをグライガーの尾へ結ぶ。取れないようにしっかりと。
「グライガー、お願い! ウォロくんに伝えて!」
グライガーは自分の尾に括られた手紙と私の様子を交互に見て、状況を察してくれたらしい。人である私には感じられないわずかな風を捕まえ、空へ舞い上がる。目で追いかけることができたのは数秒ほどで、すぐに紫色の身体は消えてしまった。どうかグライガーがウォロくんを見つけてくれますように。ウォロくんにこの情報が届きますように。
しかし、私だってじっと待っていることもしたくない。グライガーは空から、私は地上からウォロくんを探す。まずは一番近い、シンジ湖へ。
きっとまだ間に合うはず。みんなの努力を私は無駄にしたくない。それにやっぱり、ヒスイの空には青空が似合うから。
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