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なんだか夢みたいな数日間だった。ううん、まだ夢の中にいるみたい。
櫓を囲うようにみんなが円になって踊っている光景を、ぼんやりと眺める。軽やかに響く笛の音はカイさんが奏でているらしい。彼女の姿を見たくてそちらへ目を向ければ、ギンガ団、コンゴウ団、シンジュ団の団章が描かれた提灯が輝いていた。
ヒスイ地方に起きていた異変はテルくんの活躍によって鎮められた。二体のシンオウさま――もといディアルガとパルキアというポケモンは、いまやテルくんが持つボールの中に身を収めている。コトブキムラでは事件解決を祝って宴が催されているわけだけれど……この落差になんだかついていけないのは私だけだろうか?
イチョウ商会ももちろんこの宴に参加していて、ちゃっかり屋台を開いている。私はその手伝いに駆り出されていた。でも今は休憩中。私が宴を楽しめるよう、ツイリさんが気を利かしてくれたのだ。
特にあてもなくふらふらと回る。ムラをあげてのお祭りなものだから、見ているだけでも楽しい。本当はテルくんと話したかったけれど、彼はいま、いろいろな人に囲まれている。その中に割り込んでいくのは、ちょっと私には難しい。ただ隙間から見えるテルくんの表情は明るいから、その点だけは安心。
「いつだかのイチョウ商会さんじゃねぇか」
振り向けば、大皿を片手で持つセキさんがいた。彼はあれよあれよと私を捕まえて、近くの空いた椅子に座らせる。ドンと目の前に置かれた大皿には山盛のイモモチが。気づけば皿と箸、お茶の入った湯飲みまで渡され、すっかり食事ムードとなってしまっている。甘じょっぱい香りがふわりと周囲に広がった。
「まあ食えよ。といっても、オレが作ったわけじゃないけどな!」
「では、いただきます」
一つ、小皿へ取り分けて手を合わせる。頬張ったイモモチは温かくて優しい味がした。自分が考えていたより、私自身はずっとお腹が減っていたみたいだ。じわじわとお腹の中から、栄養が身体中に染みていく。
「カイから聞いたぜ。いろいろと根回ししてくれていたってな。感謝する」
改まって言われると面映ゆい。頑張ったのはウォロくんを見つけたグライガーだし、届けた情報を的確に読み取ってくれたのはウォロくんだ。私は正直何もしていない。
「ならグライガーに礼をしないとな」
その視線の意味に気づき、私はボールからグライガーを出す。きょとん顔のグライガーにセキさんは「礼だ! たんと食え!」とイモモチを差し出した。しかしグライガーはというと、ぷいと顔を逸らす始末。どうやらイモモチはお気に召さなかったらしい。
「はは、フラれちまった」
「すみません……」
「ポケモンにも好みはあるもんな。そういやコトブキマフィンもあるんだが、こっちなら」
差し出されたお菓子のほうがグライガーは好みだったようだ。嬉しそうに両手のハサミを器用に使いながら食べている。セキさんは「やっぱりこっちのほうが好みだったか!」とにこにこ顔だ。しかし、私には心配事が一つ。
「あの、このマフィンってリーフィアへの……」
「ん? 大丈夫だ。まだあるからな」
ならよかった、のだろうか? もともと気風が良いひとであると知っていたけれど、目の当たりにするとまた違う印象を受ける。カイさんもそうだけれど、若くして長になる人はすごいなぁ、なんてしみじみと感じたり。
私とセキさんの食事は続く。彼は私の皿が空になるたびにイモモチを勧め、彼自身でも何個も食べた。あれだけあったイモモチは瞬く間に空っぽに。お腹はもう満杯だ。でも、私の倍以上は食べたセキさんはまだ物足りなさそうに、お茶をすすっている。
「あれから考えた」
湯呑のお茶もだいぶ冷めた頃、ぽつりと聞こえた声。セキさんの視線はいまだに多くの人に囲まれているテルくんへ向けられていた。
「あんたは言っていたよな。モンスターボールに入れれば、ポケモンを守ることができるって」
小さく頷く。セキさんとそんな会話をした。もうずいぶんと前のような気さえしてくる。
「目の前にしたときはそりゃあ驚いたが、オレたちコンゴウ団はディアルガさまに恐怖はない。今まで信じていたシンオウさまに違いねぇし、ディアルガさまはチカラを貸してくださったからだ。でも、ヒスイに生きる全員がそれを知っているわけじゃあない。そいつらからしたら、ディアルガさまのことを今回の異変の原因の一端だと思うだろう。ちゃんと知ろうとしなければ、恐怖を覚えるに違いない」
恐怖に駆られた人間は何をしでかすかわからない。いくら強大なポケモンといえど、それを上回るような存在やチカラが現れたときにはどうなるかわからない。
「あんたの言葉を思い出した。『モンスターボールの中にいることで守ることができる』ってアレをな」
いまや神様の一柱はテルくんのモンスターボールの中に眠っている。テルくんもいたずらに外へ出すことはないだろう。
薄くて厚い器の中に、シンオウの神様たちはいる。誰にも手が出されない場所に。
「あれは他のポケモンや天災からとかそういった意味で……」
「わかっている。でも、根本は同じだろ。『モンスターボールでポケモンを守ることができる』そのことに変わりはねぇさ」
って言っても、まだ抵抗感はあるけどな! と今までの張り詰めた雰囲気を壊すかのようにセキさんは笑った。
「ただ、あんたの話を――考え方を教えてもらってよかったって思ったんだ。オレには思いつかなかった視点を、こうして自身の腑に落とすことができるから」
違う。本当にすごいのはセキさん自身だ。柔軟にいろいろな物事を受け入れている。流れる時間に身をまかせ、明日の自分を作りだすことは、そう簡単にはできない。なんて、恥ずかしくて私はそれを口に出すことはできないけれど。
セキさんはふらりと戻ってきたリーフィアを手であやしながら、ここぞとばかりに言葉を続ける。
「商人サンはすげぇなぁ。いろんな角度から物事が見えて」
「やめてくださいって! セキさんは私を過大評価しすぎです!」
「ははは! 謙遜するなって! っと、そういや名前を聞いてもいいか?」
あれ、まだ名乗っていなかったけ。記憶をほり返せばその通りで。これまた申し訳なさが押し寄せる。改めて背筋を伸ばし、口を開いた。
「私は――」
「セトカさん」
名前を告げたのは、私の声じゃない。背後から覆いかぶさるように私を見下ろすウォロくんだった。身長のあるウォロくんだからできる芸当に面食らう。あとちょっと怖い。
「休憩中申し訳ありません。屋台がにぎわっていて、人が足りず」
「え、あ、うん。えっと……」
ちらりとセキさんを見ると彼はにこやかに言った。
「応。引き留めて悪かったな。片付けはしておくからよ。行ってくれ」
「す、すみません! ありがとうございます!」
グライガーをボールへ戻し、慌てて席を立つ。気づけばウォロくんは早く来いとばかりに、数歩先で待っていた。
「また話をしよう。セトカ」
「はい。ぜひ」
ひらりと手を振るセキさんに頭を下げ、私はウォロくんの元へ駆け寄る。
「いやぁ、すみません。ジブンも声をかけるか迷ったのですが」
「大丈夫だよ。呼びに来てくれてありがとう」
「セキさんとずいぶん仲がよろしいんですね。驚きました」
仲がいい……って言っていいのかな。しっかり話したのは二度目だ。評されるほど仲がいいとは言えないような。まあでも、セキさんと話すのは楽しい。聞き上手で話し上手な人だから。
ウォロくんはそれを聞くと「そうですか」と一言だけ、返してきた。
*
久しぶりに故郷の夢を見た。セレビィに捧げるための太鼓の練習をしている子供たちを遠くから見つめている、そんな夢。コトブキムラの宴に参加したから、こんな夢を見ているのかも。
試しに一歩、足を踏み出してみた。予想に反して、身体が動く。夢であると認識しているからだろうか。わからないけれど、自由に動けるのは嬉しい。
こうなると他のところも見て回りたくなってくる。とはいえ、勝手に歩き出したら目が覚めてしまうだろうか。しかし心配とは裏腹に、子供たちから離れてもなんともない。本当にここは夢の中なのか逆に不安になるほど、自由だ。けれど私は好奇心を抑えきれず、歩き出す。
幻といえど、久しぶりの故郷は懐かしい。のどかなヒワダが、お祭りの付近にはほのかに賑やかになる。この空気が好きだった。
輪を作るために編まれた草のにおい。神楽で揺れる衣装の白さ。拍子がたまにズレる太鼓の音。お供えのための新品のお皿。どれも懐かしくて、眩しい。久しく故郷へ帰っていなかったけれど、たまには顔を出すべきかもしれない。
なんとなく足はウバメの森に向かっていた。足元に気をつけながら、進んでいく。祠の周りはちょうど誰もいなかった。差し込んでいる陽の加減か、はたまた私の想像によるものなのかはわからないけれど、祠はぼんやりと輝いていた。この暗がりでは浮いているほどに。
ヒスイ地方での出来事があったせいか、今までとは違った気持ちで祠を見てしまう。そこらにいる野生ポケモンとセレビィは違う存在だ。今回の異変で『特別なポケモン』がいることを目の当たりにしたから。友達≠フように思っていたけれど、本当は失礼なことだったんじゃないだろうか。ちゃんとした信仰をしたほうがいいのかもしれない。
「――え?」
ふいに音が聞こえた。木の葉が擦れる音でも、雨の音でもない。ポケモンの鳴き声とも違う。でも確かに音がした。
「まただ」
再び響いた音はなんだか鈴の音のような、琴の音にも聞こえた。お祭りの演奏がこちらまで届いたのかもしれない。夢の中だから都合よくなっているのだろうな。とはいえ、そろそろ戻った方がよさそう。なんだかそんな気がしてきた。
私はヒワダに戻るために祠に背を向ける。向けたのだけれど――
「え」
目の前には眩い若葉色の光。距離にして数センチもない、それがふわりふわりと浮いている。まるでヨマワルの瞳のように、不規則な動きで漂っている。
あまりに衝撃につい後退る。トン、と背に祠があたり、はたと気づいた。
「セレビィ?」
その名を呼んだ瞬間、私の視界に広がるのは暗闇だった。うるさいほどに心臓が鳴っている。聞き慣れた寝息で、目が覚めたことにようやく気づいた。
変な夢だった、と言うのは簡単。でもそれだけで片付けてはいけない気もした。もしあの光がセレビィだったとしたら――夢へ誘ったのもセレビィ自身? でもなんのために?
すっかり目が冴えてしまった。いまさら二度寝もできそうにない。ちょっと外を歩いて気分転換しようかな。こっそり布団と天幕を抜け出す。
ひんやりとした空気が肌にふれる。まだ真っ暗だと思っていたけれど、どうやら夜明けが近いらしい。山の向こうがうっすらと白んでいる。今日もよく晴れそうだ。
「おや。早起きですね、セトカさん」
砂利の音と共に聞こえた声。ウォロくんだ。全く気配を感じなかった。まるで夜の闇の中から現れたかのよう。
イチョウ商会の制服をきっちりと着こなしているウォロくんは、いつものように人差し指を立てながら「驚きましたね? 秘技・背面取りの術です!」と笑っている。
「驚かさないでよ。ウォロくんこそ早起きだね」
「ええ。これからテルさんと待ち合わせなので、遅れぬように」
「テルくんと?」
またなにか彼は巻き込まれているのだろうか。それとも調査隊のお仕事? どちらにしろ、ウォロくんがいるのなら大丈夫だろうけれど……。それでも心配はこみあげてくる。私にまた力になれることはないのだろうか。なにか手伝えることがあるかもしれない。そう思って口を開いたが、出てきたのは違う言葉だった。
「ウォロくん、楽しそうだね……?」
なんとなく。なんとなくだけれど、ウォロくんが楽しそうに見えたのだ。いつもの笑みと、いつもの声、いつもの仕草。だけれど、なんだか。心なしか浮ついているような。
ウォロくんは私の言葉を聞いて、ぴたりと動きを止めた。目を見開いた彼の表情に焦ったのは私の方。慌てて「気のせいかも!」と言葉を重ねる。
「なんだかちょっとそう思えただけで!」
「……いえ、あながち間違っていませんとも」
「え?」
ぐい、とウォロくんは身をかがめ、顔を近づける。急な距離の縮め方に息をのんでしまった。
「ええ。そうですとも。楽しいことが待っているのです。待ちわび続けたものが、いま、手が届くところにある」
語るウォロくんを前にして、私の足が後退った。なんだか彼が怖い。浮かべている笑みの種類がいつもと違う気がする。けれどそれを指摘することもできない。『ふれたら最後』なんて言葉が頭を過ぎる。
「おっと、そろそろ行かないと。では、このへんで」
「えっ、あ、うん……」
すっかり空は明るくなっていた。まだ太陽は出ていないけれど、夜明けは近いのだろう。ウォロくんは帽子を被り直した。そして白む空に背を向けて、歩き出していく。
――言わなきゃいけない。急にそう感じた。このままただ呆けていてはいけない。行動しなくちゃいけない。私は何かに突き動かされるように、叫んでいた。
「ウォロくん!」
聞こえないのだろうか。彼は振り返らない。それでも構わなかった。だから、これは自己満足。いつもなら仕舞うその欲を、私は出さざるを得なかった。
「いってらっしゃい!」
少しだけ、彼の身体が揺れる。……もしかして聞こえていた? そんな期待が一瞬だけ胸を過ぎる。いや、きっとたまたまだ。ちょうど躓いただけかもしれない。私の見間違いという可能性もある。けれど、もしも聞こえていたのなら、彼は返してくれるだろうか。「ただいま」の一言を。普段、そんなやりとりをしないから、からかってくるかもしれない。それでもいい。ただイチョウ商会に帰ってくることを信じたかった。
――けれど現実は物語のように美しくはなくて。あの背中が、一方的にかけた言葉が、私と彼の最後。
ウォロくんは、どこかに行ってしまった。
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