chapter:V

――本日の演目は終了になります。みなさま、ご観劇ありがとうございました。お忘れ物にご注意ください。
 
アナウンスと共に照明が戻り、響いていた拍手も止んだ。次々と客席にいた誰もが口を開く。私もその一人。詰めていた息を吐き出して思わず「よかった……」と感嘆の声をもらした。

エンジュシティにある古い劇場。普段はまいこはんのみなさんが、エンジュに纏わる伝説のポケモンたちが中心となった演目を上演している。けれど時折、外部の劇団がここで上演することもあった。今回はまさにそれ。イッシュから各地方を巡るポケモンミュージカルで有名な劇団がやってきたのだ。さまざまな地方興行を行なう、その劇団はカントー・ジョウトでも有名で、しかも今回の演目はその中でも人気な作品ばかりだったから、チケットを取るのも一苦労。なんとか一枚だけ抽選を当てられたのは、ユキメノコと人とのラブストーリーだった。

シンオウ地方にある古いお話がモデルになっているそれは、切なくも美しいお話で何度か涙を拭ってしまったし、鼻を啜る音も四方から聞こえてきた。

大切に想う人と共に生きるため、同じ姿に化けたユキメノコ。今の時代ならばトレーナーとポケモンとしての関係を築くことができるだろうけれど、昔ではそれが難しかったのかもしれない。特にユキメノコはゴーストタイプのポケモンだ。ゴーストタイプを怖がる人も多い。
理解が進んだ現代でもそうなのだから、当時ならさらに偏見があったはず。

「それとも違うのかな……」
 
帰りの支度をしながら、ふと思う。もしかしたら、ユキメノコが嫌だったのかもしれない。ポケモンとトレーナーという関係性となってしまうのが。彼女が抱いていたのはもっと強く深い、それこそ一言では言い表せないほどの感情。だから「ポケモン」と「人」ではなく、同じ「人」として、その隣で生きていたいと願った。

ユキメノコにとってどちらが本当の姿だったのだろう。どちらでいたかったのかな。大切な人と同じ、けれど自身にとっては偽りの姿である「人」か、本来の姿である「ポケモン」か――。なんて私がいろいろ考えたとしても、答えは当のユキメノコにしかわからないのだけれど。

夜の公演だったこともあって、街灯に明かりが宿るほどあたりはすっかり暗くなっていた。まだ会場回りには人も多い。流れに身を任せつつ、進んでいく。

「わっ」
 
ドン、と背中に誰かの身体が当たった。身構える間もなく与えられた衝撃のせいで、瞬く間に足が縺れる。普段だったらなんとか耐えられただろうけれど、今日はせっかくのお出かけということもあり、ちょっと高さのあるヒールを履いてきてしまった。ぐらりと身体の重心は、あっという間に崩れてしまう。
こんな雑踏の中で転んだら、ただじゃすまない……! せめて手だけでも突いて、顔からのダイブは避けないと!

「大丈夫ですか」
 
声と共に腕が引かれる。崩れたバランスもあって、そのまま背後の誰かにもたれかかった。とりあえず転ぶことは避けられたようだ。ほっと息を吐き、ふらつく足を立て直して体勢を
整える。

「ありがとうございます。助かりまし――ワタル?」
 
そこにいたのはよく知った顔だった。ワタルもようやく私のことを認識したのか、目を見開いて驚いている。

「きみか。すまない、気づかなかった」
「私もだよ。暗いし、突然だったから――っ!」
 
再び誰かの身体が当たる。未だに人の流れは絶えない。立ち話するような状況では無かった。ワタルはすぐさま私を庇う。「移動しよう」という言葉に頷けば、身体に腕が回った。ふわりと彼のマントが私を包む。優しく、けれどしっかりとした手つきで私を誘導していく。

その一連の行動が悔しいほどに様になっていたものだから、つい心の奥が擽られてしまった。またこの人にときめいてしまうなんて。ちらりとワタルの顔を盗み見る。その横顔は見慣れたもののはずなのに、なんだかいつもと違って見えてしまっていた。ついさっきまでラブストーリーなんか見ていたせいだ。こんなにも意識してしまうのは、不可抗力。
 
ようやく人混みを外れたあたりで、ワタルは私から身体を離した。「断りもなく、ふれてすまない」と謝罪の言葉まで私にくれる。それにさえときめきを感じかけるものだから、乱れた髪を直すふりをして誤魔化した。

「むしろ、ありがとう。一人じゃ何度も転んでいたと思う」
 
この靴だし、とヒールに視線を落とす。可愛くてお気に入りの靴だけれど、こんなことになるのなら履いてこなかったほうがよかったかもしれない。暗い影が心にかかるようだった。
「似合うよ」

思わず顔を上げる。その声はいつになく優しくて、あたたかい。影を晴らすかのように、彼はまた言った。

「その靴も、服も、きみによく似合っている。かわいいよ」
 
ストレートな褒め言葉に殴られる。「かわいい」なんて単語、ワタルからは滅多に聞けない。あのカイリューにさえ「愛嬌がある」とか、そんな言い方をするのに。なんだか足がふわふわ、そわそわして力が入らない。辛うじて「お、お気に入りで」と返事をするのに精一杯。
夜でよかった。顔に熱がこもっていくのを自覚しているから。

「今日は一人?」

ワタルはじっと私を見つめ、尋ねる。彼の瞳に映ることさえ胸が苦しくなるようだった。

「そ、そう。チケット、一枚しか手に入らなかったし」
「ああ、あの劇場の」
 
なるほど、と彼は納得したように口の中で呟いた。

「たしかうちにもチケットが来ていたな」
「そうなの?」
「ああ。うちもだいぶ古い家だからね」
 
件の劇場はジョウトでもかなり古く歴史がある劇場だ。私の生まれる前、ずっと昔からあるらしい。だからワタルの一族のことを思えば、なにかしら関係があってもおかしくはない……のかな? いまの口ぶりから、どうやら関係者チケットのことを言っているのだろうし。

「でもよかった」
「なにが?」
「そんなにおしゃれをしている理由が『おれ以外とデートしていた』とかではなくて。もし、そうだったとしたら妬いていただろうからね」
「やけ!?」
「普段よりもずっと可愛い格好をしているんだ。それがおれ以外のためだったら、きみに惚れている男としては妬くに決まっているだろう?」

確かに今日の服装は、私としても気合いを入れているのは事実。それは特別なお出かけだったから。普段はもっとシンプルなデザインなものを選んで着ている。それもあって彼には新鮮に見えるのかもしれない。――しれないけれど、もうちょっと言い方とかあるじゃない!

「それで? どんな内容だったんだ?」
 
混乱する私と違ってワタルは言うだけ言って満足したのか、しれっと話の方向性を変えた。振り回されるこちらの身にもなってほしい。未だに私はパニックなのに。そんなこと口が裂けても言えないけれど。なにしろ、話題が変わるのは私にとってもメリットが大きい。逃がしてもらえるなら、とっとと逃げよう。

「……ラブストーリーだよ。ユキメノコと人の、切ないラブストーリー。シンオウにある昔話を題材にしているんだって」
 
ざっくりとあらすじを話す。出会いと別れのラブストーリー。ポケモンが「人」となってまで過ごしたかった大切な時間の全てを記した日記。最後にはそれを大切に持ち続けているユキメノコのことが明かされ「今もどこかでユキメノコは誰かを想って、シンオウ地方で過ごしているのかもしれない」と舞台は切なく締めくくられる。

「ユキメノコが去って行くところなんて、本当に雪が降ってすごかったんだから」
 
きっとこおりタイプのポケモンが降らせたこなゆき≠セろう。美しい音楽と相まった、なんともぐっとくる演出。いま思い出しても、思わず涙がこぼれそうになる。それほどまでに胸が締め付けられる素敵な舞台だった。

「なるほど、素晴らしい作品だったんだな」
「そうなの! すっごくよかったんだから!」
「おれも観ればよかったな」
「ワタルも絶対に気に入るよ!」
 
熱弁する私の頭をふいに疑問が過る。舞台を見ていない彼に尋ねるのは違うかもしれない。でもどうしてか、私はワタルの考えも聞きたくなった。
それはきっとワタルの瞳の奥に、ユキメノコのような静かな感情を見つけたから。

「ねえ、ユキメノコにとって、どっちが本当の姿だったんだと思う?」
 
ポケモンとしてではなく、人と偽ってまで大切に想う相手の元にいた。そして正体が見破られた後、選んだのは別れ。そのまま「ポケモン」として一緒にいればいいはずなのに、それを良しとはしなかった。
ユキメノコにとって大切なのは日常を重ねるのではなく「人」であることだったのだろうか。

「難しいな」
 
深く考えるときに目を伏せるのはワタルの昔からの癖だ。しばらくしてから、ゆっくりと瞼が開かれる。

「きみの言う通り、共にいるだけなら最初から『ポケモン』として姿を現したほうがよかっただろうさ。――ただおれは、こう思う」
 
ユキメノコは『人』として、その人を愛したかった。

「姿というより心だな。ユキメノコが、己の抱く心を『人』に合わせたかったのかもしれない」
「こころ……」
「どうしてもポケモンと人は考え方や感情の物差しが変わるだろう? 残念ながら、おれたちは同じ種族ではないからね」
 
ワタルは語る。それは人間同士の価値観の相違とは別なことである、と。そもそもの世界を見る物差しが人とポケモンは違うのだ。もちろん、それらは埋められるものでもあるけれど、全部いまの時代での話。昔の時代で生きていたユキメノコたちには、困難だったはずだ。

「ユキメノコは同じ心を持ち、同じ目線で――『人として』その人を愛したかったんだろう。おれはそう思う。だから自ら身を引いた。想うところもきっとあったはずだろうに。その人を己の領分に連れていくことはせず、自ら姿を消した。『人』であるからこそ、愛していた」
 
日記だけを持ち続けたのは、せめてそれだけは手元に残して置きたかったのかもしれないな。

その声はまるで、舞台で降った雪のようだった。静かで美しくて、でもどこか悲しい。近くにいるはずなのに遠くに感じる。ワタルもユキメノコのように消えてしまいそうだった。

……ワタルにも心当たりがある? そういった気持ちになったことが、あるのだろうか。
まとわりつくような寒気が背筋を駆ける。まるでユキメノコが彼を連れて行ってしまうような錯覚に陥りかけた。いやだ、行かないで、と叫びたいのに、くちびるはおろか口内も喉も渇ききっていて声が出ない。

一歩、思わずワタルに近づいた。カツンとヒールの音が響く。私の靴から聞こえているはずなのに、音が遠い。でも彼にとっては違ったらしい。乱暴に踏み出した私に、驚きの表情を向けている。
私の指がワタルの袖にふれた。力が入らないせいで、弱くひっぱるだけしかできないけれど、ワタルにとっては充分だったらしい。

「どうかしたか?」
 
今度の声は、体温が通っている。いつものワタルの声だった。

「――帰ろう」
 
辛うじて言えたのは、それだけ。意識して息を吸って、絞り出す。

「帰ろう。一緒に、帰ろうよ」
「……ああ、そうだな。いい加減、夜も更けてしまうしな。帰ろうか」
 
気づけばもう帰宅ラッシュは無くなっていた。私たちは随分と話し込んでしまっていたようで、周囲の人もまばらになっている。もう誰かにぶつかる心配も、転ぶ心配も、無い。
送っていくよ、とワタルが言うので、素直に甘えることにした。なんだかいま、彼と離れることがひどく怖かったから。

暗がりからホーホーの鳴き声が届く。闇の中にはゴーストポケモンもいるのかもしれない。ユキメノコのように、姿を変えることができるポケモンが。
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