ナックルジムのバックオフィス。キバナは珍しくデスクにいて、ぱらぱらと雑誌を捲っていた。届いてからしばらく放っておいた献本をようやく開き、確認する。まふゆと撮影したあの雑誌だ。
「それ、結構評判いいんですよね。店頭からなくなっていて、重版出来でしたっけ? ボクの娘も欲しいと言っていたんですけど、入荷がわからないぐらいだそうですよ」
昼休憩から帰ってきた事務処理を行っている職員が彼の手元を覗き込み、にこやかに言う。(ナックルジムはバトルトレーナーと別に、バックオフィス業務を担う職員を採用している)
その職員が言うとおりSNSを中心に発売前から話題になり、先日重版出来の告知もされたほどだ。やはり注目はキバナの特集グラビア。普段とは違うフォーマルな姿であること、そしてなによりその姿で本気のバトルをする表情。「ギャップがいい」「守られている感じがする」が寄せられる口コミだ。
特に最後のページ、こちらを喰ってやるとばかりの迫力が男性読者のハートも掴み、売り上げは右肩あがりとのこと。
しかしキバナの表情は晴れない。
「――なにかありましたか?」
彼は返答の代わりに「もう読んだか? コレ」と雑誌を差し出してくる。それを「まだですね」と受け取って、眼を通す。
「普通にいい特集だと思いますけど。写真もキバナさまの魅力が現れていていると思いますが」
「だよなぁ」
ギシリと椅子の背もたれが音を立てる。彼はヌメラのように脱力した。そのあと少し唸り声をあげたあと、ボールとスマホロトムを掴み、立ち上がる。
「わりぃ、ちょっと出てくる。ワイルドエリアにいるから、なにかあったら連絡頼むわ」
「わかりました。お気をつけて」
しかし、部屋から出ようとしたキバナは動きを止め、戻ってくる。なにか忘れ物でもしたのだろうか? と首を傾げていると、ペンホルダーから油性ペンを取り出し、献本の表紙(こちらもキバナだ)にサインを書く。
「よければそれ、娘さんにやるよ。献本なのはオレさまのサインで許してくれ」
「むしろ飛び跳ねて喜びますよ。キバナさまの大ファンですからね」
そりゃよかった、とキバナはようやくいつものような笑みを浮かべ、今度こそワイルドエリアに出かけていった。
***
ワイルドエリア、げきりんの湖。本日の天候は霧。視界は悪いが、雪や吹雪ではないのがありがたい。寒いのは人間にもポケモンにも堪える。
血気盛んな野生ポケモン、もしくはトレーナーがいないか歩き回った。頭を空っぽにしたいときは、バトルをするに限る。本当ならダンデを掴まえたいところだが、彼はジムチャレンジの準備で忙しいだろう。あと数ヶ月後にはガラル地方に於ける最大のイベントが始まる。
ふと、テントがあることに気がつく。げきりんの湖でキャンプをするなんてよっぽど腕の立つトレーナーでないと難しい。そもそもワイルドエリアでキャンプをする際には、バッジが無いと許可さえ降りないことが多い。一部のエリアでは未所持でも許可されるが、げきりんの湖はその対象外。
そうなると、このテントの持ち主は実力のあるトレーナーということになる。よく見てみれば、このテントも少し年期の入っているものだ。キバナも以前、この型のテントを使っていた。自分と同じ年代のもの……ますます相手への期待が高まる。
テントからは煙が出ていることから、中にトレーナーがいるのだろう。声をかければ出てくるかもしれない。
キバナは近づき、中から人の気配をしていることを確認して「突然わりぃんだけど、ちょっといいか?」と声をかけた。動く気配がして、入り口のファスナーが開けられる。
「どうかしま……キバナさん?」
「まふゆ?」
顔を出したのはまふゆだった。目を丸くしている。よっぽど驚いているのか、珍しく感情が顔に出ているようだった。
それはこちらも同じで予想だにしなかった相手が出てきて、つい変なことを口走る。
「……お前、ずいぶん古いテント使ってんのな。オレの年代のやつだろ、これ」
「言うことに欠いてそれですか? ――譲っていただいたんですよ。もう使わないって」
あ、カブさんのじゃないですよ、と付け加え、テント中から見上げ、言った。
「とりあえず冷えますから中に入りますか?」
「いやそれはだめだろ」
未成年の少女のテントに成人男性が入るのはいただけない。しかも二人きり。
まふゆもそれは承知済みなようで、誰彼構わず招き入れることはしていないこと、キバナを信用していることを伝えた。「さっきまで雨だったんで、私が外に出るの寒いんです」とダメ押しを言われてしまえば、キバナは従うしかなかった。代わりに彼女の手持ちポケモンを一体そばに出しておくことを条件とすれば、すんなりと頷く。
招かれたテントは身体の大きいキバナにとっては少し窮屈だったが、過ごせなくもない。交換条件のポケモンを、と言いかけて口をつぐむ。なにせ、すでに先客が1匹。じとりとした視線が刺さる。ズルズキンだ。手持ちか? と問えば、一番の相棒ですよ、と返ってくる。キバナを警戒しているのか、目つきは一層険しい。
「それでなにかあったんですか?」
コーヒーの入ったマグカップを差し出され、礼を言って受け取る。バトルをしたかったから声をかけたと素直に言えば「すみません、今日はバトル無理です」と断られた。
「ニンフィアの写真撮りたくて、張り込みしていたんです。バトルしたら、音で逃げられちゃいます」
コーヒーを啜りながら、『写真』という単語にわかりやすく反応するキバナ。ジムで見てきた雑誌の写真たちを思い出してしまい、コーヒーよりも苦い感情が胸に広がった。
「お前、あれでいいのかよ」
感情がそのまま声に出る。しかしそれは幸か不幸か目の前の少女にはいまいちピンと来ていないのか、「おっしゃっている意味がよく……」と口籠る。
「雑誌」
その一言で合点がいったのか「ああ」と頷いた。
「仕方ないですよ。多分元からその予定だったんでしょうし」
「だからって、お前が蔑ろにされていい理由にはなんねぇだろうが!」
荒げた声にズルズキンが反応する。威嚇にも近いその鳴き声を聞いて、頭に上っていた熱が引いていくのがわかる。謝罪の言葉を口にすれば、気にしないでくれと返ってきた。
キバナの心に刺さったトゲ。それは発売された件の雑誌に関すること。その特集に使われた写真は1枚を除き、まふゆが撮ったものではなく、サブカメラの男性のものだけで構成されていた。もちろん表紙も。
あの時、スタジオに戻る途中でキバナは急遽ジムから呼び出しがかかり、現場を後にしていた。本来ならばチェックに同席し必要なら撮り直し、もしくは使用写真の選出をしなければならない。だが、呼び出しが緊急性を要するものであったこと、撮影自体はいったん終了していたことを加味して、一足先に抜けたのだ。そのため、彼女の撮った写真は1枚も見ていない。
しかし、キバナにはわかった。まふゆの写真が使われていないことに。それは映るアングルもそうだったし、なによりサブカメラの男が自分に見せてきた写真が使用されていたからだ。クレジットには彼女の名前もあるにはあったが、男の名前のあとに表記されている。
ここまできたらさすがに察する。隠されたシナリオがあったこと。そしてそれは、キバナが最後までスタジオにいなかったからこそ、作られたものであったことも。
「無名のカメラマンより、新進気鋭で勢いのあるカメラマンが撮ったというほうが売れますし。実際、それで買っている人も多いみたいですしね」
「……悔しくないのかよ」
「——ここに来たときから理不尽には慣れています。それにわたしにも落ち度はありますから」
スタジオチェックで満場一致のOKが出た際、編集サイドから「掲載のチョイスは任せてほしい」と頼まれたのだ。まふゆ本人も誌面の構成もあるだろうとそれを了承してしまっていた。
あの時から掌の上だったに違いない。とてもうれしそうに微笑んだあの編集者の顔が忘れられない。
まふゆはうつむき、マグカップを握りしめ、呟いた。
「ただ、せっかくキバナさんからいただいたチャンスをふいにしてしまったことには腹がたちます。自分自身に、ですけど」
わたしにはそんな余裕ないのに。生きていくためには、少しの機会も無駄にできない。そういう状況に自分はいるのだと、まふゆは唇を噛みしめる。じわりと血の味が広がった。
「でも、キバナさんとの撮影は楽しかったです。すごく。キバナさん、表情作るのがうまいから、もっと撮っていたかった」
伏せていた顔をあげ、キバナに向き合う。
「唯一、採用されたあのラストのページのやつ。わたし、自分の作品の中で、すごくお気に入りになりました」
見る者を捕らえ、射殺さんばかりの獰猛な視線。表情。まさに彼自身がドラゴンとでもいうようなあの1枚。
「キバナさんとの撮影って言われたときから、絶対に撮りたかった1枚だったんです。最高の表情、ありがとうございました」
「…………」
彼女の纏う空気が変わった気がした。少なくともキバナはそう感じた。表情は普段と変わらず固まったままなはずなのに、それさえもやわらかいものへと変化していると感じる。
ああ、こいつはこうやって笑うのか――
「……そういや、オレさま、お前に貸しがあったよな?」
唐突な一言にまふゆはたっぷりと間を空けてから「バトル、楽しんでいたじゃないですか」と眉根を寄せる。
「それはそれ、これはこれってやつ」
「今日のバトルは本当にだめなんです。全然霧の天候にならなくて、ようやく条件揃ったんです」
「それはもう諦めたから安心しろ。——そういやお前、ここでキャンプする許可は誰からもらったんだ? バッジ持ってないだろ。カブさんか?」
「えっ、許可が必要なんですか? 長期滞在じゃないのに?」
なるほど、長期でキャンプをする場合の申請のことしか知らなかったのか。視線が泳ぐ彼女は明らかに狼狽えている。それはルールを破ったことというよりも、そのせいでカブに迷惑がかかるのではないかという不安によるものだろうことは、予想がついた。
「へぇ、まふゆチャンはますますオレさまに逆らえなくなっちまったなぁ?」
言外に黙っていてやるから付き合え、というプレッシャーをかける。「横暴だ、パワハラだ」と不穏な言葉を繰り返すが、やがて「わたしにできる範囲ですからね」と釘を刺しつつ諦めたようだった。
「そんな無理難題じゃねぇよ」
ロトム、と声を出すとポケットからスマホロトムが飛び出してくる。そのまま画面をタップしスケジュールアプリを立ちあげ、目的の予定を確認した。
「来週の水曜、空いているか? 昼ぐらいから」
「空いてますけど……」
「んじゃ、シュートスタジアムの前に来てくれ」
しぶしぶと頷いた彼女は「ちなみに、なにするんですか?」と探りを入れてくる。
「そりゃあ、男が女を誘うなんざ、理由は1つだろ」
「?」
「デートしようぜ、まふゆチャン」