頬を撫ぜる空気が変わったのを感じた。もしかして、と疲労に満ちた足を奮い立たせ、前へ進む。ようやく出口が近づいてきたのかもしれない。ここまで来るのに数時間は経ち、腕時計の針はとっくにてっぺんを過ぎている。加えて、途中に野生ポケモンに出くわしたせいもあって、まふゆはもう限界に近かった。(野生ポケモンはズルッグが戦い、かろうじて逃げられたのが幸いだった)

同時に言い知れぬ不安も襲ってくる。なんで目が覚めないのだろう。こんなに身体は疲れていて、時間だって経っている。今見ているものが夢と自覚しているから、これは明晰夢なはず。だから何度も「起きる」と念じた。それなのに目が覚めない。

「るぐるぐ!」

ズルッグのほうを見ると「こっちだ」と言わんばかりに指さすほうへ視線を向ける。出口だ。ようやく見えたゴールに少女は最後の力を振り絞り、駆けよった。
――そして理解する。

「ゆめ、じゃない」

広がる大地、夜の空には輝く星、吹く風は乾いて砂の粒を運んでくる。明確な理由はわからない。ただその光景を見て、まふゆは目の前に広がる世界が現実だと突きつけられた。力の抜けた足は立っていることができず、座り込む。じわじわと絶望と共に涙が這い上がってきた。

もしかして今まで現実だと思っていたのが夢だった? そんな話を国語の授業で習った。どちらが夢で現実か、わからなくなる話。しかし、今までの生活が夢だったとしても、まふゆにとってはそちらが現実だ。今、ここに家族はいない。そして思い当たる。もしかして自分は――

「ひとり、ぼっち……?」

言葉にした瞬間、感情があふれ出した。このよくわからない世界で、まふゆはひとりぼっち。自分を知る人は誰もいない。家族も友人も、この世界にはいない。

「うっ……」

こみあげる吐き気に思わず口元を抑える。耳鳴りが響き、ほろほろと涙が落ちていく。寒くもないのに身体が震えた。

「ぐる……?」

まふゆの異変に気づき、不安げに見上げるズルッグに乾いた笑いがこぼれた。ポケモンに言ったところで意味が無いのに、つい弱音を漏らす。

「わたし、ひとりになっちゃった……。はは、どうしよう、これから……」

こんな広い世界で、迷子になった。どこへ行き、なにをしたらいいのか。迷子のまふゆにはわからない。
ズルッグがその言葉の意味を理解しているのか、否か――ただ、少女の涙が止まるまで、何も言わず不安げな様子を浮かべつつも傍に居続けるのみだった。


***


泣き疲れ、ぼんやりとした頭で腕時計の文字盤を見る。午前3時。ここからどうしよう。明るくなるまでここで待っていたほうがいいのだろうか。でも、ここがどこだかもわからない。遠い記憶の必死に掘り起こす。ズルッグがいたことから、ここは『ブラック・ホワイト』以降のポケモンの世界だろう。まふゆがプレイしたのは『ブラック』と続編の『ブラック2』のみ。他のシリーズはプレイしていない。プレイしたのもまだ小学生のころだ。ほとんど記憶は抜け落ちている。

よろけながらも立ち上がり周囲をぐるりと見渡す。砂ばかりだ。ここは砂漠なのだろうか? いや、砂漠は氷点下まで気温が下がるときく。たしかに冷えはするが、一般的な夜の部類だろう。だから砂漠では無いのかもしれない。
ふと、遠くに灯りが見えた。カメラを構え、倍率をあげる。なんとなく人工物の光のように感じた。つまり、人がいる。

「行ってみよう」

立ち止まっていても仕方ない。本来ならば明るくなるまで動かないほうがいいのだろう。しかし、今のまふゆには耐えられなかった。何か行動を起こさないと、これから先何もできないような気がしていた。それに「人がいる」という希望を枯らしたくはない。

圏外マークが表示されたスマートフォンを立ち上げ、ライトを点灯させる。これで足元を照らしながら進んで行こう。モバイルバッテリーもあるから、電池の心配はないはずだ。

「——ここまで、ありがとう。これ、最後の1個だからあげるね」

まふゆの傍らで心配そうに見つめていたズルッグに最後のグミを渡す。

「おかげで助かった。ありがとう。あなたはお家に帰ったほうがいいよ」
 
君は1人じゃないのだから、という言葉は飲み込んで、まふゆはキャリーケースを持つ手に力を籠めた。佇むズルッグに手を振り、「よし」と己を奮い立たせる。そして砂の大地へ一歩踏み出した。



幸運なことに道中は野生ポケモンに遭遇することなく、まふゆは砂漠地帯を抜けられた。アスファルトの固さをこれほどうれしく思ったことはない。標識には『4』と書かれている。左手側に建物があったので、とりあえずそちらへ向かった。

どうやらここは屋内の商店街のようだ。しかし、時間が時間なので店は軒並み閉まっている。開いていたとしても、こちらのお金が無いから利用できないが。
地図らしき掲示板があったので確認してみるが、文字が読めない。覚悟していたこととはいえ、ずしりと重いものが腹に落ちていくようだった。

「えっと、今きたのはこっちぽいから……」

とりあえずまっすぐ行けばよさそうだ。近代的な商店街は本来であれば、活気があふれているのだろう。しかし今は真夜中のせいで誰もいない。そのせいか寒々しさを感じる。はやく人の気配がするところへ着きたくて、痛む足の速度をあげた。

商店街を抜けると、先程とは打って変わって光輝く街が目に入る。大きな観覧車やサーチライトがまぶしい。その光でまふゆは思い出す。たしかゲームの中にもこんな風に観覧車のある街があったような。ミニゲームのミュージカルで遊んだ覚えもある。
とはいえ、時刻は真夜中。明るくても人はほぼない。とりあえず、ここはセオリー通りポケモンセンターを探そう。これだけ大きな街なのだから、ポケモンセンターもあるはずだ。

まふゆの狙い通り、赤い屋根のポケモンセンターはすぐに見つかった。灯りもついている。恐る恐る入っていくと「遅くまでお疲れ様です、ライモンシティポケモンセンターへようこそ!」と軽やかな声で迎えられる。アニメでも見たジョーイだ。同時に言葉が通じることに安堵した。

「あ、あの……」
「はい。いかがなさいましたか?」
「えっと、ちょっといろいろあって……申し訳ないのですが待合室の椅子を今晩お借りできないでしょうか……」
「まあ、それは……イッシュへは観光か何かで?」
「は、はい! 観光で! 宿泊のホテルが手違いで取れていなくて、どうしようか悩んでいたんです。代替も用意できないと言われて困っていたんです。もしかしてポケモンセンターなら、なんとかなるかなと思いまして!」
 
ジョーイの言葉に便乗する形をとれば、そういったことは珍しくないのか「大変でしたね」と慰められた。

「確認したところ、一応ベッドに空きがありますよ。トレーナー向けの無料施設なので、ホテルのような個室ではありませんが」
「本当ですか!? お借りしたいです!」
「ええ。それではご宿泊のお手続きを取らせていただきます。恐れ入りますがトレーナーカードをお願いできますか?」
「えっ……と……」
 
無いです、とか細い声で答えると、ジョーイは困った表情を浮かべ言った。

「ここの宿泊施設はトレーナーさん専用なんです」
 
殴られたような感覚。彼女曰く、ライモンシティは観光地としても有名なため一般の宿泊施設が充実している。代わりにセンター併設の施設はトレーナー専用となっているとのこと。他の街ならばこの限りではないらしいが、まふゆにとっては今からまた他の街に行くことは難しかった。

「……トレーナーカードの発行って簡単にできますか?」
「イッシュ地方に戸籍があればここでも可能ですが……失礼ですが他地方の方ですよね? そうなるとここでは発行できないんです。リーグ管轄のジムに行ってもらって、ご出身の地方のリーグへ戸籍照合を申請して――という手続きがかかります」
 
夜間のジムは予約制だからそういった手続きは行っていない、と申し訳なさそうに眉をさげた。

「そうですか……」
 
他の街へ行くか、やっぱり椅子だけでも借りられないか交渉するか――少女の頭の中が絶望でいっぱいだった。最近まで中学生。まだまだ子供なまふゆはどうしたらいいのかわからなかった。
そんな彼女を前にして、ジョーイは壁にかかった時計に目をやったのち、口を開いた。

「今回は特別にお泊りください」
「えっ」
「こんな遅い時間に、あなたのような年齢の女の子を放るわけにもいきません。もう他のトレーナーが宿泊に来ることもないでしょう。特別ですよ?」
「……いいんですか?」
「ええ。せっかくのイッシュ地方の旅が悲しいものになっては、私も寂しいですから」
「ありがとうございます……!」
 
ジョーイは微笑んで、宿泊手続きを進めていく。カードキーと施設利用の方法を受ける。話を聞く限りカプセルホテルのような造りになっているらしい。共用だがシャワールームもありそうだ。砂っぽい身体を清めることができることに、素直に喜んだ。

「それからよければこちらも」
 
渡されたのはトレーナーカード発行に関するパンフレットだった。右上に『カントー・ジョウト・ホウエン・シンオウ版』とカタカナで記載されている。読める文字だ、と率直に思った嬉しさが顔に出ていたのか、ジョーイは「やっぱりカントーのほうから来られたんですね」と微笑んだ。

「もしよろしかったらお読みになってください。カード発行までのお手続きの流れがありますよ」
「ありがとうございます。……あの、これイッシュ地方版のパンフレットももらえますか?」

見比べれば多少はこちらの文字を読む勉強ができるのではないかと考えたのだ。不審に思われるかと思えば、快くもう1冊もらうことができた。

「それではごゆっくりおやすみください」
 
ジョーイに見送られ、まふゆは宿泊エリアへ入っていく。ロッカーに荷物を預け、シャワーを浴びる。もともと旅行へ出ようとしていたのが不幸中の幸いだった。着替えも洗面用品もそろっている。
ようやく宛がわれたベッドにもぐりこんだのは、午前5時近くだった。どこからか鳥の鳴き声が聞こえる。いや、鳥じゃなくてポケモンかもしれない。

「——眠い」
 
瞼を閉じればあっという間に意識は彼方へ。長い1日がようやく終わりを告げた。

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