まふゆが目覚めたのは昼頃だった。ぼんやりした頭で今までのことを思い出し、少しだけ泣く。でも涙を流すのはこれで終わり。泣いていても始まらないのだ。
「よし……」
とりあえずここを出よう。明るいうちにいろいろと決めておきたい。準備を整え、宿泊エリアを出る。カウンターのジョーイに話しかければ「あら、あなたが」と微笑まれた。
「夜勤のジョーイから聞いていますよ。よく眠れました?」
その言葉に首を傾げる。夜勤の、ということは目の前のジョーイは違う人なのだろうか。そっくりなのに。ジョーイはそのテの質問に慣れているのか「この格好は制服のようなものなんです」と答えた。
「これからのご予定は?」
「えっと、未定です」
「よかったらライモンシティを回ってみてくださいな。楽しいですよ」
「……ありがとうございます」
その余裕があったらいいのだけれど。さすがに言葉を口に出すことはできず、あいまいな表情のままカードキーを返す。
「確かに返却受け付けました。——そうだ、あなたあのズルッグに見覚えはある?」
「え?」
言われて振り向くと、ロビーの待合椅子にちょこんと座るズルッグがいた。通り過ぎるトレーナーを観察しているようだ。
「あなたがここに来たすぐ後に、あのズルッグが入ってきたみたいなの。野生のポケモンがなかなか街まで下りてくることは少ないから……何か知っているかなと思って」
「し、知っています」
間違いない、一緒にいたズルッグだ。ポケモンはみんな同じに見えると思っていたのに、まふゆにははっきりとあの案内してくれたズルッグであると理解できた。
「ここに来るまでに助けてもらったんです。ついてきちゃったんだ……」
自分についてきてもいいことはない。グミ目当てだとしたら、もう袋は空だ。感謝はしているけれど、何も返すことはできない。
「……なら、きっとあなたのことが気に入ったのね」
「えっ」
「でないと野生のポケモンが自分からセンターに入ることなんて滅多にないわ」
「そんな。わたしと一緒にいてもいいことなんて……」
「ポケモンはそういう理由でパートナーを選んだりしないわよ。ちゃんとあなた≠ナある意味があるの。ゲットするかはゆっくり決めればいいわ」
ジョーイはにこりと微笑んで、言った。その微笑みに見守られ、まふゆはおずおずとズルッグに近付く。その気配に気づいたのか、彼は「!」と目を見開き、駆けよってくる。ああ、やっぱりあのズルッグだ。
「るっぐ! るっぐ!」
それはまるで心配したんだと言わんばかりだった。そして一緒についていくとも言っているようで――
「とりあえず、いったん外でようか。いろいろと話したいこともあるから」
ズルッグが頷くのを確認し、まふゆはジョーイに頭を下げる。
「お世話になりました。夜勤のジョーイさんにもよろしくお伝えください」
「困ったらまた来てくださいね。力になれることもあるだろうから」
ベストウイッシュ、良い旅を!
願いの言葉に見送られ、少女はポケモンセンターを後にした。
遊園地のベンチに腰掛け、まふゆはもらったパンフレットを読む。最後のページを捲り終え、ため息を漏らした。
「やっぱりトレーナーカードは無理かも」
目の前に聳え立つライモンジムに視線を移す。こんなに近くにあるのにすごく遠い。
トレーナーカードはいわゆる身分証明証だった。登録をすれば、ポケモンセンターの無料使用(主に回復と宿泊)と各アイテムが割引価格で買えるという特典付き。ジョーイの言っていた通り、他地方で登録をする場合――今回だとイッシュ地方出身ではないトレーナーだ――戸籍が必要となる。加えてポケモンを1匹以上所持していることが条件。
ただ一度登録すれば、どの地方でも身分証明証として利用できる。つまりトレーナーにとっては必需品だ。
しかしデメリットもある。それはポケモン1匹につき、2ヶ月ごとに登録費用がかかること。どうやら、そこそこの金額らしく、よほどの理由ではない限りポケモンの所持は多くとも3匹〜4匹ほどが推奨らしい。(プロトレーナーは別らしいが)
そのためバトルをするのではなく、家族として迎え入れたり、一緒に働くなどの理由でポケモンを所持しているのなら無理にトレーナー登録をする必要もないらしい。登録費が生じない代わりに、ポケモンセンターなどが有料になるが、バトルをしなければそもそも利用機会が少ない。トータルで考えればそのほうが安上がりになる。
つまり、トレーナー登録は「バトルをするなら」「旅をするなら」といった際に恩恵が大きい。
「なら、まずは衣食住の確保が最優先かな」
戸籍も無ければ頼る人もいない。かといってポケモンセンターに戻り、ジョーイに事情を話すわけにもいかない。そのまま病院に連れていかれそうだ。なら仕事をするしかないだろう。「働かざる者食うべからず」をこんなにも痛感するなんて思わなかった。
「それと……」
「るぐぐ?」
ちらりと横を見る。勢いで連れてきてしまったけれど、ズルッグをどうにかしなければ。元の場所へ帰るよう促しても、このポケモンは頑なにまふゆのあとをついてきた。
「もうグミは無いんだよ。ついてきても、渡せない」
食料としてはあとクッキーが1箱。申し訳ないが、これはまふゆの食事とさせてもらいたい。なにせ先立つものがないのだ。
「るぐぐ!」
しかしズルッグは首を振る。そうじゃない、と言っているようだ。しかし、まふゆも折れるわけにはいかない。自分の面倒もままならないのに。
「あのね、わたしは君のトレーナーになれないの」
「どうして?」
「どうしてってそれは――」
突然の第三者の声に息が詰まる。慌ててズルッグに向けていた顔をあげれば、にこやかな笑みを浮かべた1人の男性が立っていた。きっちりとしたコートは白、加えて白手袋まで完備している。どこかの制服なのだろうか、独特なデザインも相まって少し不気味なほどだ。
「そのズルッグ、キミの?」
「い、いえ。野生です」
「じゃあゲットしちゃえばいいのに。その子、キミと一緒にいたいんでしょ?」
「それはお菓子が目当てで……」
「ポロック? ポフィン? ポフレ?」
「ぽ……?」
聞きなれない言葉の羅列に少女は混乱してしまう。話の流れからお菓子の種類のこととは思うが、なにせ彼は早口で言葉を聞き取るのに精一杯。
「ぼくはそうは思わない。お菓子が欲しいってわけじゃないよ。キミといたいから、その子はここにいる」
そして彼はポケットから何かを取り出した。手を出してと言われ、素直に差し出すと「あげる」という言葉と共に掌の上に置かれた。赤と白。小さな球体。
「モンスターボール?」
「それでズルッグをゲット! 弱っていないポケモンを捕まえるのは大変。でも、そのポケモンがキミといたいと思うのなら、素直にボールに入ってくれる」
「……いいんですか? これ、いただいて」
「もちろん! 先輩トレーナーから、後輩トレーナーへのプレゼント!」
笑みを崩さず、男性は言う。
「ポケモン増やして、ぜひバトルサブウェイにご乗車を! 待ってるよ!」
そろそろ休憩時間終わるから、と立ち去ろうとした彼に「あの、お名前は」と尋ねる。
「ぼくはサブウェイマスターのクダリ! ダブルトレインにいるからね!」
大きく手を振って、彼は駆けて行った。時間にして数分。嵐のようなひと時。まふゆの手の中には画面の向こう側でよく見たモンスターボール。赤と白のコントラストに懐かしささえ感じる。そして想像よりも重い。
「ズルッグ」
真剣な声が彼にも伝わったのか、ズルッグはまふゆをじっと見つめてきた。
「わたし、この世界の存在じゃないの。もしかしたら急にいなくなっちゃうかもしれない。そういうことが無くても、いろいろと大変なことばかりになる。少なくとも今日のご飯と寝る場所もないし……。もしバトルとかしたいなら、他の人の手持ちになったほうが――」
急にズルッグが抱き着いてきた。頭を押し付け、うるさいぞと言わんばかりだ。そして何かを伝えようと声をあげる。
言葉は通じない。その意味もわからない。それなのにまふゆにはしっかりと「これから一緒にいるよ」と聞こえた。それはあの時「ひとりぼっちになる」と泣いていた少女へ向けた想い。あの涙を見て、共に居たいと思ったポケモンの決意。
「ありがとう……!」
震える声にズルッグは頷いた。自らボールをカチリと押す。あっという間に中に吸い込まれ、数回揺れた後、ラインはゲット成功を示す緑色に光った。ボールに顔を近づければ、赤い部分が透けてうっすらとズルッグの顔が見える。
「これからよろしくね、ズルッグ」
任せろとばかりに胸を叩く彼はまふゆにとって、どんなポケモンよりも頼もしかった。