「そう固くならなくても大丈夫。ちょっと話を聞きたいだけだよ」
案内されたスタジアムの一室で身を固くするまふゆにカブは苦笑した。
「よかったら飲んで。緑茶が苦手じゃなかったら」
緑茶。確かに先ほどから覚えのある香りが漂っていた。こんな異国の地で緑茶。鼻の奥がツンと痛む。勧められるがまま口にすれば、今まで飲んだ中で一番おいしかった。同時に視界も滲みそうになる。
「おいしい……です……」
少女のわずかな空気の緩みを感じ、カブはほっと胸を撫で下ろす。正直なところ、年頃の少女とどう接していいかわからなかったのだ。
「それじゃあ本題に入らせてもらうけれど――君、ワイルドエリアで数ヶ月に渡るキャンプをしているね? 確認したところ、申請がないのだけれど」
「申請が必要なんですか?」
初耳だ。エリアの制限は知っていたが、長期滞在も申請が必要だなんて。
カブの説明曰く、ワイルドエリアはそこまで安全性が確保されていない。野生ポケモンも多く、凶暴性の高い個体も多い。そのため、月の間に数日程度なら構わないが、2週間を越す長期滞在の場合には、エンジンジムまたはナックルジムへの申請や定期報告が必要とのこと。
「あとは――家出してきた少年少女がそこで生活しないように、かな」
その言葉とともに、彼の眼光が強くなったのを感じる。たしかに、理由としてはもっともだ。なまじ生活ができてしまうから、余計に厳しいのかもしれない。
「まふゆ、と言ったね。歳は?」
「……17です」
「そう。親御さんは?」
だめだ。カブの中ではまふゆは家出少女だと思われている。どうやって切り抜けよう。
「……いません、ここには」
素直にそう答えれば、「他地方にいるのかな?」と尋ねられる。
――取り繕えばいいのだろうか。適当にイッシュでも、カントーでも、ホウエンでも言えば、逃げられるかもしれない。でも、目の前のジムリーダーはごまかせないとわかっていた。少しでも嘘をつけば、あっという間に崩されてしまう。
「……信じてもらえません」
本当のことを話すしか無い。けれど、そのままを素直に言う勇気も無い。なにせ今自分の身に起きていることは、自分でさえも信じられないからだ。
「それを決めるのは君じゃない。――信じなさい、ぼくを。これでも人を見る目は確かだと自負しているよ」
まっすぐこちらを見つめる真摯な瞳。
息が詰まった。カブなら信じてくれるかもしれない、と心が揺らぐ。
「困っているのなら、頼りなさい。甘えなさい。君が充分頑張ってきたのはわかるよ。少し、休んでもバチはあたらない」
何かが決壊した。頬を涙が流れ、喉が震える。あの日以来だ、泣くなんて。
「わたし……この世界の人間じゃ、ないんです……」
***
今日はここに泊まりなさい、とスボミーのエンブレムが描かれたホテルに案内された。あてがわれた部屋のベッドに横たわる。久しぶりのふかふかなマットレスがむず痒い。高いシーツの香りもする。
「養子、か……」
先程の会話を思い出すかのようにつぶやく。
結論から言うと、カブはまふゆの話を信じてくれた。彼女が嘘を言っていないこと、そして手持ちのポケモンたちが彼女を信頼していることが決め手だったらしい。その上でカブは1つの提案を持ちかけた。
それは彼の養子になること。身寄りのない彼女を引き取るというのだ。
「それに養子縁組をしたほうが、戸籍も作りやすい」
カブもホウエンから身一つで出てきており、ポケモン一筋だったため配偶者はいない。ひとり暮らしにこの家は広すぎてね、と笑う。
「強制はしない。ゆっくり考えなさい。断ったからといって援助をしないわけじゃない。ただ――」
ぼくとしては頑張っている君の帰る場所を作りたいんだ。
「帰る場所……」
そう言われて連想するのは「家族」。まふゆの家族は誰かと言われれば、それはもちろん元の世界の家族だ。じゃあポケモンたちは? と尋ねられたら、返答に困る。
ベッドから身を起こし、ボールからズルズキンを出す。本当はみんな出してあげたいけど、部屋の中じゃ一番小さなズルズキンしか出せない。
「?」
急にどうしたのだ、と首を傾げ、こちらを見つめるズルズキン。そんな彼に腕を広げればすぐさま飛びついてきた。甘えるように身体を擦り寄せる。『ゆうかん』な性格なのに、普段はほんとうに甘えただ。そんな相棒の頭を撫で決める。この世界にいる間だけでもこの子たちを守らないと。
決めた。いつかこの世界からいなくなる日が訪れる時まで、カブにお世話になろう。そうすれば自分がいなくなった時にも、ポケモンたちの安全は保証される。カブはそういう人だ。打算的な考えに罪悪感がわかないわけでもなかったが、まふゆにとってこの世界で一番大切なのはポケモンたちだから。
カブに養子縁組を了承したい旨を伝えれば「ありがとう」と優しく微笑まれた。その足で、ローズとダンデにアポを取り会いに行くこととなった。戸籍や手続きの関係でローズの協力は不可欠であり、同時にまふゆの事情をリーグトップであるダンデも知っておいたほうがいいという判断からだった。
2人はカブとまふゆの話に驚きはしたものの、否定することなく受け入れ、さまざまな手続き(特に戸籍関連)は滞りなく進んでいった。
「いやぁ、大変でしたね」
そう言って眉を下げるローズ。彼は不躾な質問ですが、と前置きをしつつ、まふゆに尋ねる。
「……ちなみにいつ頃こちらの世界に?」
「えっと、だいたい1年半前ぐらいです。イッシュのリゾートデザート近くにある『古代の城』という遺跡で目を覚ましました」
「なるほど、イッシュ地方。そんな遠くに――よくガラル地方を選んでくれました。歓迎しますよ」
求められた握手に応える。力強いそれにまふゆは少し痛さを感じるほどだった。同じくダンデも握手を求めてくる。
「オレにも遠慮せず、困ったことがあればなんでも相談してくれ! まあ、カブさんがいれば大丈夫だろうが」
自信に満ちた揺るがない力強い笑顔。ふとイッシュではアイリスという少女がチャンピオンをしていたことを思い出す。こちらのチャンピオンも強いと聞く。確かに、それを証明するほどのオーラを彼から感じる。トップに立つ人はそれだけの風格が備わるものなのだろう。
「ところでまふゆくんはバトルが強いのか?」
先ほどを人なつこい笑みから一転して、それはまるで獣。見定めるような、そしてどこか楽しげな光がその瞳には宿っていた。
「……ジム戦などをしてきてはいないので基準はわかりませんが、一応、人並みにバトルはします」
「そうか! もしよかったら、今度のジムチャレンジに参加してほしいぜ。君とぜひ戦いたい」
「えっと……」
なんと答えればいいのだろうか。まふゆは視線を迷わせる。なにせジム戦をするという資格さえ、つい先程までの彼女には無かったのだ。でも自立するためには多少ジムバッジを持っていたほうがいいのかもしれないが……。
返答に困っている少女を見かね「それはまたおいおいだね」とカブが助け舟を出す。ダンデも「すまない、逸りすぎた」と素直に謝罪の言葉を口にした。
「チャンピオンの言うとおり、ぜひジムチャレンジに参加してもらいたいですね。なにせガラル地方を巡るのにジムチャレンジは適している。まふゆくんのガラルデビューぴったりだ! それに異世界から来た君のバトルの腕、わたくしも気になりますから」
デビューといっても、キャンプで過ごしてもう数ヶ月はここにいるんだけどな……。
そんな言葉を飲み込んで、ローズから投げられたウインクにただ苦笑するしかなかった。
こうしてまふゆの新たな生活が始まった。とはいえ自分の食い扶持は自分で稼がないと。少しでもカブの迷惑にならないようにと写真の仕事をこなし、時にはバトルで金を稼ぐ。(そうして手に入れた生活費を彼は頑なに受け取ろうとしなかったが)
ガラルの生活にだいぶ慣れた頃、まふゆは出会ったのだ。
今、こうして静かに彼女の過去を受け入れてくれたキバナと。
***
長く話して疲れたのか、まふゆはペットボトルの中身を勢い良く飲み干した。
「それからわたしはカブさんにお世話になりつつ写真の仕事をしている、って感じですかね」
「…………」
「こんな変で重たい話、聞かせてすみませ」
「謝るな」
鋭い声で、少女の言葉を遮る。
「謝るな。オレが話せって言ったんだ。それに言ったろ、お前ぐらい簡単に背負ってやるって」
「…………」
「話してくれてありがとな」
まふゆの目尻に残った雫を親指で拭う。やわい頬からは壮絶な過去は想像もできない。
『頑張ったな』『大変だったな』そんな同情の言葉はいくらでもかけられる。しかし、彼女には相応しくない。そうキバナは思った。
1人で世界に捨てられて放り出された。世界規模の迷子になったまふゆの心を自分はきっと理解しきれない。だから彼女がその言葉を求めていたとしても、己からは伝えられない。それは最初にまふゆの心に寄り添ったカブの役目であるし、いつか彼女の隣に並び、優しく抱きしめる誰か≠フ役目で――
唐突にそれがもどかしく感じた。今、少女は目の前にいる。触れられる。しかしいつか≠ェきたら、その資格は無くなるのだ。キバナの手をすり抜け、誰かのものになってしまう。その事実が酷く心を締め付ける。
そしてまふゆはその『誰か』に自分にも見せたことのない、頬を緩めた甘い笑みを見せるのだろう。
キバナは少女に気づかれぬよう唇を噛みしめる。己に息づき芽吹いた感情に蓋をするかのように。漏れ出してはいけないというように。でないと自分はこの感情を彼女にぶつけてしまう。いつか、心からの笑顔を見せて欲しいと願ってしまう。頬を緩ませ、あたたかなそれを。しかも自分だけに。
しかし、キバナの葛藤とは裏腹に彼女は知らずに、ただ一言で彼が堰き止めていたナニカを壊す。
「――わたしも、キバナさんに聞いてもらってよかったです」
依然として表情は氷ったまま、動かない。だがこちらを見上げる瞳の奥には優しい光があって、彼への感謝を告げていた。けれどいつか、今は自分に向けられているそれさえも、『誰か』ものになってしまうのだ。
「ありがとうございます。キバナさんがいてくれて、受け入れてくれて、嬉しかったです」
ほんの少しだけ少女が笑った気がした。それは勘違いかもしれない。それでもキバナにはそう見えた。
ああ、ちくしょう。オレさまの負けだ。
オレはこいつが、まふゆが好きだ。