14

耳の奥がまだ騒がしい。まふゆは息を吐いて、ショルダーバッグを肩にかける。もうジムチャレンジは始まっているのかのようで、我先にとトレーナーたちは走って行った。マリィも「どこかで会おーね」と先に行ってしまった。気づいたらもう数えるほどしか、更衣室に残っていない。
自分もそろそろ行かないと。最後にカブに挨拶を、と思ったが、もう彼とはチャレンジャーとジムリーダーという関係になる。直接会うのは憚られるから、メッセージでも送っておこう。

ジムリーダーといえば、と思い出す。すごい形相でこちらを見ていたドラゴンストームを。おおかた、自分が出場することを知らせなかったせいだろう。「なんで連絡してこなかったんだ」という無言の圧力が痛かった。テレビカメラに抜かれたり、スマホロトムで写真を撮ったりしているときはにこにこしていたが、ふと気づくとこちらを睨んでいた。

まふゆのスマートフォンにはロトムはいない。(スマホロトムは契約料が高い。いつか野生のロトムが入る可能性もあるが、確率は低い)ロトムがいないことで不便に感じることもあったが、もしいたら連絡を取るよう催促されていただろう。それだけキバナからのメッセージがいくつも入っていた。開会式中の写真も一緒に。

「よし、スルーしよう」

今までのことと、これからのこと。それらを天秤にかけると、面倒臭さが勝ってしまった。まふゆは端末をスリープにし、ポケットにしまう。明日あたりに連絡しよう。時間をおけば、彼も頭が冷えるだろう。そう決めて、ようやく更衣室を出て――

「ひえっ」
「よう、まふゆチャン」
 
壁にもたれ、明らかにまふゆを待っていたであろうキバナの姿を目にして、つい悲鳴をあげてしまった。こちらを見下ろす彼はにっこりと笑っているけれど、瞳の奥は全くその光は見えない。

「ちょーっと付き合ってくれるよな?」
 
答えは1つしか許されない。

「……ハイ」 



人の気配のない、少しだけ埃の匂いがする部屋にキバナはまふゆを押し込んだ。

「連絡」
「…………」
「なんでくれねーの? オレさま、リスト見て心臓止まるかと思ったんだけど」
 
正直なところキバナは不服だった。自分に全てを話せとはいわない。しかし、彼女へ特別な想いを抱いている男としては教えて欲しかったというのが本心。
なにより――

「会いにくくなるだろ」
 
ジムチャンジャーとジムリーダー。別に会ってはいけないというルールはない。しかし、過度な接触は、いらぬ噂がたつきっかけになる。主に公平性の面で。
伴って、不安なこともあった。それは「まふゆという存在」そのものである。彼女は存在が不確かな人間だ。こうして些細も無い理由で会えなかったタイミングで彼女が元の世界に帰ってしまったら――。考えるだけで寒気がしてくる。

「……帰るってなったときは、ちゃんと挨拶しにこいよ。どんなところにいても」
 
その一言でまふゆも彼の心情を理解できたのだろう。メッセージをスルーしようとしたことに、申し訳なさを感じた。だからこそ、約束を口にする。

「はい。必ず。絶対に会いに行きます」
 
そして、それはまふゆの本心でもあった。絶対に一人勝手に帰ることはしないと密かに誓う。
その言葉でようやくキバナも満足したのか、彼らしい朗らかな笑みが戻ってきた。やわらかくなった空気に、ほっとまふゆは胸を撫で下ろす。怒っているキバナは少し怖かったのだ。

「でも、まさかまふゆがジムチャレンジをするなんてな。想像つかなかった」
「ローズ委員長から勧められたんです。本当は断ろうと思ったんですけど……」
 
もごもごと口の中で言葉を転がし、呟く。

「キバナさんがわたしの話を聞いてくれたこと思い出して――ちょっと勇気だしてみてもいいかな、って、思えて」
「……そうか」
 
それは素直に嬉しい。彼女の力になれたなら、大人としてこれ以上の喜びはない。
でもそうか、旅に出るのか、と当たり前のことを改めて痛感する。やっぱり、そう簡単に会えなくなるのは寂しい。まあ、カブには内緒でメッセージ送りまくろう。娘を持つ父親は怖い。

「そういや、ポケモン増えたんだな」
 
ふと、目についた彼女の4つめのボールを指さすと「これは……」と歯切れの悪い返事。尋ねてみると、カブから譲り受けたロコンとのこと。

「へぇ。カブさんのロコンなら、強いだろ」
「……この子はバトルに出しません」
 
まふゆの噛みしめられたくちびるに「また面倒くさいことを考えているな」とキバナは察する。口を出したくなるが……こればかりは、彼女自身が乗り越えないといけないことだろう。本音としては自分に頼ってほしい。なにせ、惚れた女には頼られたいのが男心というものだろう。そんな本音は言えないけれど。

「ま、ちゃんとオレのところまで来いよ? 途中離脱なんて、絶対に許さねぇからな」
「頑張ります」
 
その答えにキバナは満足そうに頷いて、手首に巻いてあるバンドを解き、まふゆの手の中へ落とす。慌てて掴んだそれを、まじまじと見つめる彼女に言った。

「やるよ。持ってないだろ? バンド」
「それは、そうですけど。使えないんです、わたし」
「は? どういうことだよ」
「わたしの手持ちポケモンじゃ、ダイマックスできなくて」
 
イッシュ地方からやってきたポケモンのせいか、はたまたまふゆ自身の問題なのか……なぜかまふゆはダイマックスが使えない。エントリーすると決まったときに、ローズから贈られてきたバンドを使ってエンジンジムで試してみたのだが、うんともすんともポケモンたちは大きくならないでいた。バンドの不調ではなさそうなので、結局のところ原因不明。

「それじゃ、お守り代わりってことで」
「でも、これをいただいたらキバナさんが……」
「ジムに戻れば、予備がある。受け取ってくれ。オレさまからの餞別だ」
 
悩んで、まふゆはそれを受け取った。本当は嬉しかったのだ。キバナが普段使っているダイマックスバンド。これ以上心強いお守りはない。一歩踏み出すきっかけとなった彼の持ち物をわけてもらえるなんて――絶対に誰にも負けられない。
しかし、1つ問題が発生する。いそいそと右手首にバンドを巻いて、それに気がつく。

「あの、大きくてぶかぶかです」
 
キバナの笑い声が部屋に響き渡った。


***


スタジアムを出る。陽の光に目を細めた。
まずはターフタウンへ向かわなければいけない。鉱山を抜ければすぐそこだがせっかくだからポケモンの写真も撮っておきたかった。
まふゆは調整してもらった右手首のバンドに触れる。ねがいぼし≠ヘ静かに佇んでいるだけ。でも、そこにあるだけでなんでもやれるような気がしてくる。まさにお守りだ。

「――うん、頑張ろう」
 
腰につけたボールがかたりと揺れる。自分たちもいるのだと伝えてきた。仲間たちをボール越しに撫でて、まずは第一歩。
カメラを構え、目の前の風景を切り取る。
まふゆのジムチャレンジが始まった。

<< top NOVEL >>


ALICE+