16


蒸気の熱が街全体に漂う特有の空気を感じ、まふゆは息を吸いこむ。帰ってきた≠ニは違うかもしれない。でも確かに帰ってきた≠フだ。

ジムチャレンジ最初の壁と呼ばれるエンジンジム。カブの実力はまふゆもよく知っている。加えて彼の性格だ。いつも以上にバトルに力が入るに違いない。
そしてその予想は的中する。なにせジムミッションの時点で顔見知りのジムトレーナーたちに「カブさん気合い入っているよ」と微笑まれたのだ。

多少覚悟していたとはいえ、いざ目の前にするとその迫力に身体が震える。普段はトレーナーとしてではなく、保護者として自分に接していてくれたのだと、いやでも気づくほどに厳しい表情を彼は浮かべていた。
フィールド入り口、隣にいるカブは静かに口を開く。

「——旅はどうかな?」
「楽しいです。今のところ。写真もたくさん撮ったんですよ」
「そう。よかった。安心したよ。楽しんでいるならなによりだ」
 
ふと、その一瞬だけはまふゆにとっていつものカブになった。目じりを下げ、優しい保護者の顔。
しかし、本当にそれは束の間のことで、すぐさま表情は元に戻ってしまう。

「しかし、今はジムリーダーとして、本気を出させてもらおう」
 
入場のアナウンスが流れ出す。駆けていく彼の背中を、あわてて追いかける。空のスタジアムには何度も目にしたが、こうしてたくさんの人が入っているエンジンスタジアムの熱気は今までと段違い。それはまふゆ自身の選手としての知名度が上がり始めていたせいでもあった。

「まふゆ、覚悟はいいね」
「はい。よろしくお願いします」
 
ポジションにつき、試合が開始される。
カブの鋭い投球フォームから繰り出されるキュウコン。まふゆも彼女のブラッシングを何度もした。しかし、こちらを見つめる鋭い視線にそのときの優しさはない。
その瞳に負けぬよう、まふゆもボールを放った。


***


「こんっこんっ!」
 
バトルを終え、興奮しっぱなしのロコンはなかなかボールに戻ろうとはしない。同時にちょっと怒っているようだった。なんでバトルに出してくれないの、とさっきから鳴いてばかり。仕方ない、しばらくはこのまま外に出しておこう、とまふゆは諦めてボールをしまう。
そんなやりとりを見ていたヤローが楽しそうに声をあげた。

「いやあ、元気なお嬢さんだ」
 
その言葉に曖昧な笑みで返す。ルリナもまた「ほんと元気な子ね」と、ロコンの頭を撫でた。嬉しそうにロコンが鳴いている。

「ぼくが選んだとびっきりの子だからね。元気な子のほうが、まふゆの旅も楽しくなるはずだ」
「でも手を焼いているような気もするのは、わたしだけかしら……」
 
残念ながら否定できない。キャンプでもロコンは一番走り回っている。残りの3匹が面倒を見てくれていないと、まふゆはおちおちカレーも作れないほどだ。
そんな空気を察したのかルリナは「でも元気なことはいいことよね」とフォローを入れる。

「さて、3つのジムバッジを手にして、次に向かうのはナックルシティ。そしてその先のラテラルタウンだ」
「ワイルドエリアを抜けたら、すぐそこなんだな。まふゆさんの実力なら余裕じゃあ」
「ファイナルトーナメントで待っているわ」
「ありがとうございます」
 
頭を下げて礼を言う。毎回、どのチャンジャ―にもやっていることだと言われたが、嬉しいものは嬉しい。3人のジムリーダーが口にする激励の言葉は、まふゆの背筋を改めて伸ばすこととなった。

「――気をつけて行っておいで」
 
最後、いつものカブの優しい声がまふゆに届く。それはまさしく父親が旅立つ娘に向ける眼差しに違いない。
たまには家へ帰っておいでと言外に伝えてくる彼に少女は手を振って応えた。

「いってきます」
「ああ、いってらっしゃい」

そしてまふゆはワイルドエリアへ降り立つ。
ワイルドエリアは何度も訪れているだけあって、彼女の足は迷うことなくナックルシティへ向かっていく。徒歩だから時間はかかるがそれも慣れたもので、どこかで1回キャンプをしようと考えるほどに余裕があった。

「でも雨なのはいただけないよね」
「こーん」
 
急に降り出した雨に驚いて、慌てて木の下へ入る。ワイルドエリアの天気は変わりやすい。バッグの中から折りたたみ傘を探し、広げる。雨に打たれすっかりおとなしくなったロコンに声をかけた。

「ボール入る?」
 
彼女は灰色の空を見上げ、小さく首を横に振った。その姿に少女は目を瞬かせ、尋ねる。

「濡れちゃうよ?」
 
いいよ、と鳴いた。その代わり傘の中にはいれてよね、とすり寄ってきた。
こういう仕草がたまらなくまふゆの心を擽るのだ。本来、彼女のことを想えば最低限のふれあいにするべきだというのに。こうしてじゃれつかれると、折れてしまうのはいつもまふゆのほうだった。でも、バトルにだけは出さない。それだけは譲れない。

「離れないでね」
「こんっ」
 
意気込んで歩き出して数分、身体も冷え、足先もすっかり濡れてしまった。もう少ししたら、比較的濡れていないところテントを張ろうと決める。一刻も早く暖を取りたかった。

「!」
 
おとなしく隣を歩いていたロコンが急に周囲を気にしだす。鼻を動かし、何かに気がついたのか、挙動が怪しい。しばらくすると目当てものを見つけたのか、一目散に駆けていく。追いかけると、興奮した彼女の足下には輝く石が転がっていた。

「これって……」
 
ほのおの石だ。橙の輝きの中で、焔が揺らめいている。
ロコンからキュウコンに進化する際に必要なこの石。ポケモンの一部には進化に条件が加わってくる。ロコンもそのポケモンの1種だ。つまり、本能で彼女は探し当てたというのだろうか。自分の進化に必要不可欠なこの石を。確かに嬉しそうに尾を振って、まふゆに「拾って!」と促している。
言われるがままに、まふゆはバッグに石をしまった。正直、まふゆがこれをロコンに使うことは無いだろう。しかし、持っていて損はないはずだ。周囲を見渡すが他の種類の石はないようで、棚ぼたは狙えないかと反省する。

「あれ?」
 
視界の端に何かが映る。雨の中で見辛いが、必死に目を凝らした。——人がいる。しかもこんなどしゃぶりだというのに、傘もレインコートも無く、野生ポケモンとバトルを繰り返していた。その姿はがむしゃらでなんだか痛々しい。ぬかるんだ地面に足元を取られながらも、ポケモンに指示を飛ばしていた。

「っ」
 
刹那、輝る雷鳴。その轟音に肩が跳ねる。そのすさまじいほどの光と音に、まふゆは直感的に危ないと感じた。ワイルドエリアの天気は移ろいやすいとはいえ、この雷雨はいつもよりも酷い。それなのに件のトレーナーは身一つで雨粒に打たれている。これでは風邪をひくどころの騒ぎではなくなってしまう。

どうしよう、と考えたのは一瞬。トレーナーはちょうどバトルを終えたところのようで、次のポケモンに向かっていく。割り込むなら今だ。迷う隙は与えられない。

「ゴルーグ、お願い」
 
ボールから飛び出たゴルーグはトレーナーの前に立ちはだかる。急に現れたポケモンに驚いたようで、足が止まった。一方でまふゆとロコンは走りだす。傘は邪魔だから閉じた。身体に容赦なく濡れ、冷えていく。こんな中、バトルをしていたのかと、胸が苦しくなった。
我に戻ったトレーナーがゴルーグに攻撃指示を出す前に、その腕を掴む。よく見ればまふゆよりずっと年下の少年だった。金色の瞳がまふゆをとらえ、揺れる。

「この天候でポケモンバトルは危ないよ」
「!」
「とりあえず雨がしのげるところに行こう」
「……あなたには関係ないんだぞ」
「関係ないけど、見過ごすわけにもいかないよ。……同じジムチャレンジャーだし」

少年の腕に巻かれたチャレンジバンドを見つけ、言った。彼もまた、まふゆのチャレンジバンドに目を移す。

「この雷雨はいつもよりひどいから、甘く見ていると本当に危険なの。この近くに育て屋さんの家があるから避難させてもらおう」
「…………」
「君がどんな思いで今、バトルに逃げているかわからないけれど。……お願い、一緒に来て」
 
彼女の想いが伝わったのか、少年は小さく頷く。それを確認し、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、まふゆはゴルーグとロコンをボールに戻し、腕を掴んだまま再び走り出した。



 
育て屋は雨に濡れたまふゆたちを暖かく迎え入れ、奥の部屋で休むといいと案内をする。
急な来訪、しかもひどい濡れっぷりだというのに。せめて軒下を使わせてもらえれば、と考えていたまふゆにとって、屋内へ入れてもらえると思わなかった。

「本当にありがとうございます」
「いいよいいよ。ワイルドエリアではよくあることだしねぇ。この部屋もそういうトレーナーのために空けているんだ。ほら、タオルとエネココア。雨が落ち着くまでゆっくりしておいで」
「重ね重ねありがとうございます」
 
育て屋は「隣の部屋にいるから何かあったら声をかけておくれ」と出て行く。まふゆは受け取ったタオルをトレーナー、もといホップに差し出した。

「早く拭かないと風邪ひくよ」
「…………」
 
うんともすんとも。とはいえ、このままにしておくこともできない。まふゆはテーブルにエネココアが入ったマグカップを置く。そして、座り込んで俯いたままのホップの濡れた頭にタオルを被せ、問答無用でそれをわしゃわしゃと動かす。

「わっ! や、やめるんだぞ!」
 
慌てふためくその姿は、まふゆに元の世界にいる妹を思い出させた。お風呂上り、濡れた髪のままでテレビを見ているような性格をしていたから、こうしてよく頭を拭いていたのだ。
少しだけしんみりとした心の中を隠すように、さらに力を入れて手を動かす。

「言うことを聞かない子はこうするの」
「ふ、拭くから! 自分で拭く!」
 
言葉の通り、彼は自分で手を動かし始めた。それを確認して、まふゆも新しいタオルを使って自身の滴を拭う。
ホップが一通り拭き終わったのを見計らい、続いてマグカップを渡して飲むように促す。
彼と同じように湯気の立つそれにゆっくりと口をつければ、冷えた身体が温まっていくのを感じた。

落ち着くのと同時にどうしようか、という気持ちが湧いてくる。つい、ホップのことを引っ張ってきてしまったが、この後のことを考えていなかった。あいにくと楽しくおしゃべり、といった空気ではない。
しかし、窓から見える外はまだ雷も雨も酷い。「じゃあ、わたしは行くね」なんて出て行ける状況でもない。
それにあの自暴自棄なバトルの様子。なにかあったに違いないのだけれど、自分がそういうフォローに向いていない性格だと、まふゆは自覚していた。

どうしたものかと考えて、ようやくまふゆは口を開いた。

「わたしね、写真を撮っているの」
「え?」
「ジムチャレンジしているといっても、撮影旅行も兼ねてて。本業は写真家なんだ」
 
自分の好きなことから、徐々に話していけば警戒を解いてくれるのではないか。それに彼だってポケモントレーナー。きっとポケモンが好きなはず。なら話のタネには事欠かない。そういう旅をまふゆはしているのだから。
避けてあったバッグからカメラを取り出す。しっかりとした防水加工のバッグを選らんでいたおかげか、中身は無事のようだ。

「君の手持ちポケモンは誰?」
「……ジメレオンとか、ウールーとか」
「ウールーなら撮っているよ。ターフタウン、いっぱいウールーいたから」
 
色違いのもいたんだよ、と言えば、ホップも興味が涌いたのか瞳が少し輝きはじめる。
まふゆはカメラを操作し、データプレビュー画面を見せる。白と黒、愛らしいウールーが寄り添って草を食んでいる姿だ。

「ほら、見て。2匹揃うとかわいいよね」
「オレ、見つけられなかった」
「実はわたしもなの。教えてもらったんだ。ここにいるよって」
 
他には? と尋ねられたので、今まで撮った写真を1枚1枚見せた。時には撮影に失敗した写真も。ブレたりボケたりしているのを見るたびに、彼はくすくすと笑ったり「うまいのか下手なのかわからないんだぞ」とまふゆをからかった。しばらくそれを重ねていると、いつの間にかホップの頬に赤みが戻っていることに気がついた。

「元気出してくれてよかった」
「……ごめん。それとありがとう」
「どういたしまして」

わたしも無理に引っ張ってきちゃったようなものだし、とまふゆがさらりと告げれば、ホップは「ひどい態度とってごめんなさい」と素直に謝罪した。彼はしばらく視線を彷徨わせたあと、おずおずと問いかけてくる。

「まふゆはバトルに負けたこと、ある?」
「それはジムチャレンジで? 今までで?」
「ジムチャレンジで」
 
まふゆは素直に「まだ無いよ」と首を振った。

「でも、ギリギリかな。特にジム戦は」
「じゃあさ、負けたらどうする? ジム戦でも普通のバトルでも」
「どうもこうも……。お金が減るのがしんどい、ぐらいかな」
 
身も蓋もないことを言えば、明らかにホップは顔をしかめた。でも実際そうなのだから、仕方ない。
まふゆは肩をすくめつつ、説明を重ねる。

「さっきも言ったけれど、私はバトルトレーナーっていうより写真家として活動しているから。あまりバトルに拘っていない感じなんだよね。ジムチャレンジも目的というより手段みたいなものだから」
 
でも、ホップは違うんだね? と尋ねると、彼は頷いた。

「オレさっき他のやつとバトルして。負けるのはいいんだ。勝負だから。でも、そいつに『推薦した人の顔に泥を塗っている』って言われて……」

 マグカップを包む手が、何かに耐えるように震えている。少年らしい高い声からも、強い感情が伝わってきた。しかし、まふゆは相槌を打つことなくエネココアを飲み続ける。

「そんな自分が悔しくて、どうしたらいいかわからなくて……」
「それであんな状況でバトルを?」
 
こくりと頷くホップを見て、まふゆは悩む。なんて声をかければいいんだろう。バトルに賭ける思いも、熱意も違う。バトルトレーナーにとって、勝敗もさることながらその先にあるものが段違いだ。

そんなやつには好きに言わせとけ、と口にするのは簡単だ。しかし、それでは救われない。自分がキバナのようにはするのは無理だけれど、少しでも彼の背中を押せたらいい。それでまふゆは一歩踏み出せたのだから。
慎重に言葉を選び、まふゆは言った。

「……自分を信じてほしいな」
「え?」
「ホップくんはその推薦した人が大切なんだよね?」
「もちろんだぞ!」
「なら、余計に自分を信じてあげてよ。その大切な人が、推薦してくれた自分を」
 
いまいち意味が呑み込めないのか、きょとんとした表情を浮かべる彼に言葉を続ける。

「その大切な人に推薦してもらった自分は強くなれる、強いんだ、って信じることが大事だと思うよ。――わたしも最近そう感じるようになったんだけどね」
「……よく、わからないんだぞ」
 
唸る彼に「ゆっくりでいいんだよ」と言えば、さらに彼は頭を悩ませてしまったようだ。顔をしかめ、もやもやとした表情をありありと浮かべる。

「あと、わたしだけじゃなくていろんな人に話を聞いてもらえばいいよ。ホップくんのことをよく知っている人とか」
「――オレのライバルとか?」
「いいんじゃない? ライバルいるんだ。かっこいいね」
「ああ! オレと同じくらい強くて、ポケモンとのコンビネーションもばっちりで……!」

自分の悩みはどこへやら。次から次へとライバルのことを楽し気に話す彼は、この一時だけでも悩みから解放されているようだ。その姿があまりにも妹と重なっていて、ホップの明るい表情とは裏腹にまふゆの心は湿っていく。
けれど話を止めることはしない。窓の外、雲が消えるまで、まふゆは彼の話を聞き続けた。

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