「まふゆ選手、お預かりしていたポケモンたちは元気になりましたよ」
「ありがとうございます」
ジムチャレンジ期間のみスタジアムに駐在しているジョーイからボールを受け取る。広い控室ならいいか、とポケモンたちを出せば、全員がまふゆに向かって飛びついてきた。
「わっ、危ないよ」
キュウコンに押し倒された身体をゴルーグとサザンドラが支える。そしてズルズキンが引き離した。その一連の光景にじんわりと胸が暖かくなったのは言うまでもない。全員がまふゆの――いや、自分たちの勝利を喜んでいる。この4匹と手に入れたのだ。
「みんなありがとう。お疲れ様」
そうだ、とカメラを取り出す。まふゆはジム戦終わりには必ずポケモンたちのことを撮影していた。それは記念も込めて、いつもジムの前で撮っている。
「せっかくだから今回はここでみんなで撮ろうか。ちょっと味気ないかもしれないけど、なんだかすぐに撮りたくて。今日はわたしも入っていい?」
もちろんだ、とばかりにポケモンたちは答える。そもそも最初から彼女も入ればいいと思っていたのは、彼らだけの秘密だ。
「三脚は無いから、どこかおいてセルフタイマーで……」
「オレさまが撮ってやろうか?」
聞きなれた声、しかし唐突に訪れたそれに、まふゆは「ひえっ」と飛び上がる。心臓がきゅっと縮んだ。
「き、キバナさん」
「ノックはしたぜ? 一応」
「すみません、気づきませんでした」
跳ねる鼓動を抑え、「じゃあお言葉に甘えていいですか?」とカメラを渡して軽く説明する。
「ここ押せばいいので」
「りょーかい」
撮られる側に慣れていないまふゆは少し前髪を整えてから、ポケモンたちと並んだ。数枚ほどキバナは写真を撮ると「他人のカメラって緊張するなー」と笑う。
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
さすが普段自撮りでなれていることもあるのだろう。キバナの撮影は問題無さそうだ。覗き込んでくるゴルーグにも見せる。彼は「まだまだだな」と辛口の評価をするかのように、身体を発光させた。
キバナはそれを見て「手厳しいな」と笑う。
「あの、キバナさんなにかご用事が?」
「ああ、まあな。——まずは最高のバトルをありがとな」
差し出された手をまふゆは握り返した。フィールドでしたのとはまた違った意味を持つ握手。彼の体温がじんわりと伝わり、少し胸がうずく。
「みんなのおかげです。それと……キバナさんが相手だったから」
「オレ?」
「はい。あんなに『勝ちたい』って思ったバトルは今まで無くて。……初めてがキバナさんでよかったです」
「——それは光栄だな」
キバナは触れていたまふゆの指先を引き寄せ、優しくキスを落とす。その甘い感触に、少女が息を飲んだ音が響いた。すぐさま手を振り払いポケモンの後ろに逃げるが、みるみるうちに赤くなる頬は隠しきれていない。その様子を見て、キバナはケラケラと笑う。
「お前、わかりやすくなったな。だいぶ」
「なにがですか?」
「ナイショ」
実際のところ言うほどまふゆの表情は豊かではない。しかし徐々にその氷は溶けているようで、キバナとしては微笑ましいやら寂しいやら複雑な気持ちだ。だからさきほどのキスは少しの意地悪。彼女の表情を最初に見ることができるのは、自分がいいというわがままである。
とはいえ、スキンシップになれていないまふゆには刺激が強かったようで、すっかり警戒心が現れてしまっている。加えてそんな彼女の様子を見て「こいついいやつだと思っていたけど、実は危険人物なのか?」という視線が彼女のポケモンたちからキバナに注がれるものだから、いたたまれない。
「まふゆちゃーん、キバナさまはこわくないぞー。おいでー」
「わたしはチョロネコでもワンパチでもありませんっ。さっきの感動ムードはどこにいったんですかっ」
「そういやこの前聞き忘れていたが、そのマウンテンパーカーどうしたんだ?」
「いただいたんです。あの時の撮影をお手伝いしたオーナーさんから」
「はぁ!? アイツから!? いつ会ったんだよ!?」
「この前お会いした時の直前ですよ。エンジンシティイメージなんです」
「そこはナックルの着ろよ」
「えぇ……なぜ……?」
バトルの時とは正反対の軽い口喧嘩を繰り返す。そんな2人の間を割るように、ノック音が響いた。さすがに口をつぐみ、顔を見合わせてから「どうぞ」とまふゆは声をかける。
「やあ、まふゆくん! 素晴らしい試合だったね!」
ドアから飛び込んできたのはローズだった。
彼はまっすぐまふゆに向かおうとするが、先客に気づき彼にもにこりと笑いかける。
「おや、キバナくんもいたんですか!」
「どうも、ローズ委員長」
秘書のオリーヴを連れたローズはキバナには軽く挨拶をしたのち、すぐさままふゆへ賞賛の言葉を浴びせる。
「これほどまでにドラマチックな展開はなかなかお目にかかれない。本当にいい試合でした! それにダイマックスも素晴らしかった」
「あ、ありがとうございます。ダイマックスはなんで今回はできたのかもわからなくて」
「いまだに謎の多い現象ですからね。——ダイマックスしたズルズキンのステータスを見ても?」
「は、はい」
スマートフォンを取り出し、登録してあるズルズキンのステータスを表示させる。それをローズに渡せば彼は「ふぅむ」と唸った。
「——なるほど、そういうことでしたか」
「なにかありましたか……?」
「いえ。よく育っているのだと感心したもので。まふゆくんはこの後トーナメントに?」
言われて気づく。このあとセミファイナルトーナメントがあるのだった。ドラゴンバッジを手にしたまふゆはエントリーの資格がある。ただ、彼女の旅はガラルを巡ること。それはこのナックルシティにたどり着くことで叶ってしまっている。トーナメント参加は強制ではない。ここで旅を終えるトレーナーもいる。
しかし、まふゆの心は決まっていた。
「はい、トーナメント出ます」
バトルをしてみたいと素直に思う。今までは生きるためのバトルだった。バトルマネー目当ての。しかし今日の試合を通して、ポケモンたちとの絆を感じられるバトルが楽しいと感じるようになれた。
「それに、と、友達も、トーナメントに出ると思うのでみんなとも戦いたいですし、なにより勝ち上がればまたキバナさんとも戦えますよね?」
その言葉を聞いて、キバナは「上等」と愉快そうに口角をあげるのだった。
***
電車に乗ってたどり着くシュートシティ。何度か訪れているとはいえ、都会の喧騒は少し疲れてしまう。
お世話になったブティックを訪ねたが店主はあいにくと留守とのことで、時間ができてしまった。スタジアムにエントリーしに行ってもいいが、もう夕方だから明日でもいいだろう。
ここに向かう途中カブにもトーナメントに出ることを伝えていた。彼はナックルジムの試合を見ていたようでまふゆの健闘を讃えつつ「ファイナルトーナメントでは負けないよ」とライバル宣言までしてくれた。そのこともあって、今、少女は気分が高揚している。つまり、このまま宿に行くのはもったいない気がしてしまったのだ。
地図を見て悩んだ結果、ローズタワーへ行くことにした。ローズ自身のことは苦手だけれど、この街の目玉の1つでもあるので見て損はないと考えたのだ。今までは興味が無く、スルーしていたことも理由である。
「お、大きい……」
これこそまさに高層ビル。いや、高層タワー。間近で見るとその高さに圧倒される。いわゆるビジネスフロアのタワーなので、中には入れないのだろうか。そんなこと考えていると、そばにいたジムスタッフ声をかけられた。
「まふゆ選手ですよね? よかったら中を見学されますか?」
「いいんですか?」
「はい。ジムチャレンジャーのみなさんは見学許可が委員長から降りていますので、よろしければ」
ならお言葉に甘えてしまおう。よろしくお願いします、と頭を下げスタッフのうしろをついていく。
それが最後に目撃された自身の姿になることを、その時のまふゆは思ってもいなかった。
セミファイナルトーナメント控え室。ユウリは対戦表を見て、目を疑う。
「まふゆの名前が無い……」
彼女が劇的なバトルでキバナを倒したことは広く知られている。今大会のベストバウトであったと評価する声も多い。てっきり、まふゆもトーナメントにエントリーすると思っていたのだ。彼女とバトルができると楽しみにしていたのに――。
「ユウリ!」
「ホップ、どうしたの? そんな慌てて……」
チャレンジャーユニフォームに身を包んだライバルが駆けてくる。息を整えた彼はユウリの手にしている用紙を気づく。
「対戦見たか? てっきりオレの相手はまふゆだと思っていたんだぞ……」
「私もそう思っていた。でも、エントリーしなかったのかな?」
「オレもまふゆにそのことで話を聞こうとしてスマホ見たら、これが」
ホップのロトムスマホには1通のメッセージが入っていた。差出人はまふゆだ。
「『帰ります。いい試合をしてね』? どういう意味?」
「わからないんだぞ。しかもこれ、一斉送信のメッセージだ」
慌ててユウリも「ロトム!」とスマホロトムを呼ぶ。ぴょこんとバッグから飛び出た画面を確認すれば確かに同じ内容のメッセージがまふゆからきていた。なにより引っかかるのはその文面。
「『帰ります』って……?」
ユウリから零れた疑問にホップは「もしかして」と呟く。
「前にまふゆ、言っていたんだ。『自分は遠いところからきた』って」
「その『遠いところ』へ帰ったってこと? このタイミングで?」
「そうとしか考えられないんだぞ……」
疑問は尽きない。だが、この文面を信じるのならば、まふゆは『遠いところ』へ望んで帰っていったということになる。
「元気ならいいけど、さよならぐらいは言いたかったな……」
ユウリの言葉に、ホップも頷いた。でもまふゆが何も言わずにいなくなってしまうのだろうか? 彼女はそういう性格だっただろうか? 引っかかりが見つかれば、どうして? という疑問が渦巻いてくる。
「あー! だめだ!」
ホップは自分の頬を勢いよく叩き、頭を振る。わきあがる感情を追い出すかのように。
「ユウリ、まずはトーナメントに集中! 全部終わったら、まふゆに連絡とってみよう!」
「そうだね。まずはトーナメント! 負けないよ、ホップ!」
「それはこっちのセリフなんだぞ! まずは1回戦、頑張ろうな!」
おー! と拳を突き上げ、気合を入れる。セミファイナルトーナメントはもうすぐ開幕だ。
電話口の先の言葉を聞いてキバナは息を飲む。やっぱり、と声が漏れた。
「カブさんにもそのメッセージが?」
『ああ。まふゆから『帰ります。いい試合をしてね』と一言だけね』
キバナにも、そしてカブにもユウリたちと同じメッセージが同時刻届き、それを目にした瞬間、キバナはカブに電話をかけ、何か知らないかと連絡を取ったのだ。(まふゆはカブにキバナも自身の事情を知っていると伝えていたらしく、幸か不幸かお互いの認識はすんなりと擦り合わせることができた)
「まったく同じ文面か……。トーナメントにエントリーも無いですよね?」
『ローズ委員長にも確認したけれど、セミファイナルトーナメント参加者の中にまふゆの名前はないよ』
「…………」
キバナはらしくもなく胸がざわついていた。こんなぶっきらぼうなメッセージだけ残されて「そうか帰ったのか」とは思えなかった。あの時、自分に挑みたいと言った言葉と瞳。あれを無視することはできない。
なにより彼女の性格上、こういうことは直接言いに来ると思っていたのだ。だからこのメッセージには違和感しか覚えない。
「カブさんは本当にまふゆが帰ったって思います?」
『——そうだったらいいな、とは思うけれどね』
そして、カブもまたこのメッセージの内容を信じきれていないようだった。
「カブさん、オレ……」
『キバナくん。一度まふゆのことは忘れなさい』
「っ!? カブさん」
何を言って! と言いかけた青年の言葉を、彼女の保護者であり、先輩トレーナーとして遮る。
『君があの子のことにそこまで心を砕いてくれていたことに、ぼくはとても嬉しいよ。感謝している。だからこそ、一度忘れなさい』
カブは言葉を続ける。自分たちにはファイナルトーナメントがあり、この内容や結果次第ではマイナーリーグに降格もありうるのだ。いわゆる生活がかかっている≠ニいえる。
『もしまふゆが自身のせいで、ぼくたちのバトルに支障が出たと知ったら』
「悲しむでしょうね。いや、自分を責めますかね」
『そう。だから一度忘れなさい。まふゆは無事、元の世界へ帰れたと信じよう。お互いにね』
キバナは何か言いたげに口を開き、言葉を飲み込む。カブの言葉はキバナではなくカブ自身に向けられていると気づいたからだ。彼女のことが心配でたまらないのはキバナだけではない。彼のまふゆへの想いはキバナ以上だろう。
『トーナメントが終わったら、本格的に彼女の足取りを調べよう。最後に目撃されたのはローズタワー付近ということだからね』
「……ポケモンたちは? 本人が帰ったとしたら、ポケモンたちはどこへ?」
『それもわからないんだ。一応捜索届は出しているけれど……それらしきポケモンくんたちは見つかっていないね』
「なにかわかったらオレにも教えてくれませんか? ポケモンたちはオレが引き取ります」
『……わかった。なにかわかったら連絡しよう。——それでは、ファイナルトーナメントで』
「ええ。ファイナルトーナメントで」
終了ボタンを押すと、電子音の後に通話は切れた。
忘れろ、とカブは言った。確かにこの大一番の局面で、バトル以外の雑念は頭にあってはいけない。
画像欄から、前にこっそりと隠し撮ったワンピース姿のまふゆの写真を開く。その写真を『削除』しようと親指を動かした。しかし、最後の操作を彼はできなかった。
「忘れることなんざできるかよ! 惚れてんだぞ、お前に……!」
行き場のない衝動は拳を壁に打ち付けることで、発散する。バトルは手を抜かない。当たり前のことだ。ダンデに勝つのは自分。あの王者に敗北を味わわせるのは己だ。
勝利も、この感情も絶対に奪わせない。誰にも。
「楽勝だろ、ドラゴンストーム・キバナ!」
己を奮い立たせる言葉を叫び、最強のジムリーダーはスタジアムへ向かっていった。