24

霞む視界。ぼんやりとした思考回路。消毒液の冷たい匂いが鼻につく。それらが、ようやく目を覚ましたまふゆが感じた全てだ。最後の記憶を思い出す。たしか、ローズタワーを見学しようとスタッフの後ろをついて――だめだ。そこから途切れ途切れにしか、残っていない。
 
しばらく呆けていたが、徐々に意識が安定してくる。どうやら自分はリクライニングチェアのようなものに座らされているらしい。元の世界における『献血ルーム』に置いてあるような医療用の椅子だ。現に左腕から採血されているらしく、赤く色づいた管がどこかへ繋がっている。勝手に引き抜くのは……さすがにやめておこう。知識が無い人間が手を出していいものじゃない。

ともかく自分は誰かに拉致されたのだろう、と結論を出す。でなければ、こんな状況には陥っていない。
他になにか手掛かりはないかと見渡すと、サイドテーブルに自分のバッグがあった。その横にはポケモンたちの入ったボールが並べられている。

「みんな……っ」
 
ボールから勝手に出てこないようにするためか、それぞれバンドのようなもので封がされていた。中のポケモンたちは無事なようで、彼女が目を覚ましたことに気がつくと、中から出てようとして必死にボールを揺らす。
まふゆは身を乗り出し、必死に手を伸ばした。テーブルが右手側にあってよかった。こちらはまだ比較的自由に動ける。可能な限り身体を寄せ、わずかに指先が引っかかったそれを闇雲に動かした。
幸運なことに1つのボールがテーブルから転げ落ちる。その衝撃でバンドも緩み、中からポケモンが飛び出してきた。その巨体を見上げ、まふゆは言った。

「ゴルーグ、みんなを連れて逃げて」
 
彼は嫌だと首を振る。逃げるなら。全員で、まふゆも一緒にと。

「お願い、言うことを、聞いて」
 
乾いた喉に声がひりつく。わずかな唾液でくちびるを舐め、ゆっくりと、しかし簡潔に伝えようと口を開く。
おそらく犯人の目的は自分だけだ。さらに言うなら血液採取が狙いなのだろう。そうでないと、こんな無造作にモンスターボールを置いたままにしない。だからボールが消えてしまっても、きっと相手は気にかけないだろう。

「本当はね、わたしも一緒に逃げたいんだけど、身体が言うこと聞かないの」
 
血を抜かれているせいか、それとも別の要因か――倦怠感が激しい。加えて頭痛や吐き気も襲ってくる。これでは一人で経つこともままならない。足手まといだと、自身がわかっている。

「わたし、みんなには無事でいてほしいの。――お別れのかたちがちょっと変わるだけだよ」
 
自分はこれからどうなるかわからない。けれどポケモンたちだけでも、とまふゆは願う。さよならの時間が早まっただけだ。出会ったときから、この別れは決められていたのだから。

「ゴルーグなら、姿を、消すことができるよね。だから、みんなのボールを、もって……にげ、て……」
 
そう言い残して、再び意識を落とす。くたりと脱力した彼女の顔は真っ青だ。体力が尽きたのだろう。
まふゆの言葉を逡巡し、ゴルーグは仲間たちのボールを見つめた。それは問いではなく、確認だった。そして残された仲間たちも同じことを考えていた。
自分たちだけ逃げるなんてありえない。いつか来るお別れをお互いに理解して、覚悟していた。でもそれはこんな形ではないし、少なくともまふゆが笑顔にならなくては意味が無い。
 
まふゆがポケモンたちの幸せを願うように、ポケモンたちもまたまふゆの幸せを願っていた。

ゴルーグはまず自身の入っていたボールを元の場所に置く。いなくなったことに気づかれないように。続いてまふゆのバッグからカメラを取り出し、部屋の中を撮影する。最後に彼女を撮って、助けを求めるため姿を消した。言葉が通じなくとも、写真を見せればきっと人間に伝わると信じて。
 
ゴルーグと入れ替わりに、何人かの人間が部屋に入ってきた。白衣を着た研究員も中にはいる。彼らはまふゆが意識を取り戻して身体を動かしたことには気づいたが、ゴルーグがいなくなったことには気づいていないようだ。残されたポケモンたちはほっと息を吐く。

「そろそろ十分な量を取れましたかね」
「はい。問題ないかと。これ以上は失血死の恐れもあります」
「それはよくない。実によくない。まふゆくんを殺したいわけではないからね」
 
その言葉に頷いて、研究員は少女の腕から管を抜き、止血を行う。代わりに栄養剤を注射した。

「しばらくしたら身体を動かせるほどには回復するかと。落ち着いたら例の場所へ向かわせても問題ないと思われます、ローズ委員長」
 
その名を聞いて、ズルズキンのボールが揺れる。まさか、リーグトップの名前がここで出るなんて思わなかったのだ。
それを一瞥し、ローズは言葉を続ける。

「そうだね。そうしましょう。彼女にムゲンダイナを制御してもらいたいが――可能性は低そうですから。ただ、0%ではないというのが悩ましいところですね……しかし、やはりダンデくんが最適かな」
 
まふゆの状態をいくつか確認し、彼らは部屋を出ていく。彼女の顔色は先ほどよりもよくなってはいたが、未だに青白く血の気は戻らないでいた。


***


「ここまできたんだ……」
 
震える声。いよいよチャンピオンとのバトルだ。緊張しないわけがない。ユウリは頭を振ってそれを逃がし、深呼吸を繰り返す。

「こういう時は違うことを考えよう! えーっと、キャンプしたいな! あとカフェに行ってパフェ食べたい! マリィとまふゆを誘って、一緒にぱ……ふぇ……」
 
はたと気づく。そうだ、もうまふゆはいないのだ。ずきりと心が痛んだ。セミファイナルトーナメントの終わり、マリィに尋ねると彼女にも同じくメッセージが届いていた。一言一句違わぬ文面が。やはりまふゆは『遠いところ』へ帰ってしまったのだろうか。

「よしっ!」
 
ぐっと拳を握り、力を籠める。ここでダンデに勝てばニュースになるだろう。無敗のチャンピオンを倒した、ジムチャレンジャー。そんな見出しが思い浮かぶ。
そうすれば『遠いところ』にいるまふゆにも報せが届くかもしれない。もしかしたら、連絡が取れるかも。そうでなくとも、たくさんの人が応援してくれている。ここまで頑張ってくれたポケモンたちのためにも、勝利を掴みたい。

「がんばるぞ、おー!」
 
気合の発声を響かせ、ユウリはフィールドへ駆けていく。
そこにはダンデが腕を組み、待ち構えていた。彼の言葉を聞き、ユウリの背筋に吐き出したはずの緊張感が身体中に再び走る。しかし、それはいやなものではなく、むしろ心地いい。高揚感に包まれているのだと感じた。
ダンデはそんなユウリを見据え、高らかに叫んだ。

「これまでに得た経験、知識で、キミたちの全てを打ち砕くぜ!」
「私も、負けません!」
 
ポケモントレーナー、目と目が合ったらポケモン勝負。どの世界でも共通の、バトルの合図。
お互いの指がボールに触れようとした瞬間、突然の悲鳴がそれを阻んだ。

「ちょっと待って!」

じわじわとその異変は広がっていく「おい! モニターを見ろよ!」という声が響き、ユウリとダンデもつられてモニターに視線を向ける。

『ヤッホー! ダンデくんにユウリくん』
 
一面に映るローズ。急な展開に目を丸くするユウリとは反対に何かを察したダンデが息をのむ。ローズはユウリも観客も――この試合を見ている全てを置いてけぼりにしながら、淡々と話を続けた。
ガラルの未来を守るためにブラックナイトを引き起こそうとしていること。そのエネルギーが暴走していて危険なこと。それは各地に起きていること。

映し出された街の様子に会場中から悲鳴が聞こえた。
自分の家族が、大切な人がその異変に巻き込まれているのかもしれない。そんな恐怖で人々はパニックになる。しかしユウリは違った意味で声をあげることとなった。

「まふゆ……?」

ローズの背後に一瞬だけ、彼女の着ていたワインレッドのパーカーが映った気がしたのだ。



その映像をシュートシティの控え室で、キバナとカブも目にし、同時に「まふゆ!」と叫んだ。

「カブさん今の……!」
「ああ。まふゆだ」

途端にピースがはまる。まふゆはローズの企みに巻き込まれたのだ。しかし、キバナの前でトーナメントに出ると宣言した以上、姿がないと怪しまれる。そのために、あの釈然としないメッセージを彼女の関係者に送り、無理矢理にでも「まふゆがいない」という納得せざるを得ない状況を作り出した。
彼女が異世界からやってきたことを知るローズだからできた、少々乱暴ながらも説得力のある理由。
怒りと絶望、それと少しの安堵。さまざまな感情を身の内に滾らせる若きトレーナーに、カブは声をかけた。

「——キバナくん。街へ戻ろう」
「カブさん……」
 
どうして、と瞳が訴えてくる。本当はカブだって今すぐまふゆの元へ駆けつけたい。心配でたまらないのはキバナだけではない。
まふゆはカブの家族だ。血は繋がっていなくても、大切な一人娘に違いない。――だからこそ、今の自分は「父親」らしく、彼女の望むことをしなければいけないと理解していた。

「ぼくらはこれからそれぞれの街に戻らなければならない。住民の避難をしなくては。街を守るのもぼくらジムリーダーの務めだ」
 
それはキバナも同じだ。特にナックルはあの街並みだ。崩壊なんて今まで起きたことはないが、この規模の災害も同様に起きたことはない。

「おそらく委員長の元にはダンデが向かっているだろう。ぼくらは今やるべきことをしよう。でないと、ほら」
「……まふゆに怒られますからね」
「うん、そうだね」
 
まふゆなら「まずは街の避難をしてください」と、あの冷静な表情で非難するだろう。自分を優先しただなんて知ったら、それこそ二度と口を利いてもらえないかもしれない。
その光景を浮かべ、2人は少しだけ笑った。そうしてすぐさま真剣な表情へ戻る。

「まふゆがこっちで保護できたらすぐにカブさんにも連絡します」
「うん。よろしく頼むよ」
 
そうして2人のジムリーダーはそれぞれの街へ向かった。いつもは鮮やかで美しいガラルの空は、黒く紅く染まりつつある。

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