「そう。他でもない、まふゆくんをこの世界に喚んだのはわたくしなのですよ」
時が止まった気がした。しん、とした静寂が辺りを包む。ホップのようやく絞り出したであろう「……どういう意味なんだ?」という問いにローズは答える。その口調も声音も、先ほどと変わらない。
「あなた方はアローラ地方を知っていますか?」
「南国の諸島だな。この前ポケモンリーグが発足したばかりの」
「ええ。そうです。ではそのアローラでウルトラホール≠ニいう研究がなされているのは?」
さすがにキバナも黙った。耳にしたことはあるが、詳細まではわからない。論文も読んだのはさわりの部分のみ。ローズはそれを察し、説明を始めた。
ウルトラホール=c…それはアローラ地方で研究されているウルトラスペース≠ニ呼ばれる異次元とこちらの世界を繋ぐ入口のことである。加えてウルトラスペース≠ノはウルトラビースト≠ニいう特殊な成長を遂げたポケモンがいるという。以前から、未知なるポケモンであるムゲンダイナを目覚めさせようとしていたローズがその研究を見逃すはずが無かった。論文や資料を取り寄せ、アローラのチームから研究員を引き抜き、そして己の財力と技術によってウルトラホール≠疑似発生させる装置を作り上げた。
「実験をしてみたのですが、結果は失敗。何も起きることが無く、やはりムゲンダイナはねがいぼし≠ナしか蘇らないと結論がでたのですが――」
しかし、ローズの知らないところでその実験は違う形で成功していたのだ。それがまふゆという少女そのものである。
彼女の身の上話を聞き、ローズはまっさきにこの研究を思い出した。あの日ぶりに装置を起動し確認すれば、まふゆがこちらにやってきた日と実験を行った日は同日。しかも、ホール発生の座標を再計算すれば、ガラル地方ではなくイッシュ地方の座標が設定されていたことが判明した。
「なのでわたくしは考えたのです。まふゆくんはこの実験によりこの世界へ訪れた。その実験にはムゲンダイナのデータを入力してある。――それにより、なにか彼女にムゲンダイナとの繋がりが生まれたのではないか、とね」
それを見つけるべく彼はジムチャレンジを勧め、ダイマックスバンドを渡した。ガラル粒子が彼女にどう影響を与えるか調査するために。だが、まふゆはダイマックスができなかった。あの時までは――
「ナックルジムでの試合。素晴らしかったですね。キバナくんなら気づいたでしょう。あのダイマックスの違和感に」
「……ああ」
「違和感、ですか?」
ユウリは2人の試合を思い出す。特におかしいところはなかったように思える。しかし、キバナはあの時バトルしたトレーナーとして、そしてジムリーダーとして違和感を覚えていた。
「――ズルズキンが強すぎた。あの時、オレの見立てではジュラルドンの最初の一撃で落ちる状態だった」
それなのにズルズキンは耐えた。それどころか、ジュラルドンに大きなダメージを与えている。
「そこです」
ローズは楽しそうに微笑んだ。
「あのズルズキンは強すぎた。もともとよく育てられているとは思いましたが、あの時の彼はあまりにもそれが顕著だった。ご存じの通り、ダイマックスした際は体力などが増幅します。しかし、それはダイマックスレベルに依存するもの。イッシュ地方からやってきたズルズキンでは限度があります。わたくしもステータスを確認しましたが、やはりあれはおかしい」
そして確信する。ズルズキンのダイマックスには、別の力が絡んでいると。そこからは芋づる式に謎が解けていった。
なぜナックルジムでダイマックスができたのか。それは地下にムゲンダイナが眠っているから。
なぜ破格の力を手に入れられたのか。それはまふゆがムゲンダイナと繋がりを得ているから。答えは単純で、簡単なこと。
その話を聞いて、まふゆも腑に落ちたことがあった。ナックルシティに来るたびに起きていた体調不良。あれは目覚めつつあったムゲンダイナに影響されていたのだろう、と。
「ムゲンダイナがまふゆくんに力を与えているのなら、逆もしかり。お互いに影響し合うと考えたわけです」
「だからまふゆを拉致したのか……!」
「ええ。ローズタワーの近くにいたのですんなりと」
まふゆを捕らえ、ムゲンダイナのパワーを帯びたねがいぼし≠ナ実験を始めた。当初より可能性の高かった血液がもっとも反応がよいことがわかり、彼女からできる限りの血液を採取する。それを残りのねがいぼし≠ヨ与えた。
「おかげでねがいぼし≠フ力は増幅し、ムゲンダイナはさらなる力を得ました。本来ならば、まふゆくんに制御してもらいたかったのですが――やはり目覚めたムゲンダイナは君には毒のようですね」
はぁ、と至極残念そうにローズは肩を落とす。そしてボールを取り出した。
「さて、長い種明かしも終わりです。あなたたちにはここで退場していただきましょうか。ガラルの未来を守る計画を邪魔するなんて、もってのほかなんですよ!」
「っ、くるぞ、ユウリ!」
ホップの声にユウリは一歩踏み出す。それを合図に、ガラルの未来を賭けたポケモンバトルが始まった。
その様子を眺めながら、まふゆは明かされた真実を消化しきれないでいる。ふらふらの頭に、ぐるぐるといろいろなものが渦巻いて、どうにかなってしまいそうだ。
「わたし、あるんだって思ってた」
ぽつりと声が漏れた。
「この世界に来た理由があるんだって、ずっと」
魔王を倒す勇者とか、世界を救う魔法使いとか、そういうのではなくていい。ただごくごくありふれた、でも特別な『理由』があると心のどこかで信じていた。けれど、そんなのはなかった。しかもあろうことか、自分のせいでガラルは危機に瀕している。生きるために選んだ道は間違いだった。これなら来ないほうがよかったのだ。ガラルにも、この世界にも。
自分はいつだって『迷子』から抜け出せない。
「ごめんなさい、わたしがガラルに来たせいで、こんなことになっちゃった……。ごめんなさい、ごめんなさい。ガラルに来ちゃ、いけなかっ、た……!」
ぼろぼろと涙がこぼれる。嗚咽で喉が痛い。うわごとのように「ごめんなさい」を繰り返す少女の耳もとにキバナは静かに言葉を落とす。
「オレはお前に会えてよかった。この世界に、ガラルに、まふゆがいてくれてよかった」
「…………」
「だってそうだろ。お前がこの世界に来てくれなきゃ、オレはずっとまふゆに出会うことなんてできなかった。『理由』なんて、なくたっていい。必要ない。お前がここにいる。それだけでいいんだ」
キバナの声がまふゆの視界に色をつけていく。甘くあたたかいそれはこの世でたった1人の『まふゆ』に向けられたものに他ならなかった。
「オレだけじゃない。カブさんだってそうだ。ユウリもホップも、ネズの妹も、友達なんだろ? お前に会えてよかったって思っている。キュウコンも会えてよかったって、ガラルに来てくれてありがとうって言うだろうよ。それだけじゃない。まふゆがこの世界に来なきゃ、ズルズキンもゴルーグもサザンドラも――こうして旅をすることはなかっただろうぜ」
お前は? とキバナは問いかける。お前は会えてよかったか? ポケモンたちに、みんなに、オレに。
卑怯だ、とまふゆは思う。そんなの答えは1つしかない。なのに訊いてくるなんて、キバナはいじわるだ。
「よかった、です……! 会えてよかった、みんなに、キバナさんに会えて、わたし、よかった……!」
その言葉を聞いて、キバナはまふゆを抱きしめる力を強める。ここにいるんだと、ここで生きているんだと伝えるように。
まふゆもまた、その腕のぬくもりに今までの旅を思い出す。はじめて作った薄いカレーの味。カブという帰る場所ができたこと。友達との出会い。写真の腕を認めてくれた人たち。負けたくないと強く感じたキバナとのバトル。
ガラルだけじゃない。イッシュのことだって覚えている。手を差し伸べてくれたジョーイとクダリ。指示を飛ばすトレーナーと、それを受け生き生きと戦うパートナー。
ドット絵じゃない『本物』の世界で、まふゆは今日までずっと生きている。
全部、出会えてよかったものだ。大変なこともしんどいことも辛いことだってあって、全てが輝いているわけではないけれど、尊いものだってたくさんあった。
帰りたいと思うこともあった。どうしてと恨んだこともあった。でもそんなのはもう掠れて消えている。とっくにこの世界のことを、好きになって、大切になっていた。守りたいと思えるほどに。
「キバナさん、わたし、この世界のこと、好きです。だいすき、ですっ!」
「ああ。ありがとな、好きになってくれて」
泣いて目を赤くした少女にキバナはやわらかく微笑んだ。
「まふゆ!」
いつの間にか決戦のバトルは終わったようで、勝利はユウリのものとなったらしい。
顔をあげればこちらに駆けてくる姿が見える。まふゆが手を伸ばすと、その手を取り「助けるの遅くなってごめんね!」と彼女の友人は顔をゆがめた。首を振ってそれを否定する。
「タイミングばっちり。ヒーローみたいだったもん、ユウリ」
「まふゆ……」
「そんな顔しないで。本当に格好よかったんだから。―それよりもムゲンダイナとダンデさんのところに行くんでしょ?」
「うん」
「わたしが行けたらいいんだけど、こんな状態だから……」
さきほどのローズの話ではまふゆとムゲンダイナは互いに影響する。ならば、自分が行けばムゲンダイナの制御にプラスに働くのではないかと考えるのも自然なことだった。しかし、まふゆはぼろぼろ。1人で立つこともままならない。これでは邪魔なだけだ。
「これ、何かの役に立つかも。持って行って」
右手首、巻かれたダイマックスバンドをユウリに見せる。唯一使えたダイマックスはムゲンダイナの影響があったというのがローズの見解だ。ならば、このバンドは彼のポケモンと一瞬だけでも繋がったと言える。多少は役立つかもしれない。
まふゆはバンドを外し、流しっぱなしの涙をねがいぼし≠ノ零した。血と涙はほぼ同一の成分だと聞いたことがある。血そのものではないが、何かしら効果があるはずだ。
「それにこれね、わたしのお守りなの。だから、きっとユウリとホップのことも守ってくれるよ」
「まふゆ……」
ユウリは一度瞼を閉じ、深呼吸ののち開く。もう揺れるものはない。全ての覚悟が決まった瞳を見て、まふゆは彼女にバンドを渡した。
「ユウリ、わたしは一緒に行けないけれど、ガラルを守りたいの。このねがい≠燔Aれ行ってくれるかな」
「わかった。——ねえ、戻ったらパフェ食べに行こ。マリィやホップと一緒に。あとね、ビートも誘おうと思うんだ。紹介するね。きっと嫌な顔しながらだけど、着いてきてくれるよ」
「うん。約束」
「楽しみにしてるからね! キバナさん、まふゆをお願いします」
「ああ。お前らも気をつけろよ」
「はい。行こう、ホップ!」
小さなヒーローたちが駆けていく背中を見送り、キバナはなるべく揺らさぬよう慎重にまふゆを横抱きにする。
抵抗する気は無い。しかし、この状況はもしかして、とも気づいた。
「おひめさまだっこだ……」
「何か言ったか?」
「いえ、絵になるなぁって」
誤魔化す彼女の頬は先ほどよりも赤みが増えているが、まだ体調が悪そうだ。早く医者に見せたほうがいい。もしくはナックルシティから離れないといけないだろう。キバナは「上へ戻るぞ」と声をかけ、歩き出す。
「キバナさん、少し眠いです。寝てもいいですか?」
「――ああ、休んどけ。目が覚めたら全部終わってる」
「そうですね。あの2人なら、きっと、だいじょ……ぶ……」
寝ていいと言ったものの、いざ小さくなる声に心臓が嫌な音を立てたが、そのうち彼女らしい控えめな寝息が聞こえてきたのでほっとする。
「ロトム、カブさんに連絡してくれ。あと医者の手配が必要なことも」
ポケットから飛び出たロトムが指示通りカブへ電話をつなげる。その電子音を聞きながら、キバナは少女をしっかりと抱きしめ、地上を目指すのだった。