27


そこは真っ暗で、ただただ闇が広がっている。頭上にぽつんと白い光があるぐらいだ。
まふゆはすぐさまここが夢の中なのだと気づいた。本当に暗闇しか無いのなら、自分の身体だって認識できない。なのに、まふゆは自分の手も、足も、確認できた。頭上に光源があるとはいえ、距離もあるしなにより弱すぎる。

「あ、でも夢の中とは限らないか……」
 
なにせ夢だと思っていた世界は今や少女の現実だ。一応慎重に行動していこう。まずは果てのない空間を、とりあえず歩いてみる。
視界に変化はない。次に左へ曲がってみたり右に曲がってみたり、戻ってみたり、また曲がってみたり。しかし、なにも起こらない。頭上にある1つの光だけがまふゆを見守っている。

「まるで北極星みたい」

動かない星。旅人が方角を知るときの目印になる輝き。迷うことがないように、と道を示すそれをあの光に重ねる。
この空間に北があるかはわからないけれど、今度はあれを目指して歩いてみよう。

「帰れるかな……」

つい漏らした弱音。それは誰にも拾われることなく消えるはずだった。

「どこに帰るの?」

瞬間、目の前に現れたのはまふゆ自身だった。にこりと笑うもう1人の自分に、後退る。一歩後ろに下がると、もう1人のまふゆも一歩近づいた。

「どこに帰るの?」
 
再びの問い。まふゆは答えることなく、逆に探るように「どういう意味?」と質問を重ねる。

「帰る場所、選べるわ。あなたは」
「え?」
 
もう一人の自分はふわりと笑った。

「あなたの生まれた世界か、今生きている世界か。どっちがいいかしら?」

突き付けられた選択にまふゆは息をのむ。帰れるのか、元の世界に。ここで選べば。
少し前の自分なら『元の世界』と答えていた。でも今は違う。『あの世界』が好きだ。だから、迷いが生まれる。
きっと「帰りなさい」とあの世界の人たちなら言ってくれるだろう。手持ちたちも覚悟していてくれている。なら帰ることが彼らへの恩返しになるのでは?

どのくらい経っただろう。納得のいくまで考え――答えが決まる。この選択を、自分は後悔しないと断言できるほどに、悩み抜いて得た答えだ。
ごめんなさい、と心の中で呟く。そして「さようなら」も。今までの全てに感謝を。そしてこれからの自分を見守っていてほしいという身勝手な願いを、こめて。
まふゆは答えを出した。

「あの子たち――ポケモンたちがいる世界に帰ります」
「いいの?」
「はい。だってわたし、もうとっくにあの世界が好きですから。それに……やっぱりまだあると思うんです。わたしがあの世界に喚ばれた『理由』や『意味』が。見つけたいです、それを」
 
ただ1つ不安なことがあった。元の世界で家族は自分を探していないかということ。「行方不明」として心配をかけているのではないかとずっと気にしていた。
その問いにもう一人のまふゆは「心配は杞憂だ」と答える。『向こうの世界』を選ぶのなら『元の世界』でのまふゆ≠ニいう存在は消え、「最初からいなかったことになる」というのだ。それはそれで寂しさもあるが、自分が今まで家族とともに過ごした思い出は消えない。「まふゆ」という存在を形作ったのは他でもない、『元の世界の家族』なのだ。

「目が覚めたら、あなたは『向こうの世界』に帰っているわ。――機会があったらアローラ地方に来なさい。歓迎しましょう」
「あの、あなたはいったい……?」

自分の姿を借りた誰か≠フことが気にならないわけではない。人ではないのは明らかだ。なら彼女はいったい?
彼女は答えを示すように微笑み、姿が変わっていく。現れたのは夜空を溶かした羽をもつコウモリ――いや、ポケモンだ。もしかして、と声が漏れる。

「ウルトラビースト=H」

そのポケモンは宙を舞い、静かに空間を覆っていく。まふゆは急激に訪れた睡魔に抗えず、瞼を閉じた。



夜だ、と思った。そして同時に「また病院だ」とも。先ほど目にしていたものよりも、あたたかさのある闇に心が落ち着く。帰ってきた、のだろうか。あの言葉を信じるのなら、ポケモンたちのいる世界に。
身を起こして、周囲を見渡す。その答えはすぐに見つかった。
ベッドのそば、可能な限り近づいたそこに、まふゆのポケモンたちはいた。折り重なるように寝ている。大きなゴルーグまでもボールから出ていて――正直、窮屈そうだ。

「よかった。みんな無事だったんだね」
 
安堵の言葉をつぶやけば、ぴくりとキュウコンの耳が動き、勢いよく顔をあげる。ぱちりと赤い目が合ったので「キュウコン」と呼んだ。

「!」
 
彼女が立ち上がれば積み上がったバランスが崩れていく。それをお構いなしにキュウコンはまふゆの元へ駆け寄った。何事かと慌てた他のポケモンたちも、彼女が目覚めたとわかると一目散にベッドに向かう。
一方でまふゆは急いでナースコールを押した。なにせ4匹のポケモンがいっせいに飛びついてこようとしている。弱った身体にそれを受け止める力はないということは自分が一番よくわかっていた。



翌日、知らせを受けたカブが病室を訪れた。目が覚めたまふゆにその後のことを説明する。
ムゲンダイナはユウリとホップが鎮めたこと。ローズはそのまま自首したこと。そして、若き新チャンピオンが誕生したこと。

「いろいろあったんですね……」
「2週間も寝ていれば仕方ないよ。ともかく目が覚めてよかった」
「お騒がせいたしました」
「君はいい子すぎるから、少しぐらい迷惑をかけてもらうほうがこちらも嬉しいよ」
 
カブは微笑みまふゆの頭を撫でる。その掌のぬくもりは、彼の心のように温かい。

「おっと、そろそろ診察の時間だね」
 
まふゆは頷いて、ベッドから車いすに移る。カブが車椅子を押して、二人は診察室へ向かった。道中もたくさん話をした。まふゆと知り合った多くの人が心配をしていたこと。毎日誰かしらお見舞いに来ていたこと。ポケモンたちがそばを離れないから、広い個室を取ったこと。2週間という長くて短い期間を埋めるように。

ようやく着いた診察室で待っていたのは以前ナックルシティでまふゆを診察した医師だった。ここはエンジンシティの病院なのに、と尋ねると「以前君を診察したことがあるということで特別に主治医になったんだよ」と返ってくる。
一通りの診察を終えたあと、医師は声を潜め、言った。

「君の事情を知った」
「それは他の世界から来たという?」
「そう。診察に於いて必要になるかもしれないという事情から。――俺の身内にそういう方面に顔が利く人間がいる。もし君が望むのなら、紹介してもいい。元の世界に帰れるかもしれない」

医師の言葉は本心だろう。患者ではなく、まふゆ個人のことを心配しての提案。
しかし、彼女は首を振る。

「大丈夫です。そのことはもう答えが出て、決着がつきました」
「決着?」
「はい。それにわたし、この世界大好きです。なので、大丈夫です。もう迷いませんから」

それはまふゆの心からの言葉だった。


***


「さすがに疲れた……」
 
ベッドに腰掛け、まふゆは息を吐く。
診察後、話を聞きつけたユウリ、ホップ、マリィがお見舞いにきてくれたので、ついさきほどまで話し込んでしまったのだ。
3人は目が覚めるのが遅いと怒り、そして無事でよかったと涙を流す。さすがに全員に泣かれてしまうと、まふゆもどうしたらいいかわからず、おろおろとするばかり。

退院したらパフェを食べに行こうと話題を変えれば、すぐさまユウリは笑顔を浮かべ、どこからか出したスイーツ雑誌を広げはじめる。それを見てホップとマリィの「どこから出したんだ?」「というか、持ち歩いていたと?」というツッコミが入り、ようやく3人は涙を拭いた。
もちろんそれ以外にもたくさんの話をし、今度はビートも連れてくるという約束を交わして、彼女たちは帰っていった。

「そうだ、これ。返すね」
 
帰る間際、ユウリからダイマックスバンドを渡される。

「ムゲンダイナを捕獲したとき、ポケットに入れていたそのバンドのねがいぼし≠ェ熱くなったの。きっとまふゆが手伝ってくれたんだって思ったよ」

その言葉を思い出し、まふゆはバンドを見つめた。
中央のねがいぼし≠ノまた光が灯ることはあるのだろうか。ムゲンダイナがいなければ、まふゆはダイマックスが使えない。かのポケモンはユウリがゲットし、保護している。

「まあ、ノーダイマでも充分戦えたしね」
 
なんならネズにでも弟子入りしてノーダイマを極めてもいいな、なんてことを考えながら、まふゆはそろそろ寝ようと電気を消そうとして――

「?」

窓に何かが当たった音が聞こえた。ここは4階だというのに。気のせいかと思ったがやはり音がする。
補助機を使い、近づいてカーテンを開けた。目に入った光景に慌てて、窓を開ける。ふわりと風が舞い込んで、まふゆの髪を揺らした。

「キバナさん!」
「こんな時間に悪いな。面会時間、間に合わなくて」
 
そこにはフライゴンに乗ったキバナがいた。危ないですよ、と伝えれば、フライゴンなら大丈夫だと軽い返事。

「カブさんとユウリから連絡もらって。本当はもっと早く来たかったんだが」
「お気持ちだけで充分ですよ。ナックルであんなことあったんですから。――でも、来てくれて、すごく嬉しいです。そうだ、キバナさん。話したいことがあって……」

まふゆは夢の中で見たことを手短に話す。もう元の世界には帰らないこと。それを後悔していないこと。この世界がやっぱり大好きだということ。
キバナは最後まで話を聞き終え、言った。

「ありがとな、選んでくれて。――まふゆにまた会えてよかった」

甘い笑み、やわらかな声。溶かしきれない感情が、そこにあふれている。その全てを受け取った少女はつい息が詰まらせた。身体が熱くなり、鼓動が激しい。なんだか、キバナのことを見ていられなくなってしまう。
なにこれ、とまふゆは戸惑った。身の内から煮詰められるような熱は、容赦なく少女を襲っている。どくどくと心臓が痛い。
そんな彼女の葛藤に気づくことなく、退院はいつだ? と尋ねるキバナ。繕うようにして「リハビリの経過を見て、早ければ1週間ほどです」と答える。

「りょーかい。もしかしたら見舞いには来られないかもしれないから、なんか贈る。詰め合わせとか」
「そんな結構ですよ。忙しいなら、キバナさんの自身のことを優先してください」

キバナに会えたことに浮かれていたが、よく見れば彼の顔には疲労の色が見える。ここにも無理して来たのだろう。彼が倒れてしまうほうが、まふゆにとっては恐怖だ。
キバナはそんな彼女の想いに気づきながら、カラリと笑う。

「いいんだよ。オレさまがしたいこと、してんだから。――でも、そろそろ行くわ。お前の身体、冷やしたらいけないしな」

実は暑いくらいなんです、とは言えず、まふゆはあいまいに答えを濁す。正直言うともう少し顔を見ていたいとも思ったのだが、これで彼が早く休むというなら我慢しよう。
おやすみなさい、を言う準備をしかけた彼女にキバナは「あ、忘れてたわ」と手招きをする。その仕草に従って、少しだけ窓の外へ身を乗り出した。

「どうしたんですか、――!」
 
額に、キバナの唇が触れた。一瞬だけ、でも確かに。そのぬくもりは熱となり、まふゆへ落ちていく。外からも中からも、熱くて倒れてしまいそうになった。
そんな彼女の姿を見て、キバナは喉の奥で笑う。キスの落とされた箇所を押さえ、呆然となっているまふゆはなんてかわいくて愛らしいのだろう。好きだ、と彼は素直にそう思えた。

「おやすみ。まふゆ」
「おや、すみ、なさい……」

フライゴンは軽やかな音を響かせながら羽ばたき、あっという間に夜の空へと姿は消える。
まふゆはというと、しばらくその場から動くことができなかった。身体に当たる風が冷たいとようやく感じた頃に、ふらふらとベッドに倒れこむ。
ぐらぐらと煮詰まったこの想いの名前を、自分は知っている。気づいてしまった。自覚してしまえば溢れ出るだけだ。だって、あんなに素敵な人を自分は他に知らない。

「どうしよう……」

わたし、キバナさんが好きだ。

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