想いを自覚した夜に言われた通り、キバナが見舞いに訪れることは無かった。そもそもガラルのジムリーダーは例の事件のせいで全員が忙しいらしく、カブもなかなか顔を出せないでいる。同様に新ジムリーダーのマリィやチャンピオンになったユウリも。それでもホップだけは定期的に病室を訪れ、リハビリの手伝いや、話し相手となってくれた。
その会話の中、彼がまたなにかに迷っているのだとまふゆは気づいたが、敢えて指摘することもなくキバナから贈られてきたヒウンアイスを共に食べるだけでとどめる。話してくれる時になったら聞こう、きっと彼の中でいろいろと消化中なのだ、と思えるぐらいの余裕が彼女にも生まれていたからだ。
そんな生活をしばらく続けたのち、ようやく医師からも許可が下り、まふゆは晴れて退院となった。久しぶりに戻ったカブの家。病院とはそこまで距離はないはずなのに、すっかり身体は疲れてしまっているようで、帰ったとたんリビングのソファに倒れこんでしまった。
まふゆに「体力を戻さないとね」とカブは微笑む。ちょっとお高めの緑茶を淹れて、彼女と向かい合うように座った。
「それじゃあ、話を聞こうか」
「……はい」
空飛ぶタクシーの中で、まふゆはカブに伝えていた。家に帰ったら話したいことがある、と。
「えっと、わたしとムゲンダイナのことはご存知ですよね?」
「うん。知っているけれど、改めて君の口からききたいな」
頷いて、話を始めた。
ローズの実験により自分がこちらの世界に来てしまったこと。ムゲンダイナとはお互いが影響し合っていること。そして、意識を失ったあと見た夢の中で、ウルトラビースト≠ナあろうポケモンと出会ったこと。――もう元の世界には戻らないこと。
そして最後にまふゆがずっと言いたくて、でもとても勇気が必要な言葉に口にする。
「――わたし、イッシュに行きたいんです。イッシュ地方を旅したくて」
あの時は訳もわからず、逃げるようにして出てきてしまった。だから、というわけじゃないけれど、もう一度イッシュ地方と向き合いたいと病院のベッドでずっと思っていたのだ。ガラルを旅したように、あの土地を巡りたい。ライモンとホドモエしか知らないなんて、もったいないと思ったのだ。
ガラル地方で出会ったかけがえのない全て――きっとイッシュ地方でも同じ旅ができる。そう、まふゆは信じていた。
「もちろん、いろいろと落ち着いてからって思っています。そのあとで、行けたらと」
すぐに旅立つことは不可能。なにせ通院のリハビリは残っているし、ガラルの混乱もまだ収まっていない。加えて、警察からの事情聴取が控えている。ローズに拉致され、利用された彼女の話を警察は聞きたがっていた。まふゆ自身もカブの忙しさを少しでも手伝えたらと考えている。
その『いろいろ』が終わったら、いつかイッシュに。そして――
「帰ってくる家を、ここに。カブさんのお家にしたくて」
図々しい願いだとわかっている。けれどこの世界で帰る家といえば、ここしかないとも思っていた。成り行きで保護者となったカブには申し訳ないが。
「まふゆ」
「はい!」
まふゆの願いを受け、カブは静かに言った。
「自分の家に帰るのに、許可はいらないよ」
「……っ! カブさん……!」
「もうとっくに家族だと、ぼくは思っていたんだけれどね」
その言葉にどれほどまふゆの心が救われたか。
帰る家を作れること、共にいていいのだと、それがどれほど尊くて幸せなものか、少女はなによりもわかっている。
礼を言うまふゆにカブは「こちらこそありがとう」と眉を下げた。
「そうだ、イッシュだけじゃなくてホウエンも巡ったらどうかな」
「え?」
「うん。いい考えだ。ぼくの故郷のホウエンもまふゆに好きになってもらいたいな」
ホウエンに行くなら、カントーとジョウトも。ならシンオウも。そこまでいくのならカロスとアローラ。足を延ばしてフィオレやアルミア、オブリビア。ライムシティに行くのだっていいだろう。
「たくさんいろんなところを巡っておいで。そして帰りたくなったらここに帰ってくればいい。いつだってぼくは待っているから」
「……行くところ多くて迷っちゃいます」
「そうだよ。世界は広いんだ。君ぐらいの歳なら、いくらでも迷いなさい。答えは1つじゃないのだから」
でも、ホウエンに行くのは絶対だからね、と釘を刺してくるカブにまふゆは頷いて、緑茶を1口飲んだ。
涙がでるほど、あたたかくて、美味しかった。
***
「んーっ! おいしい!」
「まふゆ、1口あげるから味見してもよかと?」
「もちろん。はい、あーん」
「あーん」
「2人だけでずるいことやらないでよ! 私もーっ!」
叫ぶユウリにまふゆは「はいはい」とアイスと生クリーム、そしてモモンの実が乗ったスプーンを差し出す。嬉しそうにそれを頬張り「こっちもおいしい〜!」と目を輝かせた。
「うるさいですよ、静かに食べることもできないのですか」
「ビートのパフェもーらい」
「あっ、ちょっと! 何をしているんですか!?」
ホップがクリームを掬うと、先程のユウリに負けないほどの勢いでビートは怒る。
「ちょっとうるさいよ、ビート」
「あなたに言われたくありませんが!?」
どっちもどっちだよなぁ、とまふゆは我関せずとマリィの1口をいただいた。
ジムチャレンジ同期五人、シュートシティにあるユウリお気に入りのパーラーで新作パフェに舌鼓を打つ。
別名、シーソーコンビお疲れさま会の開催である。
ようやくブラックナイトの件が落ち着いたころに起きたその一件。ジムリーダーと一部関係者しか知らないとはいえ、対応に追われる毎日だ。
あいにくとまふゆはちょうど最後の通院をしている最中だったので、事件に関してはカブやユウリからの又聞きのみ。しかし友人たちの疲弊具合から、大変だったんだなということだけがわかる。
「ビートくん、アイス溶けちゃうよ」
功労者の1人であるビートに声をかければ「……わかっています」と彼もまたモモンのアイスを口に運んだ。
ユウリに紹介してもらったビートのことは、正直ラテラルタウンでの一件の印象しかなかった。けれど、話せば話すほど置いてきてしまった妹のことを思い出して、つい気にかけてしまう。まふゆの中で完全に彼は弟ポジションである。
今日もみんなで集まろうと提案したとき「エリートのぼくが一緒に行くとでも?」と軽くあしらわれていたのだが、「新作、モモンのパフェだって。ピンク色だね。きっとおいしいからポプラさんも気に入るんじゃないかな」などと誘えば、結局ついてくるのだからかわいいものだ。ちょっと「チョロいな」と思ったのは内緒。
「まふゆが旅に出るのは次の日曜日だっけ?」
マゴのパフェをいつのまにか平らげていたホップの問いに頷く。
「そうだよ。まずはイッシュに行って、そのあとホウエンに行くかな。それからは未定だけど」
準備も整えてある。体調も万全だ。チケットだって買って、あとはその日を待つばかり。期待と少しの不安。新たな旅立ちはいつだって胸躍るもの。
友人たちも最初は彼女の旅について驚いたものの、すぐさま「いってらっしゃい!」と背中を押した。ちゃんと帰ってくるのならいくらでも送り出す。もう勝手にいなくなるのだけは嫌だけれど。
「なら、まふゆもSNSしよ。会えなくなるの寂しいし」
「私もそれ思っていた!」
唐突なマリィの一言に反応したのはユウリだった。
「まふゆの写真、発信していくべきだと思うんだよね。それにしばらく会えなくなるし、生存確認にはばっちり!」
「生存確認……」
「言い方というものがあると思いますが……」
男子二人の引き気味の声にユウリは「だってぇ」とくちびるを尖らせた。一方でまふゆは何も言えず苦笑を浮かべる。
正直なところ、反論ができないのだ。諸々の事情を知り、自身の弱っている姿がユウリの印象に強く残っていることを、まふゆは知っているからだ。
「始め方がわからないなら、今一緒に作ろ!」
嬉々として笑顔を見せる姿に既視感を覚える。イッシュで出会い、まふゆがガラルへ来るきっかけとなったトレーナーのことを。そういえば、彼女もSNS開設を勧めてくれていた。
こういうのも新しい一歩に繋がるかも、と端末を取り出す。
「……ユウリが教えてくれるならやろうかな」
「やった!」
まずはこのアプリをダウンロードして、と身を乗り出すユウリに「はしたないですよ!」とビートがまた怒り出す。それを宥めるホップと、気にせず残りのパフェを食べ続けるマリィ。
まふゆの友人たちは今日も賑やかだった。
日も傾き、ビートとホップは自宅へ帰っていった。女子3人はこれからマリィの家でパジャマパーティーである。マリィの夢とのことで、まふゆが旅立つ前にと計画をしていたのだ。
3人乗り用のタクシーを待つ間、ずっとユウリは気になっていたことを旅立つ友人へ尋ねる。
「そういえば、キバナさんはいいの?」
その名前にまふゆの鼓動が早くなる。彼とはあの夜以降、ずっと会えていない。むこうも忙しいだろうし、気持ちを自覚すれば余計に自分からは行かれなくなってしまった。しかも、メッセージも照れてしまい送れない。それを見抜いているのだろうか。じっとこちらを見つめる焦げ茶色の瞳から、わざと目を逸らした。
「いいの、って?」
努めて冷静に答える。ここは年上の余裕を見せないと。わずかでも、彼女より自分は大人なのだ。しかし、ユウリはあっという間にそれを破壊する一言を投下した。
「付き合っているんじゃないの? 2人」
「えっ、そうなん?」
「な、なんでそんな……!」
きょとんとした顔のユウリ、目を丸くするマリィ。期待に満ちた二人にたじろぐまふゆ。あいにくと大人の余裕は持ち合わせていないようだ。
今まで見たことのない様子で慌てる彼女を見て、ユウリはニヤリと笑う。
「なるほど、少なくともまふゆは好きなんだ。キバナさんのこと」
これは誤魔化せない。そう悟って、声を絞り出した。
「……そう、だよ。わたしはキバナさんが、好き」
か細いがしっかりとした答えに、余計にユウリの笑みは深くなる。隣でマリィが目を輝かせた。いつだって女の子は恋バナが大好きである。
「告白はしないと?」
「わたしの片想いだもの。考えたこともないよ。それに、キバナさんはわたしのこと、妹とか、ちょっと仲のいい友達程度にしか思っていないだろうし……」
否定の言葉を口にするまふゆにユウリはいつかの彼を思い出す。あれだけ必死に彼女を守ろうとして、抱きしめていた。あの姿を目にしていると「妹」ですませるのには難しいような気がする。
「片想い……かな……?」
「ユウリ、何か言った?」
「ううん、なんでもない!」
これは自分が伝えることではない。まふゆの問題だ。だから核心を伝えること無く、少しだけ助言を。
「旅に出るなら、気持ち伝えるのもいいんじゃない? もし、戻ってきてキバナさんに恋人ができていたら、後悔しちゃうよ」
「…………」
まふゆは否定できなかった。きっと自分は後悔するだろうことはわかりきっているから。
もし仮に彼に恋人ができたと知ったら、祝福できる自信がある。おめでとうと言えることもできる。しかし、どこかで寂しいと感じてしまうだろう。なら今、玉砕するのもありなのかもしれない。
「でも自己満足じゃないかな。迷惑になるかも」
「伝えるだけ伝えてみようよ。キバナさんならちゃんと受け止めてくれるでしょ? 『迷惑だ』っていやな顔する人じゃないよ。私はまふゆがその気持ちを仕舞ったまま、後悔するほうがいやだな」
「そう、だね……」
確かに彼なら誠実に応えてくれるだろう。それがまふゆの好きになったキバナだ。ぶつけた気持ちだけ、ちゃんと気持ちを応えてくれる。そんな人だ。フラれるとしても、受け止めたうえでの答えを用意してくれるだろう。
ちょっとだけわがままになって、気持ちをぶつけてみようか。
「ということで、私たちは先にいってまーす!」
「えっ」
言うやいなや、ユウリとマリィは到着したタクシーに乗り込んだ。どういうことか目を丸くしていると、マリィが「あっち」と指さす方向に視線を移す。
そこにはキバナがいた。まだこちらには気づいていないが、距離的に時間の問題だろう。あの夜以来の再会に、まふゆの頬に熱が宿る。
「ゆ、ユウリ……!」
「慌てるまふゆもかわいいけど、ここは心を鬼にします!」
「マリィ!」
「あとで様子聞かせてね」
無情にも2人の乗せたタクシーは空を翔けていく。小さくなっていくその姿にまふゆは苦い声を漏らした。
「ひ、卑怯者ぉ……」
「まふゆ?」
「!」
気づかれた。ぎしぎしと軋みながら振り返ると、きょとんとした表情のキバナ。途端にドキドキと鼓動が揺れる。身の内から熱があふれ出して、爆発しそうだ。
「——誰といたんだ?」
「えっ」
「そんな顔見せられる相手って誰だ」
胸を高鳴らせるまふゆと違って、キバナは面白くなかった。最初は予期せぬ場所で想い人と会えたことがうれしかった。しかし、自分に見せたことのない表情を浮かべているのはいただけない。しかもその色に恋の甘さが浮かんでいるから、余計に気に食わないでいた。
キバナの拗ねたような表情を見て、疑問符を浮かべながらもまふゆは「ユウリとマリィです」と答える。
「は? ユウリとネズの妹?」
「はい。このあとパジャマパーティーしようと思ったんですけど、ちょっとした事情で先に行かれてしまって……」
ごにょごにょと誤魔化してはいるが、彼女は嘘を言っていないようだ。杞憂か、とキバナは頭を掻いた。あの色を他の男が見ていたと知ったら、嫉妬でどうにかなるところだった。自分はいつからこんな余裕が無くなったのだろうか、と自嘲する。
「キバナさん?」
「ああ、すまない。久しぶりだな、身体はもう大丈夫か?」
「はい。もうすっかりです。——まだお忙しいんですか?」
答えるようにキバナは肩をすくめる。
言葉の通り、いつになく彼は忙しかった。ナックルで諸々のことが発生したこともあり、他地方からも研究者も訪れ、そのダンデと共にその対応に追われる日々。アローラからウルトラホール≠フ研究チーム、ジョウトからポケモンエネルギー≠フ博士が――ジムに泊まり込むこともしばしば。
その話を聞いて、少しでも何か力になれればとまふゆは考える。
「あの、わたしにお手伝いできることありますか? ムゲンダイナに関連することなら、血液とか提供できますし……」
「あのなぁ」
こつんと頭を小突かれる。キバナは「そんなことオレさまがさせねぇよ」と一言。
「そんな身を切ることすんなっての。確かに他から見れば、お前は『特別』なのかもしれないが、オレにとっちゃ『ただの』女の子だ。ごく普通のガラルに生きている、な」
「……はい」
『ただの女の子』か。
深い意味はないのだろう。しかし、まふゆにとっては「ちょっと距離の近かった、ただの少女に過ぎない」と告げられた気がした。やっぱり予想通りだ、と寂しい気持ちが胸を過ぎる。同時にユウリの言葉も。
ぐっ、と力を込めて、少女はキバナを見上げた。
「あのっ、次の日曜日空いていますか? 少しだけ、お時間いただきたいです」
「日曜だな。絶対空ける」
食い気味の返答に驚きはしつつも「では……」と切り出した。
「バウタンの港、船着き場のあたりでお会いできますか? えっと、お昼ごろに」
本人は気づかないが、まふゆからの誘いにキバナが頷かないわけがなかった。何よりも優先するべきことに躍り出る。
「なら、日曜日。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ、彼女は再びやってきたタクシーへ向かって走っていく。
キバナはというと、まさかのまふゆからのデートの誘いにのぼせていた。バウタウンならあそこがムードあっていい、そうだルリナにそれとなくいい場所を聞いておこうか。次から次へとデートのプランが浮かんでくる。
この想いを伝えるのもいいのでは―
「やべ、楽しみすぎるだろ……」
恋の余韻に浸りながら、キバナはナックルシティ行きのタクシーへ乗り込んだ。
ちなみに日曜、終日予定を明けるため、次の日から彼が鬼気迫る表情で仕事を片付け続けたことはナックルジムで長く語り継がれることとなるのだが、それはまた別のお話。