11



カイリューの背に再び乗り、アルフの遺跡に降り立つ。深夜なことも相まって、どこか不気味な雰囲気が辺りには漂っていた。アイルはうっすらとした悪寒を感じ、両腕を擦って暖を取る。その様子を見て、ワタルはさりげなくアイルのそばへ身を寄せ、声を潜めながら言う。

「静かだな。いつもならホーホーやヨルノズクが鳴いているんだが」
「やっぱり『歯車』の関係でしょうか」
 
そんな会話をしていると、ふと彼女は視線を感じた。もしかして、とその方向へ目を向ける。ばちんとそのポケモンと目があい、声をあげる。

「ネイティオ!」
 
独特なまなざしでこちらを凝視するネイティオがいた。あの時と同じ個体であるか定かではないが、事情を知っていると思われるポケモンにこんな早く遭遇できるのは僥倖といえるだろう。駆け寄ろうとすると、途端にネイティオはくるりと背を向け遠ざかって行ってしまった。

「案内、しようとしている?」
 
呟きを拾ったワタルは肯定する。

「ともかく着いていこう。ここに留まっていても進展は無いだろうから」
「はい」
 
二人は警戒しつつ、後をついていく。いつでもボールからポケモンたちを取り出せるように、緊張感は保ったまま。しかしネイティオはこちらを一瞥することもなく、淀みなく進んでいく。目的地へ向かって一直線に進んでいるようだった。そのままするりと、遺跡にある石室の一つに入る。
 
このまま素直に自分たちも入っていいものだろうか。こんなにも順調へいくことが嬉しい反面、罠の可能性も否めない。それどころか、非常に高い。思わずワタルを見れば「行くしかないな」と返ってくる。
彼の声を聞いて、アイルは覚悟を決めた。息を吸って、吐いて、心を整える。二人は目を合わせ、狭い入口から室内へ飛び込んだ。夜の闇とはまた違った暗さに一瞬、アイルは怯む。

しかし隣にいるワタルの存在に気づき、恐怖は一瞬にして晴れた。そして同時に「すごいな」という感情がわきあがる。この人はいるだけで、誰かを勇気づけることができることが羨ましくさえ思えた。
石室は数歩歩いたらすぐに壁へ当たるような、狭い空間だった。石特有の匂いと冷えが身を包む。身の芯まで迫るような寒さだ。

アイルは急いでネイティオの姿を探す。しかし、見つけられない。地下に行く階段も存在せず、出入り口は自分たちの背後にある一つだけ。おかしい、と思うには充分だった。テレポートをして脱出したのだろうか。つまり、あのネイティオの役割は自分たちを案内するためだけということになる。
 
脳内で警鐘が鳴り響いた。レンジャー時代の勘が騒ぎ立てる。ここに留まるのは危険だ。いったん、外に出ようとワタルへ声をかけようとした彼女の目の端に捉えた、動くもの。ネイティオよりも小さく素早い、ポケモンがそこにいた。

「アンノーンか……?」
 
アイルと同様にそのポケモンを見つけたワタルの声が石室に響く。アルフの遺跡はアンノーンの生息地だ。だからここにアンノーンがいてもおかしくはないが――

「わっ!?」
「っ、大丈夫か?」
 
突如、一匹のアンノーンがアイルへぶつかってきた。よろめいた彼女をワタルは支える。気づけば、どこにいたのかと言いたくなるほどに大量のアンノーンが現れ、石壁を覆っていく。二人の足元にもたくさんのアンノーンが蠢いていた。その勢いに押されたアイルが倒れないように、彼女に触れる手の力をワタルは強める。しっかりと抱き留め、状況を把握するように視線を走らせた。

「離れない方がいいな。これは」
「ポケモンを出すのは逆に刺激しそうですね」
 
結局、何をしても逆効果だろうと共通の結論が出る。息を潜めて、事が過ぎるのをひたすら待つことになった。しかし、アンノーンたちは数を増しているようだった。いや、実際そうなのだろう。先ほどよりも圧迫感が増している。

ふいにアイルは己の足元へ違和感を覚える。視線を向ければ一匹のアンノーンがふくらはぎのあたりに、ぴったりとくっついている。申し訳ないと心の中で詫びながら、振り払うように足を軽い力で動かす。しかし、びくともしない。それどころか、そのアンノーンを中心に他の個体も纏わりついてくる。その勢いは増し、彼女の身体を覆っていく。
このままではワタルも巻き込まれてしまう、とアイルが焦るのは当たり前のことだった。

「ワタルさん、離れてください!」
 
足の踏み場も無いこの状況で離れられるかは別として、とりあえず少しでも距離を置こうとアイルは身体を捻る。しかし、逆に彼の腕の中に閉じ込められてしまうこととなった。彼女を自身へ繋ぎとめようとするかのごとく、ワタルは背後から小さなアイルの身体を抱きしめる。

「ワタルさん!」
 
悲鳴染みたその叫び声に、ワタルは答えた。

「離さない」
 
その言葉にアイルの息が止まる。有無を言わさぬ強い音。それをはか細い声で、彼の名を呼んだ。振り向くと、ワタルの瞳がアイルのそれと交わる。

「離さないからな」
 
その瞳に宿る焔はアイルを焦がす。なぜこの人はいつだって強くあれるのだろうか。どうして自分は、そんな彼にいつも助けられてしまうのだろうか。なんて不甲斐ないのだろう。どうしようもない、泣きたくなるような感情が襲ってくる。ワタルの持つ焔から逃げるようにアイルは目を瞑った。
そうして二人はアンノーンたちに飲まれていく。


***


「……消えたな」
「……はい」

どのくらいの時間が経ったか、わからない。じっと耐えていた二人はゆっくりと息を吐き出し、周囲を確認する。言葉の通り、アンノーンは石室のどこにもいない。さっぱりと消えてしまっている。ネイティオ含め、ポケモンの気配はまったくなかった。
ワタルは思考したのち、尋ねる。

「アイルくん。あの浮遊感を感じたか?」
「はい。エレベーターみたいでした……」
 
先ほど身体を襲った感覚。内臓を置いていくような、あの独特な浮遊感はなかなか忘れられない。それとこの状況はやはり関係しているのだろう。
やはり一旦、外に出よう。ここにいるのはあまりよくない。提案するべくアイルは口を開くが言葉が出る前に、違うものが飛び出した。彼女の腰につけていたボールが震え、出てくる二匹のポケモン。

「エネコ! ルカリオ! 勝手に出ちゃだめでしょ!」
 
なにが起きているかわからないのに! と怒るが、二匹は耳を傾けない。空間のある一点を睨み、毛を逆立てている。警戒なんてものじゃない。こんなあからさまに敵意を露わにしているのを見るのはトレーナーである彼女でさえ初めてのことだった。

同様に、ワタルもまた未だにアイルの身体に回る腕の力を強くする。エネコ達の様子から、ここは敵地の真っただ中なのだろうことが窺える。『目的』であるアイルへ『敵』が何をしてきてもおかしくはない。彼は「彼女を守るのはおれだ」とばかりに周囲に殺気を走らせた。
アイルはそんなワタルの胸中を知らず、自身のポケモンたちに声をかける。

「何かいるの?」
 
そうだ、と2匹は鳴く。その視線の先へ目を凝らすが、アイルには何も見えない。ポケモンだけに感じる何かがあるのかもしれない。
遅々として進まぬ状況へ、業を煮やしたかのようにルカリオがその空間に波導を打ち込む。瞬間、壁が揺れた。
――違う。壁の周りの空間が揺れているのだ。まるで蜃気楼のように、空間と空間の境界がブレる。その揺れは徐々に大きく広がっていく。比例して、そのあやふやな輪郭がはっきりしてきた。その姿が『何か』わかるほどになったとき、アイルは息を呑んだ。なぜなら、彼女はソレを知っている。
 
久しぶりの再会だとしても、あの時のことを忘れることできない。肌に触れる空気も、自身の呼吸音でさえ、鮮明に思い出せる。それほどにアイルの脳裏に刻まれている。

「……アルセウス」
神と等しきポケモンは冷たくアイルを見下ろしていた。 
ALICE+