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随分と長い時間旅行を終え、ルカリオは2人に触れていた手を離す。こちらを心配そうに見つめる彼へアイルは笑みをこぼす。あんな小さかったリオルがこんなに大きくなったんだな、と感慨深い気持ちになったからだ。
こんなに長く波導を使うことは無かったから負担をかけてしまっただろう。アイルは「ありがとう」とルカリオの頭を撫で、ボールに入れた。

「ワタルさんは大丈夫ですか? 気分とか悪くなっていません?」
「大丈夫だ。アイルくんは?」
「私も平気です。ただ、少し疲れちゃいました。……ここまで詳細な記憶を見せたのは、初めてだったので」
 
そう言ってアイルは眉を下げる。反対にワタルは目を丸くした。「シロナは知らないのか?」と尋ねてくる。その問いに首を縦に振った。彼女にも話しているが、ここまで詳細なことは伝えていない。あくまで「任務中に『時の歯車』を手に入れた。時間に関係しているようだから、ディアルガのことを聞きたい」ぐらいのことだ。アルセウスに見せられた光景は一切話していない。

「ワタルさんにだけです。どうしても知っていてほしくて……すみません、私のエゴです」

『時の歯車』のことについて最も懸念されることは、何かしらのリスクを伴うのではということである。アルセウスの意図、歯車の正体、見せられた世界との関係――アイルだけが巻き込まれればいいが、他の人にまで影響を及ぶのは耐えきれない。だからこそ、シロナにも詳細を伏せていた。
 
それなのにワタルには話してしまった。巻き込んでしまった。申し訳なさと、少しだけ軽くなった肩の重さの身勝手さに、胸が締めつけられる。なんて自分は弱いのだろう、と。
そんな彼女の葛藤に気づき、ワタルは断りを入れながら優しくアイルを抱きしめた。

「おれが聞きたいと願ったんだ。――教えてくれてありがとう」
「ワタルさん……」
「今まで、よく頑張ったな」
 
たったその一言で、アイルの堰き止めていた何かが壊れた。どうしていいかわからなくて、このやり方が正しいかも知らなくて、新しい謎がまた生まれて――。そんな不安でたまらない道のりを、今までの歩みをワタルは認め、受け入れてくれた。自分が認めることができなかったものを、他でもない彼が。

ならもう一度、歩いて行ける。真っ暗な道だとしても、その先の一筋の光を求めて、また歩き出すことができる。それぐらいの力が、ワタルの言葉にはあった。人の背中を押すということは、そんな簡単にできることではない。しかし、それをさらっとやってのける彼はなんて強くて、格好いいのだろう。

「ずるい、です。そんなに優しくできるなんて、ワタルさんはずるい……」
「こう見えてもきみより年上だからね。多少はずるくないと困るさ」
 
いつもの余裕を持った笑みとは違う、からかうようなそれにアイルも釣られ頬が緩む。指で自身の目尻に浮かんだ雫を拭い「年上って言っても、少しだけじゃないですか」と笑った。
その笑顔を見て、こっそりとワタルは胸を撫でおろす。いつものような朗らかなものではないが、心からのものだと感じたからだ。そして同時に決意する。

「アイルくん。改めてきみの研究を俺にも手伝わせてほしい。これはポケモンリーグとは関係ない。おれ、個人の感情だ」

そして案の定、ワタルの想像通り彼女は首を横に振る。

「そのお言葉は嬉しいですが、今回のような迷惑をまたかけてしまいます。話しておいて都合がいいですが、よくわからないことのほうが多くて、未知の領域です。何が起きてしまうかわかりません。そんなことにチャンピオンであるワタルさんを巻き込めません!」
「おれだってチャンピオンである前に、ポケモントレーナーだ。どこかの世界で、ポケモンたちが苦しんでいるなら助けたい」
 
それでも、とアイルが言い淀んでいると、彼は苦笑しながら言葉を続ける。

「こんなことを言いながらリーグの仕事もあるから、あくまで少し手伝える程度なんだ。この前みたいに資料室に案内するぐらい。――いや、違うな。言い方を変えよう。頼ってほしい、おれを」
 
反論をしようとしたアイルの口を、ワタルは手で塞ぐ。「少し、黙って聞いてくれ」と囁いた。

「頼る勇気を持ってほしい。きみに。良くも悪くも、アイルくんはアルセウスに選ばれてしまった。その事実を変えられることはできない。あのポケモンが、きみなら例の世界を救える何かを見つけ出せると、感じ取ったんだろう」
「…………」
「けれど、何もかも一人でやることではないはずだ。エネコもルカリオもいる。他のポケモンたちも。シロナだって。そして、おれも。きみは勇敢で強い。だから、持てるはずだ。頼るという勇気を」
 
ワタルは静かにアイルの口を塞いでいた手を外す。そして再び彼女に乞うた。

「おれに頼って、甘えてくれ。――おれがきみを頼りたいから」
 
いつだかアイルが送った言葉が自身へ戻ってくる。それを言われては、もう負けだ。また滲む涙を堪え、頷く。

「……はい。ありがとうございます。頼りますから、ワタルさんも頼ってくださいね」
「まったく、きみは頑固だなぁ」
「あなたに言われたくないです」
 
顔を見合わせて、どちらともなく笑いあう。
なんだか少しだけ、アイルは息がしやすくなった気がした。酸素が自然と肺へ入ってくる。呼吸って、こんなに簡単なものだっけ?
まだまだゴールは見えなくて、遠い道のりだとわかっている。けれどこれからはワタルがいてくれる。なら絶対に大丈夫。そんな自信がわいてきた。

もうアイルにはワタルから贈られた「誰かを頼る勇気」があるのだから。
 
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