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「先日は、どうもお世話になりました」
「わざわざ菓子折りなんて持ってこなくてもよかったのに」
「いえいえ、こういうのは気持ちですから!」

アイルが勢いよく差し出した菓子折り(先ほどコガネデパートで買ってきたゼリーの詰め合わせだ)を、苦笑しつつマツバは受け取った。
拒否し続ければ折れるのは彼女のほうであろうこと知っている。しかし、ジムの入り口で大きな菓子折りを受け渡す彼女の姿は――閑静なエンジュでは少し目立つ。悪目立ちすることはお互いの本意ではない。それに受け取るのも一つの礼儀だ。
 
本当に助かりました、と再び礼を言うアイルへ「こちらこそ力になれてよかった」とマツバは答える。彼が視えていたのは、あくまでアイルが『時の歯車』を取り戻すことだけ。彼女の傍に佇むポケモンの影については視ることができないでいた。というのも、そのポケモンは意図的に姿を隠しているようで、それ以上の追求を阻んでいる。「部外者はこれ以上立ち入るな」と言外にマツバへ訴えていた。
しかし、今は違う。マツバは瞳を光らせ、その奥の影を視る。以前よりも強くなったその気配からはっきりとその『ポケモン』がわかった。だからか、つい声をもらす。

「アルセウス、か」
「!」
 
その言葉にアイルは目を丸くした。自分の口からは一切そのポケモンについて発していないのに。そしてすぐさま気づく。マツバにある、彼だけの能力を。

「千里眼ですか?」
「実はずっと視えていたんだ。――あなたとアルセウスのつながりがね。といっても『アルセウス』であることに気づいたのは、今だけどね。アルセウスの気配が濃くなっていたから、会ったのかなと思ったんだ」
 
アイルはつい後ろを振り返り、きょろきょろとあの白い身体を探す。そんな彼女へ「そこにはいないよ」とマツバは笑った。

「たまにいるんだ。幻や、伝説と呼ばれるポケモンたちと縁を結んだ……いや、結ばれてしまったトレーナーがね。そのポケモンと出会うことを運命づけられてしまい、なにかの使命を課せられる存在。あなたの場合は、アルセウスだったってところかな」
「……私、オブリビアの出身なんですけど」
 
比較的暖かい諸島であるオブリビアと雪深いシンオウは正反対の土地なのに、なぜ自分なのだろうか。しかしマツバはゆるりと首を振って否定した。

「関係ないよ。相手は世界を創造したポケモンなんだから。どの地方にいようと、あなたを見つけられるだろうさ。選ばれたことにも、ちゃんと理由があるはずだ」
「理由……」
 
あるのだろうか。そんなものが。
だってあの神様は何もアイルには言ってこない。数少ない逢瀬でも同じ言葉を繰り返す程度だ。それなのに自分を選んだ理由が?
表情を曇らせるアイルに苦笑し、マツバは言葉を探し、言う。

「そんなに構えなくていいと思うよ。なんというか、言葉は悪いけれどパシリ的な感じがして。用事を終えたら、解放される程度の拘束力と視えるからね」
「……なんか複雑なんですけど。それはそれで」
「ははは、アルセウスのパシリだなんて、光栄だと思うよ?」
「お譲りしましょうか?」
「残念。ぼくの運命は決まっているから」
 
あいにくと、その手を取ることはできなかったけど。
小さく呟いたマツバは当時のことを思い出すかのように、懐かしさを滲ませて笑った。


***


――それにアルセウスがアイルさんを選んだのは、ちゃんと特別な理由があるように感じるから安心して。

「……特別な理由?」
 
別れ際、マツバに言われた言葉を思い出し、アイルは頭を悩ませる。とはいえ「適当に選びました」なんて理由よりは、まだマシかもしれないが、逆に謎が増えたような気もしてしまう。
もやもやした気持ちに区切りをつけろというように、ポケットに入れた端末が震えた。アイルは取り出したそれの画面に映る名前にドキリと胸が鳴らし、慌てて耳に当てた。

「も、もしもし?」
『アイルくん、いま大丈夫か?』
「はい! どうかしましたか、ワタルさん」
 
昨日ぶりの彼の声。何か起きたのかと慌てるが、電話の向こう側にいる彼はいたって落ち着いている。しかも、アイルの慌てっぷりを笑っているほどだ。一応隠しているようだが、わずかな笑い声が聞こえている。なんだかそれが子供扱いのように感じて――アイルは思わず「ご用はなんですか?」と刺々しい言葉を出した。

『はは、すまない。アイルくん、ホウエンに行かないか?』
「……は?」
『来週、ホウエンに行かないか?』
 
説明が足りません!
そう叫べば、ワタルは今度こそ隠さず笑い声を響かせる。自分を揶揄っていることなんて、すぐにわかった。

「ワタルさん……」
 
不機嫌さを露わに名前を呼べば『すまない、ごめん。許してくれって』と謝罪らしくない謝罪を受ける。彼はたっぷりと笑って満足したのち、ようやく説明を始めた。
曰く、来週に近隣地方のチャンピオン同士が集まる定期会議が開かれるらしい。その場所が今回はホウエン地方とのこと。

「状況はわかりましたが……なんでそこに私を?」
『ホウエンチャンピオンのダイゴという男が、かなりの石マニアでね。もしかしたら『時の歯車』について、何かわかるかもしれない』
 
確かに『時の歯車』について調べていかなくてはいけないとワタルに言っていた。ただ、そのことをすぐさま次≠ヨ繋げてくれるとは思わなかったのだ。アイルはありがたさと申し訳なさで声がつまる。そしてそれを見抜くのもまたワタルだった。

『言っただろう? 力になりたいと。しかし、歯車について説明をしなくてはいけない。きみが知っている全て≠。アルセウスから授けられたことや、あの見えた世界のことも含まれる。だが、研究施設に持込むよりは確実に秘密は守られるだろうし、なにより彼の石に対する情熱は本物だから。絶対に確実な成果を出してくれるはずだ』
 
決めるのはアイルくんだ、と彼は言って黙った。最後の決定権を彼女に委ねている。
正直なところ、怖い。それはアイルが率直に感じたこと。わからないこと、不明なこと、それにいろいろな人を巻き込むのは怖い。だから断ろう――少し前のアイルならそういう決断をしていた。
 
でも今は違う。アルセウスは自分を選んだ理由があるとマツバが言っていた。自分にはワタルからも貰った「頼る勇気」がある。

なら、大丈夫。危険なことになったら、自分が守ればいい。みんなを、巻き込んでしまった人たちを、全員。
自身の力は彼らより大きく劣るし、逆に邪魔かもしれない。けれど、やれるはずだ。いや、やると決めた。アルセウスのパシリ? 上等じゃないか!

「ご迷惑じゃなければ、ぜひご一緒させてください!」
 
アイルの声が高らかに響く。その答えはワタルが待ち望んでいたものだった。
ワタルは彼女の性格上、もしかしたら断るかもしれないと考えていた。しかし、予想に反し、こうして頼ろうとしてくれている。他でもない自分に。あの時の自分の言葉が効いたのかと思うと、心の中に少しの優越感がわきあがるのを感じた。我ながら嫌な性格だ、と自嘲しながら言う。

『よかった。実はもうホウエン行きのチケット取っていたから、断られたらどうしようと思っていたんだ』
「えっ!?」
『無駄にならなくてよかったよ。詳しいことはあとでメールするから確認しておいてくれ』
 
いくつかのやりとりをして、通話が切れる。なんだか怒涛の時間だった。ぽかんと暗くなった画面を見つめ、アイルは思う。

「ホウエンか……」
 
その地方で気になるポケモンと言えば、レックウザ、デオキシス、ジラーチあたりだろうか。せっかくそこまで行くのなら、後悔の無いように事前準備をしていこう。それにホウエンチャンピオンへ依頼をするのならば、相応の資料も作らないといけない。

「よし!」

そうと決まれば善は急げ。駆け足でアイルはヒワダへ戻っていった。




約束した日、アイルが宿の前で待っていると、時間通りにワタルがカイリューに乗ってやってきた。大きな荷物はあらかじめホウエンのホテルへ送っているので、お互いに必要最低限のものしかもっていない。普段と違う旅支度ゆえに、つい自分たちは本当にこれからホウエンに行くのかとアイルは違和感ばかりを覚えていた。
 
そんなわずかな荷物であるのにも関わらず、ワタルは当たり前のように自分の手から奪おうとするので、まずアイルは必死に阻止する羽目となった。攻防の末、「ほんと頑固だな」とワタルは諦めたように息を吐いた。
同様のことをアイルも彼へ感じているのは内緒である。なにせそこまでお世話になるつもりはないのだ。そもそも、そんなに重い荷物ではない。

「それよりもアサギに行かないとですよ。ヒワダからは距離あるんですから」
「カイリューで行けばすぐだろう?」
 
なにを当たり前のことを? と首を傾げるワタルに、ぴしりとアイルは固まった。途端に顔を青ざめる。彼女は視線を泳がせか細い声で言った。

「か、カイリューに乗って行くんですか……?」
「他に方法も無いし、元よりそのつもりだったが? それに定期バスも船の時間には間に合わない」
「…………」
「アイルくん?」
 
冷汗を流しながら噛みしめたくちびるを何とか解き、声を絞り出す。ぎゅうと目をつむり、言った。

「わ、私、実はポケモンで空を飛ぶのが苦手で」
「……は!? この前、何度もカイリューに乗っていただろう!?」
「あれは、夜で! しかも切羽詰まっていて! 火事場の馬鹿力というか、アドレナリンが出ていたというか! それどころではなかったというか!」
 
アイルは涙目になりながら、叫ぶ。

「レンジャー時代はどうしていたんだ? 任務もあるだろう?」
「そのレンジャー時代にポケモンから落ちたことがあるんです。間一髪で地面に叩きつけられはしませんでしたが、その時からもうダメで……。何度もチャレンジして失敗しているんです。逆にあの夜に乗れたことが奇跡なんですよ!」
 
ワタルはアイルの言葉を聞いて、どこか納得する。「なぜ彼女の手持ちには飛行ポケモンはいないのか」と常に疑問を抱いていたのだ。飛行できるポケモンはトレーナーにとって重要な交通手段の一つであるというのに、アイルの手持ちにはその手のポケモンがいない。研究職に就いているトレーナーはだいたいが鳥ポケモンを所持している。言われてみれば、頑なに交通機関を使っていた彼女の姿をワタルは思い出す。

「下、見なければなんとかならないか?」
「そう思っていた時が私にもありました」
「なんというか、きみにも苦手なものあるんだな。なんでもソツなくこなすイメージがあったが」
「あー! また、笑っていますね!? 私にとっては死活問題なんですよ!? 大体、人は飛ぶようにできてないんです。バス最高! 電車最高! 移動はそれでいいんです!」
「わかった、わかったから! どんどん墓穴を掘っているぞ、きみ」
「だったら笑わないでくださいー!」
「それは無理だな」
 
だってこんなかわいいのだから、と出かけた言葉を飲み込んで、ワタルは口だけの謝罪を繰り返した。
議論の末、カイリューの背に乗ることで落ち着いた。船の時間に間に合わないというのが、一番の理由である。こればかりはアイルが折れるしかなかった。

しかしアイルが出した条件が一つ。あの夜とは違い、ワタルの後ろに座らせてほしいとのこと。なるべく景色を見ずに、風を感じないようにしておきたいと切々と訴えた。カイリューは「落とさないから大丈夫!」と胸を叩くが、アイルはあいまいな笑顔で返事を濁すことしかできない。それはそれ、これはこれなのだ。決してカイリューを信じていないわけではない。
ワタルに続いて、カイリューの背にまたがる。地面から足が離れた途端に彼女へ後悔が押し寄せた。

「遠慮なく捕まってくれて構わないから。――やっぱり前のほうがよかったんじゃないか? おれが掴まえていられるし」
「大丈夫です!」
「……わかった。飛ぶぞ」
「はい! いつでもどうぞ!」
 
ワタルの指示の元、ふわりとカイリューが地面から離れる。すぐさまアイルは彼の大きな背へしがみつく。腹へ腕を回し、ぴったりと身体をくっつけた。遠慮なくと言われたのだから、本当に彼女は遠慮をしないつもりである。マントへ顔を埋め、目を瞑った。一切の視界情報をシャットアウトしよう作戦である。単純ではあるが、こういうのが一番効く――いや、効いて欲しいという希望の元、必死にワタルへ縋った。じわりと伝わる彼の体温がアイルの緊張をほぐし、少しだけ呼吸が楽になる。
 
ワタルはその様子を見て、つい笑みがこぼれた。なんというか、彼女がストレートに頼ってくる姿が嬉しかったのだ。特に今までが頑なだったから余計に。

「……カイリュー。まだ時間にはまだ間に合うはずだ。少し遠回りでもしよう」

ワタルの言葉にアイルはすぐさま「裏切りだ!」と悲鳴をあげた。

「なんでそういうこと言うんですか! カイリュー! ワタルさんの言うことは気にしないで、最短ルート! 最短ルートで行こう!」
 
結局、カイリューはその中間あたりのルート(ワタルへ「あんまりいじめないほうがいいよ」という視線をむけながら)を飛び、アサギの港には時間通りに着いた。
アイルはカイリューへお礼を言いながら、ふらふらと背から降りる。不自然な鼓動を刻む心臓を抑えながら、深呼吸を繰り返した。彼女自身も、いつかは克服しないといけないと考えているものの、そんな日が来るとは到底思えない。楽しく空を飛べる日はいつになるのだろう……と遠い未来へ思いを馳せた。
 
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