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「それで、アイルさんはボクになにをしてほしいのかな?」

ダイゴは手にしていた『時の歯車』を丁寧に机上に置き、探るような視線をアイルへ向ける。

「この『時の歯車』を調べてほしい、ということだけれど、具体的には?」

尋ねながらも彼女の中にある確固たる「答え」がわかっているかのような口ぶりだ。現にダイゴは確信している。目の前にいる未熟だけれど信念だけは人一倍ある研究者に、具体的なプランがあることを。
その期待に応えるかのように、アイルは結んでいた口を開く。瞳は、逸らさない。

「ダイゴさんにお調べいただきたいのは、この『歯車』にエネルギー、またはそれに類似したものを充填し、放出できるかどうかという点です」
「充填し、放出……イメージとしてはバッテリーのようなものということかな?」
「おっしゃるとおりです」
 
電気を貯め、必要なときにそれを放出する。まさにバッテリーもとい蓄電池の機能が、この『時の歯車』にあるのではないか――そうアイルは考えていた。
自分があの洞窟で見た光景はまさに力の放出≠ェ終わりかけていた瞬間だったのではないか。実際、光が消えたとき、洞窟内の空気が変わったのを目の当たりにしている。

「そう考えた理由があります」
 
アイルは説明を続ける。
アルセウスは繰り返し自分へ「時」という単語を告げていた。つまり、時にまつわる何かがこの歯車にはあり、大きく関連しているのではないか。

「『時間』に纏わるポケモン――ディアルガとセレビィにはそれぞれ時を冠する技≠持っています」
「ディアルガはときのほうこう≠ヒ。セレビィは……確かときわたり≠セったかしら」
 
考古学者でもあるシロナはぴたりとそれらの技名を当てる。

「はい。さすがシロナさんですね。厳密に言えば、セレビィは技とはまた違うのかもしれません。ただ、分類的には技とされています。この二つの技にはさらに共通点があります」
 
アイルは大きく息を吸い込み、言った。

「『技を放った時に高エネルギーを生じる』という点です」

シンオウ神話に登場するポケモン、ディアルガ。時を司るポケモン。
ジョウト地方に生息すると伝えられるポケモン、時を行き来するとされるセレビィ。
姿形も、住む場所も伝えられる伝説さえ異なるが、彼らは『時』にまつわるポケモンであり、それぞれが固有の『時』の技を持っていた。無関係だとは思えない。理由があるはずだ。その理由がこの『時の歯車』であったら――?

それがポケモンレンジャーを辞め、多くの時間と協力を得て、彼女がたどり着いた答えだった。

「ときのほうこう≠ヘわかるわ。咆吼自体が高エネルギー弾。その力は大きく、ディアルガ自身も反動で動けなくなるほどよね」
 
でもときわたり≠ヘ? とシロナは尋ねる。アイルも言っていたようにときわたり≠ヘ厳密に言うとポケモンが放つ技ではない。セレビィだけが持つ能力の一種である。過去へ行き来することのできるチカラ。その能力は未だに謎に包まれているところが多い。シロナでさえ、即答できる答えを持っていない。

「ヒワダの郷土資料か……?」
 
ぽつりとワタルがもらした呟きにアイルは「その通りです!」と嬉しそうに頷いた。

「もともとセレビィはジョウト――ヒワダのウバメの森における目撃証言が大半を占めています。アルセウスやディアルガのような世界の神様というよりも、土地神のような信仰をされていました」
 
その郷土資料の中でセレビィのときわたり≠ェ発動した際に、大きな生命エネルギーが生じる記述がいくつも確認できた。草木が生い茂り、ポケモンたちの傷を癒すという記述がいくつも。
加えて、キキョウシティにいたセレビィを目撃したという僧侶も同じように強いエネルギー波を感じたと証言していた。厳しい環境に身を置いて修行する僧侶だからこそ、そのエネルギー波を敏感に感じとったのだろう。

「セレビィの生命エネルギーはディアルガと高エネルギー弾と方向性は異なっていますが、本質は同じと捉えてよいでしょう。時間にまつわる技を繰り出した時に生じていますから。そしてこれらの共通点も踏まえ、私は『時間エネルギー』という概念が存在しているのだと考えます」
 
アイルは机上に置かれた『時の歯車』に目を移す。

「その『時間エネルギー』をこの『歯車』たちは吸収し、そして放出することができるのではないか? だから『時』を司るポケモンたちは、強いエネルギー波を技に乗せているのでは? この仮説が正しいかどうかは、私だけではわかりません。だからダイゴさん依頼をお願いしたいのです」
 
そしてアイルは一呼吸置き、おずおずと先ほどまでの自信に満ちた声とは反対に、震える音を絞り出す。

「――そしてこれは根拠も無い、本当にただの私の想像となってしまうのですが……この歯車はあの暗い世界の『時間』そのものなのではないかと思っています」
 
初めてアルセウスと出会い『時の歯車』を手にした日のことをアイルは忘れることができない。
発せられる光が終わった瞬間、洞窟内における世界が生きている≠ニいう感覚が消えた、息が詰まりそうな無音を今でも鮮明に思いだす。だから直感的に感じるのだ。この歯車は「時間」そのものであることを。チカラを失ったから洞窟内の時が止まったのだと。

時が止まれば世界も止まる。夜が明けることはなく――朝陽も二度と登らない。暗闇に包まれば、心は沈んでいくだろう。それが凶暴化につながっているとしたら……。
あの荒廃した世界は、どこかの世界の未来の姿だ。

だからアルセウスはあんなにも必死に、助けを求めてきたのだろう。たまたまいたのが自分だったからなのか、それとも自分を選んだのかはわからない。でも見てしまった。気づいてしまった。どこかの世界のポケモンが苦しんでいる。なら、見捨てることなんてできない。

静かな呼吸音だけが部屋に響く。それはひとえに「研究者」としてアイルの発言の続きを待っているに他ならなかった。誰も否定も、口を挟むこともしない。
そのことに感謝しながら、アイルは続ける。

「私がアルセウスに見せられた世界には人間がいませんでした。だから、今、私たちが生きているこの世界と地続きなのかはわかりません。もしかしたらパラレルワールドと呼ばれる世界なのかもしれない」
 
実際、そういう研究はなされている。代表的なのがアローラ地方のものだ。
どちらにしろ、この歯車の謎を解くにはポケモンたちだけでは手に余るということなのだろう。人の手が無いと、真実にたどりつけないのかもしれない。だからアルセウスはアイルに、人に、接触した。
 
人間とポケモンはお互いに協力して生きている。お互いに不足しているところを補い、支えているからこそ、共に生きることを選んだのだ。
ポケモンレンジャーとして生きていたアイルは、そのことを間近で感じていた。誇りにさえ、思っている。

「それに人がいてもいなくても、あの見せられた世界は退廃していた。あそこで満足な研究ができるとは思えません」
 
人とポケモンが共に生き、設備も整ったこの世界で『時の歯車』の秘密を解き明かし、果てるあの世界へ伝える。アルセウスはそれを望んでいるのではないだろうか。

「ただこの謎を解くだけじゃない。『歯車』を正しい状態へ戻し、アルセウスへ……あの世界へ返すことが、きっと私に課せられた使命なんです」

途方も無く重くて、目眩がするほど果てのない使命。それが自身の肩に置かれていると思うと、呼吸もできないほどの不安を感じる。でも少しずつ、ほんの少しずつだけれど、実を結び始めている。そう思えるようになったとはきっと――。
 
隣へ向きそうになる視線を堪え、アイルは腰のモンスターボールを一つ取り外す。中にいるのはルカリオだ。それを『歯車』の傍に置く。

「このルカリオは『時間エネルギー』に類似した波導を生み出すことができます。会席の際に、きっとお役に立てると思います」
 
波導もいわばエネルギー波の一種である。あの洞窟で共にいてアルセウスの波動を感じたルカリオだから、生み出すことのできる特別なチカラ。

「調査費用はもちろんお支払いいたします。全額、必ず。だから、ダイゴさん。お力を貸していただけないでしょうか」
 
深々とダイゴに向かって頭を下げるアイル。そんな彼女を見つめながら、ダイゴはゆっくりと口を開いた。

「条件が二つある」
「伺います」
 
そんな固くならなくても難しいことじゃない、と彼は優しげな声で続ける。

「まずはデボンコーポレーションのツワブキダイゴとしての条件。今回の調査で判明した『時の歯車』のデータはデボンで独占させてほしい」
「それは……」
「もちろん君とデボン以外の人間がデータを使用したいとなったときは、使用料を徴収させてもらう。前提として大々的にデータを所持していることは公表するつもりは無いけれど、一応ね。こういうことを決めるのは大事だから」
「……わかりました。もう一つの条件は?」
「今度はホウエンチャンピオン・ダイゴとしての条件。この一連の研究をまとめて、各地方のライブラリに書面とデータの両方で残すようにしてほしい」
 
えっ、とアイルは声をあげた。意味がよく理解できなかったからだ。
しかしこの場にいるチャンピオンたちは異なるようで、ダイゴの言葉に「おれたちからも頼む」とワタルは同意した。
まさかワタルからも言われるとは思わず、彼女は狼狽えた表情を浮かべる。ダイゴがすぐさまフォローを入れた。

「アイルさんは先ほど今回のアルセウスの一件について『あくまで想像だ』と言ったけれど、正直なところボクはその想像こそが正解だと思っている」
 
そこらへんはシロナさんのほうが詳しいかな? と彼はシンオウチャンピオンへ話を振った。

「そうね。アルセウスがわざわざ姿を見せたという点からも、信憑性は高いと思うわ」
「し、シロナさんまで……」
 
シンオウ神話を専攻するシロナにまで肯定されれば、アイルは何も言えなくなってしまう。おろおろとする彼女に向かって、今度はワタルが追撃する。

「つまり、再び『時の歯車』がチカラを失ったときに、おれたち――この世界の人間へアルセウスが助けを求める可能性があるということだ。そうなったときに、アイルくんの研究が役立つ」
 
言われてアイルもようやく合点がいく。確かに、その通りだ。エネルギーを放出するのなら、尽きることは当たり前。ならば「次」の可能性を視野にいれる必要がある。それがどんなに未来になったとしても、今、備えることに越したことはない。次に使命を託された人間が自分のように呆然とすることは無くなるはず。

それに気づいたとき、緊張が背筋を駆けた。自身の研究結果が後世にずっと残っていくかもしれない。それはすごいことだ。高揚半分、不安が半分。それが緊張感となり、アイルを支配シル。そんな彼女を置いていくようにチャンピオンたちは、話を進めていく。

「セキエイ、ホウエン、シンオウだけじゃないイッシュやカロス――他の地方のリーグライブラリにも残しておいたほうがいいだろう」
 
ワタルの言葉に「そうだね」とダイゴも頷いた。

「そういうことなんだけど、どうかな? この二つの条件を受け入れてくれるならボクも全面的に協力を惜しまない」

彼は甘い笑みを浮かべ、かわいらしく首を傾げた。その姿は裏表のない好青年のように見える。実際のところ、ダイゴはまごう事なきホウエンチャンピオンなだけあって、腹の奥底は見ることができないのだが。
そして、あいにくとアイルはそこまで腹の探り合いが得意なほうではない。だから、彼の言葉をのむしか道は残されていない。ここまできたら、なんでもしてやる! とばかりにアイルは手を差し出す。

「よろしくお願いします!」
「ふふ、交渉成立。改めてよろしくね、アイルさん。すぐに契約書を用意するよ」
 
ダイゴは楽しそうに彼女の手を取り、握手を交わした。
 
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