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ダイゴへの解析依頼が完了し一段落したとはいえ、他にもやることは山積みだ。 
次にアイルが見据える先はセレビィとの接触である。シンオウ神話の一柱であるディアルガよりも、土地神として信仰されているセレビィのほうがまだ邂逅しやすいと考えたのだ。実際、セレビィを目撃したという情報は多く、中には一年以内に見たという証言もあるほど。

セレビィと思わしきポケモンと遭遇したとされる時間は未明から明け方にかけてがほとんどだった。ならば、と考えたアイルは夜中に宿を出て、日が昇るまでウバメの森にある祠の傍で張り込みをすることにした。端から見れば不審者極まりないが、背に腹は代えられない。あとワタルにもバレるのもアウト。そうなったあかつきには、眉をひそめ渋い顔をする彼が目に浮かぶ。ついでにそこそこなお説教もセットでついてくるに違いない。
 
そんな生活をし続け、今日ではや一週間。
幸いなことに未だワタルの雷は落ちていない。胸を撫で下ろしつつ、気を引き締める。しばらくはこのままバレないように努めないと。残念なことにセレビィの気配も感じられないからだ。

「時間ずらしたほうがいいのかな……」

草むらの中、身を顰めるアイルは「どう思う?」と隣にいたエネコに尋ねるが、相棒はのんきにあくびを返すだけだった。確かに不規則な生活をしているせいで寝不足は否めない。でも、それはないんじゃないか。アイルは不満げにくちびるをとがらせる。
しかしこうも不発に終わるのなら、方法を見直さないといけないことも確か。先に倒れしまったら意味が無い。

「どうしようかなぁ」
 
エネコにつられ、アイルもあくびを一つ。すると、とろりとした眠気が広がっていく。だめだ、と感じたときにはもう遅い。彼女の瞼はゆっくりと閉じていった。


***

 
突如、殴られたように意識が浮上する。寝ていた! と飛び起きたアイルの視界に入ってきたのは見慣れない木の机だった。ささくれていて、油断すれば怪我をしてしまいそうなそれは、お世辞にもいい品とはいえない。寝ぼけた頭はさらに混乱する。さっきまでウバメの森にいたはずなのに。

慎重に周囲を見渡すと、ここは古びたログハウスのような場所に見える。しかもかなり年季が入っている。どこからか吹き込む隙間風が寒い。薄暗くて、ちらちらと揺れるランプの灯りがなんとも心もとなかった。

「なんだ、目が覚めたのか」
 
耳にしたことのない青年の声が聞こえて、息が止まる。慌てて振り向くと、ドアの近くに一匹のジュプトルがいた。ちょうど部屋に入ってきたのかもしれない。しかし、ジュプトルの隣にトレーナーの姿はない。なら、声の持ち主はどこへ?
ジュプトルはじっとアイルを見つめ、口を開く。

「もう少し寝ていてもよかったんだぞ」
「……えっ!?」
「なんだ、その呆けた顔は」
「えっ、だ、だって」
 
ポケモンがしゃべっている!
叫びは喉から出てこない。あまりの驚きに声が出ないのだ。ジュプトルはその様子を見て「もしかして」と呆れたようにため息をつく。

「お前、まだ慣れないのか? この前、ユクシーたちに話せるようにしてもらったんじゃないか」
「え、ええ……?」
 
話についていかれない。ユクシーといえば、シンオウ地方のエイチ湖に住む「知識の神」と呼ばれるポケモンだ。そのユクシーにポケモンと話せるようにしてもらったと、このジュプトルは言っている。一体どういうことかとアイルの思考回路はフルに回り、やがて一つの結論にたどり着く。
もしかしてここは、アルセウスに見せられた「あの世界」なのでは、と。
言われてみればこの異様な薄暗さにも納得がいく。夜かと思ったがそういう暗さではない。そして目の前のジュプトル。彼はあの時見たキモリが進化したのでは――
 
しかし、仮にここが「あの世界」なら、ちゃんとあの世界には『人間』がいたことになる。ジュプトルがアイルを見て警戒をしていないこと、そして今の会話を加味すると、おそらくアイル自身≠ェここに来てしまったという線は薄いのだろう。鏡で姿を見てみないことには断定できないが、もともと彼の仲間である人間へ、アイルの意識だけが入ってしまったと考えるのが無難だ。なにせアイルが動かすことのできる手にはちゃんと人間の指≠ネのだから。つまり、数が少ないだけで『人間』はちゃんと存在しているということになる。
ジュプトルは、悶々と悩む彼女を眺め、気づいたかのようにキッと睨みつけた。

「お前、オレの相棒じゃないな?」
「あ、え、えっと……」
 
気づかれるのが早い。そして正解である。

「お前は誰だ」
 
今にも飛びかかりそうな彼へ釈明の言葉を探す。人です、と言っていいのだろうか。正直に。加えてこの時間に生きている人ではないことも。それはさすがに危ない橋だと考えずともわかる。こういうときにエネコがいてくれれば、仲裁を頼んだのに! とパートナーへ八つ当たりをするが、事態が好転するわけでもない。

「おい、答えろ」
 
追及は止まらない。ええいままよ! とばかりに、アイルは小さな声を絞り出す。

「わ、私は……エネコです」
「は?」
「と、遠くの森で寝ていて気づいたら、この人の中に入っていて。だから驚いちゃって……」
 
無理があることは自身が一番理解している。でもかといって、正直に「人間でいつの間にか意識だけがこっちにきています。あとこの時代に生きている人間じゃないんですよね」とは言えない。
ジュプトルは訝しげな視線を投げかけた後「害が無ければいい」と受け入れたようだった。

「自分で言うのもなんだけど、よく信じたね?」
「そうなってもおかしくは無いヤツだからな。あと、たしかにあいつはエネコっぽいところもある」
「そういう……?」
 
この人≠ヘいったいどんな方なのだろうか。ポケモンと話せるという時点でなかなか変わっているのかもしれない、とアイルは無理に納得する。
ジュプトルは複雑な表情を浮かべる彼女に「ちょうどいい」と尋ねる。

「お前、『時の歯車』というものを知っているか?」
「え」
 
耳を疑った。今、『時の歯車』と聞こえたような――

「この世界を救う鍵になるらしくてな。今、オレたちはそれを調査しているんだ」
 
曰く、この前探検したダンジョンの奥、固そうな箱に入った手帳に『時の歯車』についての記述があったとのこと。それを解明すれば、この世界に光を取り戻すことができるかもしれない、と書かれたらしい。

「とある人間が、研究をしてくれたようだ。オレたちは、それにかなり助けられている。なにより、ようやく手に入れたわずかな希望だ。お前は遠くから来たんだろう? なにか知っていたら……」
 
そう言ってジュプトルは口をつぐんだ。みるみるうちに目を見開き、慌てたようにアイルに駆け寄った。

「目にゴミでも入ったのか!? 急に涙を流して、どうしたんだ。確かにここは隙間風も多い、決していい家とは言えないが……」
「ち、ちが……」
 
流れる滴を拭い、アイルは息を整える。そしてジュプトルをまっすぐに見つめ、訊く。

「その研究は役に立っている?」
「……? ああ、もちろんだ。これのおかげで、オレたちはもう一度、立ち上がろうと決意したんだからな。きっと時間を、朝陽を取り戻してみせる」
 
それだけで充分だった。ジュプトルが指しているその研究というのはアイルが遂げたものではないかもしれない。けれど、わずかでも自分の研究が繋がっている。その確証があった。
きっと無駄にはならない。いま、アイルがもがいている全ては繋がっていく。目の前のジュプトルの言葉が、存在が彼女を勇気づけた。

「ありがとう。気づいてくれて、繋げてくれて」
 
彼女は思わずジュプトルの手を掴む。瞬間、頭の後ろへと意識が引っ張られる感覚が襲った。タイムリミットということなのだろうか。それでもアイルは目の前のポケモンに――おそらくこれから自身の研究を託す相手へ叫んだ。

「絶対に届けてみせるから! わずかでも、どんなことでも、私ができることを全て、あなたへ繋いでみせる! だから負けないでね!」
 
ぷつんと意識が落ちる。まるでブレーカーを落としたように。
力の抜けた身体が地へ倒れる浮遊感。それがその世界でアイルが最後に感じたものだった。


***


「わぁ!」
 
勢いよく飛び起きたアイルに驚き後退る少年。その横で同じ年ほどの目つきの悪い赤髪の少年が「だから言っただろ」と苦言をもらした。
見慣れない子供二人の背に広がるのは見慣れた森の風景。つまりここはウバメの森でいいのだろうか?
ふいに身体へぬくもりを感じる。

「エネコ……」
 
すり寄ってくる相棒の頭を撫でた。彼女が落ち着いているということは、自分はただ寝ていたということに違いない。つまり意識だけがあの世界へ飛んでいた。なぜと考えて、この場所のことを思い出す。

「セレビィ……?」
 
視線を向けた先に佇む祠。ぞくりと背筋が寒くなる。あのポケモンに、世界を越えるチカラがあるとは聞いたことはない。でも「ありえない」と切り捨てることもできない。それだけポケモンは不思議な生き物だから。

「あの……お姉さん」
 
おずおずとした声がアイルに降ってくる。帽子を被り、赤いジャケットを着た少年は――先ほどアイルとぶつかりそうになった子だ――視線を彷徨わせつつ、尋ねた。

「こんなところでどうしたんですか?」
「え、っと……」
 
確かにこんな場所で寝ていたら不審がられるに決まっている。腕時計を見れば、時刻は昼の十二時を過ぎていた。こんな時間まで森で寝こけているとなると、余計に怪しい。しかも野宿しているにしては軽装すぎる。
これは誤魔化せないな、と諦めてアイルは素直にセレビィを探していたと答えた。

「セレビィを、だと?」
 
赤髪の少年が鋭い視線でこちらを睨む。とはいえ、所詮子供。怯むには値しない。もっと怖い人をアイルが知っているからでもある。

「そうだよ。私は研究者なの。セレビィについてのね」
「見えないな」
「い、言うねぇ……君……」
 
ぐさりと刺さる言葉を発する少年は「それで? 具体的には?」と質問を重ねる。

「言えないわけじゃないだろ?」
「ポケモンが持つエネルギーに関しての研究。だからセレビィに会いたくて、ここで張り込みしていたの。これ以上は秘密」
 
アイルの答えを聞いて、赤髪の少年は「隠さない方がいいと思うけどな」と素っ気なく言う。

「その言葉、半分本当で半分は嘘だろ」
「……どうしてそう思うの?」
「隠し事をしている人間の眼はわかりやすい」
 
オレみたいにな、と吐き捨てた言葉はアイルには聞き取れなかった。

「本当のことを言えよ。隠していてもいいことないぞ」
「……あいにくだけど、そっくりそのまま君たちに返すよ。あなたたちは何者?」
 
彼らにとってアイルが怪しいのなら、アイルにとって彼らも同様の存在だった。
一触即発といった空気がその少年とアイルの間に漂う。お互いに次の手を探り合っている。どちらも下手なことは言えないことをわかっていたからだ。
均衡状態を破ったのはもう一人の少年だった。

「……セレビィの研究をしているということは、ワタルさんの許可を取っていますよね?」
「え? もちろんだけど……」
 
少年は何かを考え、アイルへ名乗る。

「ぼくはヒビキ、こっちはシルバー」
「おい、何を勝手に」
 
口を挟むシルバーにヒビキは首を振った。

「お姉さんが悪い人だとは思えないよ。それに――」
 
ヒビキは祠に視線を向ける。その姿にアイルは疑問を抱くが、その問いを口にする前に彼は言葉を続けた。

「ぼくやシルバーのことを疑うのはわかります。だからワタルさんに訊いてみてください。そうすればぼくたちのことがわかります」
「ワタルさんに?」
「はい。そうしたら、本当のことを教えてください。――ぼくらはあなたに協力したい。ううん、協力したいって思っているんです」
 
ぼくら≠ニはいったい誰だろうか。それはきっと隣にいるシルバーではないようにアイルには思えた。もっと他の誰か≠彼は指している。

「ヒビキくん、あなたは……」
「ちゃんと教えてくれたら、会わせることができます」
 
セレビィに、とヒビキは静かに告げた。
 
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