首が痛くなるほどの大きな本棚。そこにぎっしりと詰められた書籍の数々。インクと紙の独特なにおいが鼻を擽った。

「幻のポケモンについては、こっちの本棚のほうにあったはずだけれど……」

そう呟きながら本棚を探すワタルの後ろをアイルはとことこ着いていく。興味津々といったように周りを見回す彼女に、ワタルは隠れて笑う。しかし、静かな書庫なこともありアイルにもその音はばっちり聞こえたようだ。すぐさま取り繕うように居住まいを正した彼女の姿を見て、ワタルには「もったいないな」という感情が浮かびあがる。結構かわいかったのに、と。

今朝、買ったのにいまいち出番の無かったアイルの端末に彼から電話が来た。(自然公園で番号を交換していたことを忘れていたのは内緒だ)
曰く、ポケモンリーグにある資料室に幻のポケモンについての書籍があることに気づいたから、確認しにこないか? とのこと。ちょうど、ヒワダの資料についても一段落したところだったので、当たり前のように誘いを受け、久しぶりにポケモンリーグへやってきたというわけである。

「お、あった。――あそこのあたりなんだが、届くか?」

なにせアイルの身長は一般的な平均身長より少し低い。まるで彼女の手持ちのエネコのように、小さい姿をしている。その小さな彼女は「大丈夫です!」と胸を張った。

「脚立もありますし! ありがとうございます」

それに届かなければポケモンたちに頼るつもりだと答えた。
確かに彼女の手持ちならば大丈夫だろう。特にルカリオはずいぶんとしっかりとしているようだから。

「じゃあ、おれは戻るけれど、なにかあったらバトルフィールドのほうへ来てくれ」
「はい。いろいろとありがとうございました」
 
じゃあ、と手を挙げて去るワタルにアイルは頭を下げて、見送る。彼が部屋から出た頃、よし、と本棚を見上げた。

「頑張りますか!」
 
まずはここから、とアイルは目に入った一冊を、本棚から抜きだした。


***


ズシン、と身体が震え、意識が戻る。しばらくすると、また大きな揺れ。勝手にボールから出てきたエネコと顔を見合わせる。
資料室の床に積み上げられた本の山が崩れるかもしれない。ここは資料室だからテーブルなどが無くて、直接山積みにしていたことを少し後悔する。(元からここは長居する場所じゃないせいもあるのだろう) アイルはせめてもと思い、山を分割した。無駄では? と相棒の視線が刺さるが気づかないフリをしながら。
しかし、揺れはいまだ続いている。地震のような揺れではなさそうだが、ではいったいこれはなんだろうか――

「あ、そっか」
 
ピンと思いつく。バトルかもしれない。元よりここはそういう場所だった。この資料室があるバックオフィスはリーグを支えるスタッフが仕事をしている場所だが、一歩表に出ればそこは四天王とチャンピオンが挑戦者を待つバトルの聖地、セキエイリーグ。ポケモンバトルをしているのならば、この地響きも納得がいく。ワタルもさることながら、四天王の面々の手持ちを思い出す。そりゃあ揺れの1つや2つ、日常茶飯事だろう。

「リルル! リルル!」
 
手伝いのためにボールから出していたマリルリがアイルの服を引っ張る。バトル好きな性格をしているから、観戦に行きたいのだろう。そんなマリルリにアイルはにやりと笑った。

「ん〜、どうしようかなぁ」
「リル!」
「え〜」
「……ニー」
 
マリルリをからかうアイルを咎めるようにエネコは鳴いた。いい加減にしなさい、と呆れている様子で、マリルリもようやく自分が遊ばれていることに気づく。ぷくっと頬を膨らませる彼女に「ごめんごめん」と詫びるように頭を撫でた。

「せっかくだから、ちょっと見に行こうか。あ、でもダメだったら大人しく帰ろうね」
「リル!」
 
教えられた通路を通り、バトルフィールドへの階段を登る。途中で出会った職員に話を聞けば、チャンピオンのフィールドでバトルを行っているようだ。つまり、ワタルがバトルしていることとなる。そこへ通じるドアを開けば、熱気と轟音が一気に流れ込んできた。

「すごい……!」
 
バトルフィールドを上から眺める観戦席の数は潤沢だ。さすがチャンピオンのフィールド。ちらほらと観戦者もいるから、ここにいても大丈夫だろう。
アイルは端の空いている席に座った。休憩も兼ねてポケモンたちも出し、バトルへ目を移す。
てっきり彼は挑戦者とバトルしているのかと思っていたが違うようだ。相手は四天王の1人であるシバ。エキシビションバトルのようなものだろうか。

「あら、あなたも観戦?」
「! か、カリンさん」
「ふふ、そんなに緊張しなくてもよくってよ」
 
優雅に微笑み、自然な動作で隣に座る彼女にアイルは思わず見惚れる。何度もレポート提出にきていたから彼女を含め四天王たちとはすっかり顔なじみになってしまった。
それにしても、同じ女性なのにどうしてここまで、雰囲気が違うのか。自分も髪の手入れをこまめにしたり、露出を増やせば、もう少し色気が出るかもしれない。よし、試してみよう。
そんな彼女の心中を知らず「休憩かしら?」とカリンは再度問いかけてきたため、素直に頷いた。

「あっ、もしかしてなんかチケットとか必要でした?」
 
なにせ、四天王とチャンピンのバトルだ。観戦チケットが必要だと言われてもおかしくは無い。しかし、カリンはその言葉を否定した。このバトルはただの腕試しだと言う。
チャンピオンと四天王はお互いの腕が衰えないように、時にこうしてバトルをするとのこと。その際は一般公開し、リーグに挑戦するトレーナーは己の対策に役立てるという。

「たった数回のバトルを見られたけで、あたくしたちはそう簡単に倒されはしないのだけれどね」
「さ、さすがです」

ゆらりと揺れる瞳に息を飲む。そこにあるのは絶対的な自信だ。自分のバトルに対するプライドが見て取れる。
バトルトレーナーで生きていける人間は数少ない。しかもこうして四天王の地位を得ているカリンは、いったいどのくらいの覚悟と経験を経てきたのだろうか。自身には想像できないそれに、アイルは想いを馳せる。四天王の将として席を置くまでの努力は、計り知れないものに違いない。

そしてそれはあの人も同じ。フィールドに立つ彼に、自然と視線が移った。紺のマントが翻り、紅い髪が煌めいた。挑発的に、そして楽しげにあがる口元。しかし、腕を組んだ姿にはどこか余裕さえ感じる。その光景はすごく――

「かっこいいですね」

ぽつりと心からの言葉が彼女から漏れた。かっこいい。バトルに賭けるその熱も、それを背負う彼も、すごくすごくかっこいい。アイルとは違う情熱を傾け、高みを目指す。その光景を今、目にしている。

「本当、かっこいいです」
 
ワタルへ視線を向けるアイルの瞳に、カリンは「あら?」と首を傾げた。たった今、小さく芽吹いたその熱に気づいてしまったのだ。同時に面白いものを見つけたように、頬を染める。ああ、でもこれはつついたらもったいない。ゆっくりと見守らせてもらおう。楽しみは長く続いたほうがいいのだから。
だから今は――

「あら? あたくしは?」

こうやって話を逸らしてしまう。

「もちろん、かっこいいです! 今度はぜひカリンさんのバトルも拝見したいです!」
「ふふ、期待してちょうだい」
 
眼下のフィールドではワタルがちょうど勝利を収めていた。
 
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