「そんで? ポケモンレンジャーさんの意見を聞こうか?」
「あはは、『元』ですけどね。……スピアーがこうなった原因に目星は?」
「ポケモンバトルの最中、群れの一体にちょうおんぱ≠ェ当たっちまったみたいだな」

なるほど。そのスピアーがリーダーだったのだろう。だから統率が崩れてしまい、群れ全体が混乱に陥った。そして、無差別に人もポケモンもかからず襲っている――というところだろう。
その結論にはアイルだけではなく二人も辿りついているようで「問題はそのスピアーにどう接触をするか、だな」とワタルは言った。

「混乱がいつかは解けるっていったって、放っておくわけにもいかない。その間にも被害が増えるしな。加えて、群れも大きいから、これ以上トキワの方に広がってほしくもない。けれど、スピアーたちも被害者――」
「むやみに傷つけたくない、ということですね」
「そういうことだ」
 
アイルの言葉に、グリーンがお手上げだとばかりに肩をすくめる。
確かに彼の言うとおり、今は技のほえる≠使い、群れの前線を押しとどめているが限界も来る。その間に混乱が解ける保証はない。解けたところで、統率の崩れた群れを整えるのにはさらに時間がかかるだろう。なら、一番確実で早いのは、リーダーと接触すること。

アイルは無意識に左手首を触った。キャプチャ・スタイラー――ポケモンレンジャーが使用する、ポケモンたちと心を通わせることのできるアイテムだ――の影を無意識に求めてしまうのは、彼女の悪い癖の一つである。
自身の無意識の行動に気づくと、アイルは首を振ってその考えを脳内から追い出した。「たられば」を考えても意味がない。今いる手持ちポケモン、そして手段で最善を尽くす。
それが今のアイルが『やれること』に他ならない。

脳内で作戦を立てる。筋道を立て、通すために必要なものを考える。――大丈夫、やれる。
道は繋がった。

「……なんでもなおしとキーの実は用意できますか?」
「ああ。もちろん」

アイルの問いにグリーンは当たり前のように答えた。なら、いける、と確信を持つ。大きく深呼吸をして、アイルは2人のトレーナーと向き合った。

「私がやります。お任せいただけますか?」
「手段があると?」
「はい。信じてください」

眉根を潜めるワタルの言葉に彼女は頷いた。疑っているというよりも、アイルだけに任せるということに気が乗らないのだろう。しかし、二人で協議していても仕方ない。アイルは渋い表情の彼から目を逸らし、グリーンに再度「任せてほしい」と告げれば、若いジムリーダーはすんなりとOKを出した。
管轄責任者の許可も得たので、遠慮なく騒がしい前線まで足を進める。トレーナーたちにスペースを空けてもらい、ボールからデンチュラをそこへ出した。

「デンチュラ、むしのさざめき≠ナスピアーたちにコンタクトを取れるよね? リーダーに会わせてほしいことを伝えて」

アイルの指示にデンチュラは相手にダメージを与えない、最低限の威力でむしのさざめき≠放つ。これでスピアーたちの意識を向けさせることができるはずだ。
難しいようならルカリオの派導≠熄謔ケれば……と考えていたが、彼女の予想したとおりデンチュラからの信号を受け取ったスピアーたちは、近くの個体から徐々に落ち着きを取り戻していく。
しばらくすると群れから離れた1匹がアイルの元へやってきた。警戒したエネコとデンチュラが毛を逆立てるので、落ち着くように言って、その個体へ話しかける。

「君たちのリーダーの混乱を解きたいの。連れて行ってくれる?」

気持ちを伝えるように、ゆっくりと静かに語りかけた。敵意は無い、と彼の赤い目を見る。アイルの気持ちが伝わったのか、スピアーはこくりと頷き、ついてこいと背を向けた。

「グリーンくん、なんでもなおしとキーの実をもらえますか?」

後ろに控えていた彼からそれらを受け取る。
渡したとき、グリーンは「大丈夫なのか?」と尋ねた。今の様子からアイルにポケモンレンジャーが必ず持つ『キャプチャ・スタイラー』が無いことがわかった。それが少し不安なのだ。 

レンジャーといえば、キャプチャ・スタイラーでポケモンと心を通わせるのが一般的。『元』とはいえ、それを所持しているとてっきり思っていたのだ。彼女から滲んでいた自信が、そう思わせたのもある。しかし、蓋を開いてみれば、それを持っていないという。ある意味丸腰である彼女に全て任せてもいいか、今更ながら不安に思ったのだ。
アイルは問題ないと笑う。大丈夫、心配しないでほしい、とも。

「アイルくん、おれも行く」

グリーンの横からワタルが一歩前へ出る。だが、アイルはゆるりと首を振った。

「いえ、ワタルさんはここに。あまり大勢で行くと警戒されます。そうだ。私の代わりにエネコを頼めますか?」
「だが……」
「大丈夫ですって! 私、凄腕のポケモンレンジャーだって言っているでしょう?」
 
ふふん、とアイルは胸を張り挑戦的に笑う。

「……『元』だろう?」

ふっと緩まる口元と目元。彼女の軽口をチャンピオンはお気に召したようだ。気をつけて、と送り出される声音は、先程よりもやわらかい。

「はい! デンチュラ、行こう」

デンチュラと共にスピアーの後ろをついていく。他のスピアー達が道を空けているところを見ると、案内役の個体は群れのNo.2あたりかもしれないと目星がついた。
森の中に入れば、だんだんあたりが薄暗くなってくる。考えていたより随分と大勢の群れのようだ。アイルは思わず腰のボールに指が触れた。

万が一、囲まれて襲われたりしたら、戦闘になることは避けられない。ボールを取り出している暇があるだろうか、不安がよぎる。エネコにもついてきてもらえばよかったかもしれない。こういう時の手札は多ければ多いほどいいというのに。
デンチュラの鳴き声で、迷っていた意識が戻る。気づけば案内役は、進むのをやめていた。

「……あのスピアーがリーダーなのかな」

アイルの目に入ったのは一際身体の大きい、そしてふらふらと飛ぶスピアー。この状態から見るに、まだ混乱は解けていないようだ。
リーダーの周りに他のスピアーはいない。もしかしたら他の個体を攻撃していた可能性がある。そう考えれば、群れの統率が崩れたことにも合点がいく。他のスピアー達もまた、違う意味で混乱していたのだ。
リーダーのスピアーを視界にとらえたデンチュラは、先程と同じようにむしのはどう≠ナ、コンタクトを取る。なんだかんだ言って多少混乱していても同じ虫ポケモン同士。こちらの意図が伝わる、と思っていた――

「っ!」

瞬きを凌ぐ速さ。スピアーがアイルへ襲いかかってきた。
反射的に左腕で顔をガードする。途端に鋭い痛みが走った。毒針が肌を掠ったのだろう。傷口を確認すれば、ピリピリと痺れが伝わってくる。

威嚇し、羽根を震わせるスピアーの身体を、そのまま左手で掴んだ。右手でポケットの中を探り、ようやく見つけたキーの実を急いで取り出す。スピアーの口元に触れさせ、「食べて」と声をかけた。
スピアーは押しつけられたものが、きのみであることを本能で気づいたのだろう。響く羽音が余計に大きくなり、次第に落ち着いてくる。おずおずとようやくそれをかじった。手にその感触が伝わってくる。

「大丈夫、大丈夫」

アイルは穏やかに優しく、ゆっくりと静かに囁く。それは殺気立つスピアーと、その彼に今にも襲いかかりそうなデンチュラに向けての言葉だった。
大丈夫、落ち着いて。と言葉をかけ続けると、そのうちキーの実が効いてきたのか、スピアーはアイルから距離を取った。混乱が解けたのだと確信する。
今なら言葉がちゃんと通じるに違いない。

「混乱させてごめんなさい。群れを率いて、ここを離れてくれるかな? 君の仲間たちも、私の仲間たちも、どちらも今はピリピリしているから」

アイルの言葉を聞いて、スピアーは羽根を震わせた。彼らにおける連絡の取り方なのだろう。様子を伺いにきていた他のスピアーたちも同じような仕草が、伝播していく。
ほどなくして、スピアーたちが森の中へ戻っていく。大群が自分の目の前を通って行く姿は壮観だ。状況を忘れ、ついアイルはそれを見入ってしまう。
こういう光景を見るたびに、ポケモンと人は隣り合わせで生きているのだと言葉にできない感動が胸に満ちた。

よかった、もうこれで大丈夫。アイルは身体の力を抜いて、地面に座り込む。この様子なら、2番道路で暴れていたスピアー達はほぼいなくなったはず。

「いった………」

気が抜けたせいか、忘れていた痛みがぶり返してくる。脂汗も額に滲んできた。すぐさまポケットの中から使わなかったなんでも直しを取りだして、腕の傷に吹きかけた。
応急処置だけれど、やらないよりましなはず。早いところ病院に行かないといけない。もしくはポケモンセンター。とにかく、相応の知識の持っている人に診てもらわないといけない。そういう類いの痛みがアイルを刺し続ける。

スピアーの毒針って、どんな効果だったっけ……と痛みで鈍る彼女の頭が必死に考えていると、耳が音を拾った。
聞き慣れた鳴き声に振り向く。こちらに一目散に走ってくるエネコが見えて、思わず口元が緩んだ。その後ろにはワタルもいる。

「アイルくん!」
「ワタルさん……」
「こちらのスピアーが引き上げたから、もしやと思って……きみ、まさか怪我を?」
「あはは、ドジりました」

へにゃりと誤魔化すように笑う。するとワタルは奥歯をギリリと音を立てて噛みしめ、彼女の傍らに膝を折る。アイルを気遣いながら――しかし力は強く――左腕に触れ、じとりと傷口を診た。

「毒針が掠ったか?」
「おそらく」
「なんという無茶を」
「無茶じゃありません」
「…………」
「無茶ではありませんでした。たまたまの結果です」

まっすぐ見つめてくるアイルにワタルが言葉を詰まらせた。顔色は悪く、痛みに耐える彼女の瞳に力は無い。しかし、何も言えなくなってしまった。お説教の言葉はたくさんあるというのに。
だからアイルがデンチュラをボールに戻す光景を見つめながら、ワタルは拳を握りしめることしかできないでいた。どんな言葉をかければ、彼女へこの胸に渦巻く感情が伝わるのか、と。

少し遅れてやってきたグリーンは「ワタル! アイル!」と駆け寄ってくる。彼にワタルは「病院かポケモンセンターの準備は?」と尋ねる。

「何かあったときのために、ポケモンセンターに話を通してあるぜ」
「あとは頼めるか?」
「当たり前だろ。元々トキワの事件なんだから」

ワタルはその言葉を聞くやいなや、アイルの身体に手を回す。「触れるよ」と断りを入れるが、彼女の返事は聞いていない。そもそもアイルにとっては急な出来事で、何が起きたかはわからない。

「ひゃっ!」
ぐいっと宙にあがる身体に思わず声が漏れる。高くなった視界、近くなった彼の顔。端的に言うと、アイルはワタルに横抱きされていた。俗に言うお姫様抱っこというヤツ。
 脳がショートする。なんでこうなった? と考えるが、答えは出ない。次第に、アイルは自身の状況を考えることを放棄した。そんな現実逃避をする彼女に、ワタルは告げる。

「口を閉じておいてくれ。走るから舌を噛む」
「え」

言葉通り彼は走り出した。自分を抱えているというのに、そのスピードは速い。思わず彼の服を掴んで、揺れに耐える。

「アイル!」
グリーンはひらりと手を振り、声を張り上げる。その姿はなんとまあ絵になることか。彼の格好良さが存分に発揮されていて、これは女の子が放っておかないぞ、なんて関係ないことを思ってしまうほどに。

「ありがとな!」
「……どういたしまして!」

正直なところ、あまり力になれたかわからない。けれど、最大の目的であるスピアーの群れはトキワを離れ、住処へ戻ったし、大きな被害はない。
病院のお世話になるのは自分1人。上々の結果にアイルはつい顔をほころばせた。

「…………」

ふいに抱えられる腕の力が強くなる。心なしか彼との距離も近くなっているような。鍛えられた胸板がアイルの頬に触れる。慌てて見上げれば、ものすごくその顔は怒っているように見えて――

「助けて……くれないよね?」

後ろを着いてくるエネコに小声でこっそりと助けを求めるが「自分も怒っているんだ!」とばかりに、無視されてしまった。
 
ALICE+