ぐいっと身体を伸ばすと、骨がぽきりと鳴った。アイルは今、キキョウシティにいる。この街にある「マダツボミの塔」が目的。なんでもそこにいる僧侶がセレビィを見たと噂を聞き、訪ねた。
確かに彼の話は貴重なものだったので、ついつい話を聞くのに夢中になってしまった。縮こまった身体が悲鳴をあげている。

「ちょっと緊張しちゃったね」
「ニー」
 
なにせあの塔は修行の地。ただよう雰囲気も厳格そのもの。楽にしてください、と言われたが、変な力が入ってしまっていたのだろう。身体を動かす度に、ぽきりとまた鳴った。
それはエネコも同じだったようで、しきりにくるくると動いている。

人心地つくと途端に空腹を感じた。アイルは端末を操作し、次の予定を考える。特に急ぎのものは無いし、アポイントも淹れていない。どこかレストランかファストフードで食事をとろう。
そんなことを考えた矢先、キッチンカーが目に入り、ピンと思いつく。

「せっかくここまで来たから、ついでに『アルフの遺跡』も寄ろう。あそこのキッチンカーのサンドイッチ、美味しそうじゃない? テイクアウトしてから、遺跡に行こっか」

賛成! とばかりにエネコは嬉しそうに鳴いた。それじゃあ決まり、とキッチンカーへ足を向ける。なんでもイッシュ地方で人気だという、おすすめのビレッジサンドを2つ買う。

「これはおまけ! ボールの中の子たちにも、あげてね!」
「ありがとうございます」
「お客さんはキキョウには観光?」

おまけのミニサンドイッチを包むウェイターは、輝く笑顔で尋ねてくる。差し出された紙袋を受取り、お金を渡しながらアイルは答えた。

「えっと、観光みたいなものですね。このあと、アルフの遺跡に行く予定なんです」
「アルフの遺跡かぁ……」

すると彼女は先程の笑顔とは正反対に歯切れの悪い、なんとも言えない気まずそうな表情を浮かべ、誰に隠すわけでもないのに「あのね」と声を落とし囁く。

「正式に公表してないんだけど、最近アルフの遺跡に住むポケモンたちが落ち着かないらしくて」
「落ち着かない? 人を襲うとかですか?」
「そういう感じじゃないらしいんだけど、草むら以外のところからも飛び出してきたり……なんというか遺跡全体が騒がしい感じなの。だからトレーナーがいるポケモンも影響されちゃうかもって、噂が漂っているのよね。ほら、場所が場所じゃない? だからあんまり人を入れないようにしているらしいわ」

まだ立入禁止にしているわけじゃないんだけど……と彼女は苦笑する。

「だから、あなたも気をつけてね」
「わかりました。ありがとうございます」

頭を下げ、カフェを後にした。しかし先程言われた言葉が頭を離れない。

「少し、気になるね」
「ニー……」

過度に注意する必要はないだろうけど、気には止めておこう。襲われたとしても、相手が野生のポケモンならば対処も可能。逆にアイル自身が不安がっていたら、手持ちのポケモンたちに影響してしまう。やはり心配のしすぎはよくない。
なら、まずは腹ごしらえだ。お腹がすいていると何事もマイナス思考へ陥ってしまう。とにもかくにもエネルギーをいれないといけない。紙袋の中のからサンドイッチを取り出し頬張る。

「……おいしい!」
 
人気なのも頷ける。これはリピートありだな、と脳内にメモ。そんな彼女の様子を見て、自分も! と催促するエネコを尻目に、アイルはもう一口、みずみずしいきのみのスライスが見えるサンドイッチにかぶりついた。


***


あのウェイターが言っていたように、アルフの遺跡には平常より人がまばらに見えた。一応、ジョウトの観光地と呼ばれる場所なのに。遺跡の雰囲気も相まって、どこかぴりりとした張り詰めた空気が漂っている。これはタイミングが悪かったかもしれない、とアイルはため息をついた。

せっかくここまで来たのだからと、彼女はバッグの奥底にしまったとあるもの≠取り出す。それは手のひらサイズの歯車。石でできたそれは中央にから外に向かって、時計のような紋様が彫られている。
アイルはそれを見つめ、太陽にかざす。遺跡の影響を受け、何か変化があればと考えたのだ。しかし、特にこれといった違いは見られない。ただの何の変哲もない石のまま、手のひらの上で沈黙している。

その事実が悪い意味で彼女の胸を逸らせた。「何も進んでいない」「何をやっているんだ」と自分を責めている気がしてならないのだ。
耳の奥で聞こえるその声を、頭を振って追い出す。わずかだけでも、一歩だけでも進んでいる。進めているはずだ。――そう信じたい。

「また来ようか、今日はあんまり長居しないほうがよさそうだものね」

本当はツアーガイドあたりを申し込んで、遺跡を回りたかったのだが、今はやめておこう。昼間なのに静まりかえった遺跡は、正直なところ不気味ささえ感じる。誰かに見られているような錯覚さえ襲ってきた。
ふと「このことをワタルは知っているのだろうか?」との考えが頭を過ぎる。
先程の話では、この異変は昨日今日起きたものでは無さそうだ。キキョウシティのジムリーダーは真面目だと聞くし、すでに報告があがっている可能性は高い。

それなら、自分が今ここで感じたことが、何か解決のプラスになるかもしれない。こういうこともトレーナーよりレンジャーが対応する内容に近い。実際、似たような現場を経験したことがある。自分の中でいくつか理由を並べて、端末を取り出そうとして――やめた。

「いや、いやいやいや。さすがにそれは出しゃばりすぎでしょう」

ワタルは忙しいに違いないし、彼ほどの人が対策を講じていないわけがない。そんな状況で自分の所感を伝えて、何になるのだろうか。
距離を間違えてはいけない。あの夜、彼は自分を「友人」と呼んでくれたけれど、それでも立場というものがある。もし、あちらから意見を求められたら話すとしよう。
そろそろ帰るか、とエネコに声をかけようとして、様子がおかしいことにようやく気づく。

「エネコ?」

辺りを警戒している? はたとウェイターの話を思い出した。エネコもこの雰囲気にのまれてしまったかもしれない。

「だいじょ……」
「ニー」

らしくない鋭い声は大きな音を出すな、と言っている。
エネコは一点を見つめたまま、警戒を解こうとしない。だが、その尾でアイルの足を叩き、何かを伝えようとしているようだった。その視線の先へ目を向ける。

「ネイティオ……?」

あの独特な眼差しでこちらを見るネイティオがいた。確かにこの辺りではネイティが生息している。だから、遺跡にいてもおかしくはない。しかし、逃げようともせず、自分たちを見ていて――見ていて?

「!」

その瞳が何に向けられているかに気づいて、アイルは顔色を変える。慌てて、持ちっぱなしだった『歯車』をバッグに仕舞った。 
ネイティオはアイルではなく、この『歯車』を凝視していたのだ。確信できる。エネコはその視線に気づいて、警戒していたのだ。少しでも状態を疑ったことに、胸中で謝罪する。

「走ろう。何かあったらバトルになるかも。そうしたら頼るね」

エネコが頷いたのを確認して、ネイティオから背を向けて、走り出す。一目散に駆けて、ようやく道路に出たときには疲労により足はもつれ、よろけてしまった。崩れ落ちそうになるのを堪え、来た道を振り返る。

「……あのネイティオ、手がかりにつながると思う?」

わからない、でももうネイティオには会いたくない、と言うようにエネコは首を振った。
それにはアイルも同意する。なんだかあのネイティオは少し怖かった。しかし、あのポケモンが自分の知りたいことについて、手がかりを持っているのならそうも言っていられない。
激しく動く胸を押さえ、息を整える。目的に一歩近づいた感覚と言いしれぬ不安が予感となって、背筋を駆ける。

そして、それはあいにくと的中するのだった。
 
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