「やっぱりときわたり≠フ際に生じるエネルギーが関係しているところまでは、合っているはず。セレビィへのコンタクト、そしてエネルギーをどう利用するかが、今後の課題……」

広げた手帳のページをめくりながら、アイルはペンで頭をつつく。ジョウトに来てからまとめた研究資料から、1つの結論に辿り着こうとしていた。
自身の目的のためには、やはりセレビィが必要不可欠であること。しかし、そのセレビィにどうやって会うのか、エネルギーをどう利用するのかが、今後の課題になることは明白だった。そして、その解決策はあいにくと見つからない。彼女は唸りながら寝転がり、無造作に置いてあるバッグから『歯車』を取り出す。

昼間、アルフの遺跡で出会ったネイティオを思い出す。あのポケモンは『歯車』のことを知っているかもしれない。だが、これはジョウトで手に入れたものではなかった。なのに野生であろうあのネイティオが手がかりを持っているのだろうか?
彼らの特性を考えたとしても、引っかかりを覚える。もっとその奥になにか、真実の片鱗があるのかもしれない。

「でも、会いたくないなぁ」
 
とはいえ、どうやってこれを調べていいかわからないのも事実。後回しにしていたけれど、いい加減この『歯車』自身を調査しなくてはいけないようだ。
セレビィの研究と違って、こればかりは独学でなんとかなっていたこともそうはいかなくなる。専門の研究機関への委託が必要となれば、伴って相応の説明をしなくてはいけないだろう。

つまりそれは、今まで数えるほどだった「アイルの事情」を知っている人間が増えると言うこと。加えて、アイルの意図しないところで、それは伝播していくかもしれない。「1人に知られたら、100人に知られたと同じこと」というのは、よくいったものだ。相手はプロだから、そう簡単にプライバシーなことをバラしたりはしないだろうけれど、気が進まないのも事実。

なにより、このことをあんなにお世話になっているワタルにも説明していないのに、他の人に話すのは憚られるというのが本音だ。いつかは話すこととなっている――正しくいうと「なってしまった」のだが――できれば彼のことを巻き込みたくは無い。話すとしたら全てが終わったとき。

結局のところ、自分の罪悪感が無くなるかどうか程度のものだ。なんて身勝手な感情だろうと、身体も心も重くなる。暗い闇がじわじわと浸食していくような感覚にさえ陥った。

「とりあえず近場で何か研究所的なものはないかな」

目の前の感情から今は少し目を逸らしたい。アイルは身を起こし、ジョウト地方のパンフレットを開こうとして――くらりと目の前が揺れる。突如として襲いかかる頭痛。ちかちかと星が瞬く幻覚さえ見えてきた。
これはなんだ? 揺れる脳のせいで、思考も定まらない。なんだか、船酔いしたような吐き気もやってくる。口元を押さえ、気持ち悪さに耐えながら思い出した。

「あやしいひかり≠受けた、ときも、こんな感じ、だった、よう……な……」

まだ新人のレンジャー時代、怯えたズバットからあやしいひかり≠くらったときも、こんな頭痛と吐き気を感じて、参ってしまった覚えがある。
ああ、だめだ。もう――


***


ぼんやりと、意識が浮上する。つけっぱなしの明かりが目に痛い。朧気な頭で壁に掛かった時計を見れば、もう真夜中と言ってもいい時間。どうりでなんだか寒さを感じるわけだ。
さっきの体調不良はなんだったんだろうか。ポケモンの技? でもどこから、誰が。だめだ、頭が回らない。もう休もう。
寝ているエネコを起こさぬよう、アイルはもそもそと移動する。窓を閉めようと手をかけた時、ふと思い出した。

「私、窓閉めた……よね……?」

一気に頭が冴えていく。今日は冷えるからって換気したあと、すぐに窓を閉めた。鍵だってかけた。覚えている。
なのになぜ、いま窓が開いている?

「っ!」

窓を放って、一目散にバッグの中を確認する。財布や換金できそうなものは盗まれていない。ポケモンたちも全員いる。強盗なら、金銭はおろかポケモンさえも攫っていくだろう。他の地方のポケモンなら、特に。でも手持ちのみんなはそこにいて、冷静になって辺りを見渡せば荒らされた形跡もない。

「何も、盗まれていない?」

寝ぼけていたのだろうか。体調不良が原因の勘違い? それなら、笑い話ですむ。でもなぜか胸のざわつきが止まない。他に盗むとしたら……価値は無いだろうけど、研究資料あたりだろうか。
そう考えて、広げられた資料に目をやり、アイルはようやく気づいた。

「『時の歯車』がない!」

嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!
手当たり次第、目についたものひっくり返して回るが、あの石の歯車は見つからない。最後に目にしたのは意識が無くなる直前。しまった覚えもないし、どこかへ放り投げた記憶も無い。
つまり、ピンポイントであれを盗まれたということ。

「……どうしよう」

震える声は誰に聞かれることなく消えていく。どうしよう、どうしよう。同じことばかりをぐるぐる考え、嫌な方向へ思考は進む。じわりと視界が滲んだ。人って本当にどうしようもなくなった時は泣いてしまうのか、とアイルは自嘲気味に笑う。
泣いていても、何も始まらない。わかっている。行動を起こさなければ。でも、何から? 

――おれは頼りないか?
 
耳の奥で、誰かが囁いた。
頼って、良いのだろうか。こんな真夜中、彼に縋りついていいのだろうか。彼は忙しくて、大変で、自分なんかのために時間を使う暇なんてありはしない。巻き込みたくない、と思ったばかりなのに。
でも、もし……もしも、彼が自分に心を砕いてもいいと思ってくれるなら。少しだけ、甘えても許されるだろうか。
震える手で散乱した荷物からポケギアを掴み、番号を呼び出す。3コールして、出なかったら諦めよう。
……1コール。……2コール。……3コール。

『もしもし?』

ああ、どうして、

『アイルくん?』
 
出てくれるのだろうか。

「ワタル、さん」
『……何かあったか?』
 
電話の先、震える声にいち早く察して、ワタルは息をのむ。

「あ、あのっ、すみません! 私、っ!」
『アイルくん、落ち着いて。もしかして、泣いているのか?』
「泣いてません!」

吠えるように返事をすれば、電話の向こうで彼は少し笑った。自分を落ち着かせるために、彼はわざと指摘したのだとようやく気づく。

『それで? どうかしたのかい?』
「研究資料が盗まれて。気づいたら、無くて」
『……心当たりは?』
「直前にポケモンの技を受けたような感覚がありました。それ以外には何も」
『わかった。盗まれた資料というのは、いつも持っていた手帳の類かな?』
「いえ……」

詰まらせた言葉に気づかない彼ではない。しかし、それには何も指摘せず、会話を続ける。

『今はヒワダタウン?』
「はい。ずっとお世話になっている宿の部屋にいます」
『わかった。そちらへ向かう。と言っても、さすがに時間がかかるから――そうだな、温かい飲み物でも一杯飲んで待っていてくれ。それと出かける準備を』

近くに着いたらこちらから連絡する、と告げて、電話が切れた。アイルには口を挟む間も与えずに。
騒がしくしていたせいか、いつの間にか起きていたエネコが心配そうに擦り寄ってきた。エネコだけじゃない。自らボールから出たポケモンたちが、彼女を気遣うように集まってくる。

「ありがとう……ごめんね、不甲斐ないところ見せちゃって」

今更だ、というようにルカリオは鳴いた。騒がしくてささくれだっていた心はようやく落ち着きを取り戻す。
……大丈夫。なんとかなる、なんとかする。とりあえず、彼に言われた通り出かける準備しないと。

「みんな、力を貸してね」

当たり前だ、と頼もしいポケモンたちは勇ましく頷いた。
 
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